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添乗員の作るプライベート旅行

先日自己紹介何書いたらいいのか分からないわ……って文章を描いたのだけれどまだ自己紹介がわからない。

なので私が楽しかった時期を振り返ってみようと思った。

18歳から26歳までの時期。
その頃の私は、添乗員をしていた。
月の23日ぐらいは、添乗員さんと呼ばれ続けていた。
年配の方も多かったので、私のことを間違えてつい「看護婦さん」と呼んでしまう人もいた。その為私は、一時期出来るだけ白いジャケットを着た。『白いジャケット着てるから間違えちゃいますよね……すみません。』という為に……


旅行には、シーズンというものがある。春は、桜と共に日本列島を北上していく。そして、梅雨のない北海道へ向かう。レブンアツモリソウ・ラベンダーなど爽やかな梅雨のない北海道を存分に楽しむ。
夏休みは、テーマパークや富士登山などをこなし、まるで学校の先生のように子供達と宿で花火をしたりする。
そして、秋の紅葉と一緒にまた日本列島を南下していく。沖縄で暖かい冬が始まり、年始には、少しだけ伊勢神宮や出雲大社などでお参りをし続け、また桜と共に北上していく。
そうやって過ごす1年は、とても早く気づけは3年ぐらい経っていたりする。飛行機にも乗りっぱなしで足のむくみとは、ずっとお友達だ。

たくさんのお客様と出逢う。日帰りばかりが続くと1週間で350人近い人と旅行を共にする。
短いと日帰り、長いと10日間ほど同じお客様と寝食を共にする。
非日常を味わうためにやってくるお客様たちの要望は、本当に個性豊かだ。10年越しの夢を叶えるために来た人と、何度も行ってるけど気分転換に来たという人が同じバスに乗り同じ旅行をする。たまに新婚旅行の人が乗ってくることもある。
同じコースを同じ時間で走っても旅の思い出は、このお客様の巡り合わせで大きく違うのだ。できるだけ同じように案内をしていくのだけれどまるで別物ぐらいの違いがある。文化祭や体育祭の思い出深さがその年によって違うように全く違うのだ。

人の組み合わせもあるけれどそれとは別に昔は、比較的法律も厳しくなかった。そのため行程にはないけれど今ここの花が見頃とか、天気がいいからこそ見える景色とかがあると、添乗員が乗務員さんと相談して少しだけ宿入りの時間が遅くなることをお客様へ了承してもらい、少し遠回りして行程にはない特別の場所でバスを止めたものだ。
その時の、そのメンバーの、その天気の、その気温でしかできない旅行を添乗員が少しだけ変更して案内する。
その頃は、今ほど携帯電話やインターネットの普及がなかった。そのためその特別な観光地は、添乗員の人脈と土地情報によってのみで形成されていた。そのこ頃の旅行とは、決まった行程の中で最後に少しだけ添乗員が乗務員さんやお客さんとその時の形に作り上げていくことができた。
あの頃添乗員という仕事は、とてもやりがいのある仕事だった。プロ意識を持つとどこまでも面白くなる仕事だった。お客様にできるだけ私の知識と人脈を使って特別な旅をして欲しかったし、最高の旅行になればと願い頑張って働いたものだった。


今では、法律も厳しくなりそんなことは、許されない。予定にない場所へ行こうものならクレームになってしまう。あの頃に比べて添乗員の仕事は、知識や経験といった意味では、誰がやっても大差がなくなった。添乗員の仕事は、思い出作り90%から旅程管理90%へと形を変えたのだ。

たまに私は、友達や知り合いの紹介などでお願いされて旅の行程の相談に乗ることがある。希望出発日と行きたい所・やりたい事・そして簡単なイメージを聞いて旅程一緒に考える。出発10日前ぐらいに天候により考え直すこともある。
大体みんな旅行会社のフリープランを頼んでくれているのでホテルと航空機以外の行程は、直前でもいくらでも立て直し可能だ。
私は、これが楽しくて仕方ない。褒められることも、ありがとうといってもらえることも楽しいの一つなのだけれど、旅をオーダーメイドさせてもらえるということが楽しいのだ。
もちろん有名な観光地に行くのも楽しい。でもそれにプラスしてもしくは、それを1つだけ端折ってでも、その日の体調や天気・潮の満ち引き・月の様子。その日の、その時の、その場所じゃないと体験出来ないものを楽しんでほしいと思っている。

最近これが仕事にならないかなと思っている。自分たちだけのプライベートな旅行をより思い出深いものにするためにお手伝いできる仕事がしたいなと思っている。

人は、どう生きるかだ。という言葉をよく聞く。
旅行もどう過ごすかだ。一年365日あってその中のたった数日。それが出来るだけ思い出深いモノになるお手伝いが仕事になればと思っているのだけれどなかなか難しいかな。

#添乗員 #旅行会社 #仕事 #職業 #思い出

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