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私と母

こんにちは、アルゴンでございます。

この前、私の時代系列について話していきました。

そこでの私と母の関係性が明らかになっていないかなと思ったので、ざっくり話そうと思う。


母の心情 思い


母は私が1歳の頃から、普通の子じゃないと感づき、後に自閉症と診断が下される。

その時から、私を心配して、何とか普通にしようと思っていた。ネットがそこまでなかった時代、どうすれば良かったかなんてわからなかった。

言語教室が近くにあったので、そこに通って、他の障害者を持っている方と色々分かる!となったそう。一人じゃないと気づいた。


でも、年が上がっていくにつれて、皆が成長する中、自分の子供が精神年齢が幼い事だった。

周りの子と喋っていると、自分が普通の子じゃないと、さらに焦っていたそう。

この子達は、大人になったら就職。それで安心だけど、うちの子はそこからが問題なんだよねと。


小学生の時は、普通学級にいさせてくださいとお願いした。

そこで、やっていくことが出来れば、少しはましになるじゃないか

そういう感じだったそう。

でも、普通の子と同じようにはいかない焦りと不安将来の感じが全く予想できず、苛々していた。

そこから、母は、少ししたことでイライラして注意するようになった

後に母が言うのでは、毒親と自分自身で言うようになった。

何でこんなこと出来ないの!?

周り皆出来ているよ!

その度に私は泣く。そして、泣いてる姿を見てイライラが止まらなくなり、ヒートアップする。そこで父がフォローに入る立ち回り

そういう日もあった。


どうして、うちの子はこんなに上手く行かないの?何で分からないの?

そう一回だけ私の目の前で泣いたのを記憶にある。8歳ごろだったと思う。


でも、小学校高学年成長するにつれて、段々言葉も喋るようになり、先生方も認めてくれたのが嬉しかったそう

母は、世間体を気にしていたらしい。今になって思えば、馬鹿馬鹿しいと言っている(笑)

そこで私に障害だと伝えた。

中学の時、自分が悪口言われた時も、助けたい思いもあっただろうが、社会人になった時を思い出し、そんな簡単にこんなことでくじけてはいけないという体育会系の事を思い出したんだと思う(憶測)

そんなくらいでいちいち気にしないの!!

アンタにも原因あるんだから!アンタがいるだけでイライラする!


私は嫌われているのかな・・?と思っていた。

でも、夕飯作ってくれているしな・・。戸惑っていた。


高校の時、入学前の課題、親に出された課題だった。親から子への手紙だった。

母 何で書かなくちゃいけないわけ・・

ため息つくも、普通にスラスラと書いていた。


そして、数ヶ月後、親からの課題を子供たちが見ることに。教室でだった。
親がいない。その状態で見ることに。

その文章が5分程度で書いたと親は言っていたが、私に伝わる文章だった。心に伝わって来たのだ。

忘れたけど・・具体的には

アルゴンはここまでよく頑張って来たよね。自閉症ありながら。

そんな姿に励ましを貰ったよ。受験受かった時、お母さん嬉しかった。
貴方が素直に行きたいと思った道だから。

これからも、アルゴンが思う道に進みなさい。私は見守っています。

多分、そんな感じだったと思う。実際はもう少し長かった。

それを見て、私は涙が止まらなかった。

教室だから、必死にこらえたのをいまでも記憶している。


私のしつけ間違い!? 落ち込み、捻くれる 心配になった母


誰の親でもそうだと思うけど、怒らせると怖いよね・・・。

母は、私が高校2年自己臭症再来して、病んだ時、ネットを見たり、色々と発達障害を研究していくうえで、自分の子育て、自分が進んだ道が間違いなんじゃないか!?と。

そう気づき、話があると父と母、私の3人で話すことに。

母 これ手紙、読んで欲しいの。

私 うん

 そう言って、手紙を読んだ

 そこには、今までの育て方、自分が毒親だという事に気づいて、謝罪した文章だった

 アルゴン、今まで無理させちゃってごめんね。貴方に無理に頑張らせちゃって。周りと比較していたのよくあったけど、ごめんね。
 実は、隠していたけど、小学校に上がる前、教頭先生から、貴方は支援学級に行かせるべきだと言われた。でも、私は猛烈に反対したの。駄目だと思って。自分の子供が少しでも成長するようにと思った。
 でも、結果間違いだった・・。病んでしまって、自己臭症を煩わせたから。ママ、駄目だった、育て方。許してほしいなんて言わない。
 ただ、必死だった。必死過ぎて心の余裕が持てなかった。
 悪者扱いされたっていい。毒親だと批判してもいい。
 でも、これだけは言わせてほしい、アルゴンの事を嫌っていないから。

 
 こういった文章だったと思う。違っていたらごめんなさい!

 もう5年前の出来事なんで・・。忘れちゃう・・。

 しかもその手紙、読んだ後、親に返して、捨てちゃったものですから(;^_^A

 ただの言い訳。

母 お父さんも、小さい頃、頭をボンと叩いたりしていたでしょ。駄目よ
 暴力は反対だわ。いくら温厚でも殴るのは駄目。虐待だから。

父 ごめん・・

 そう、言っていなかったのが、父は普段温厚だけど、怒らせたとき、げんこつに頭を叩くような感じがあった。

 だから、勉強している最中、殴られるじゃないかなという衝動があった。

 今はないけどね・・。

 深く反省して、それ以降やっておらず、私もそれが当たり前になり、今ではそういった行動が感じない。父は深く誓ったそう。絶対にやらんと。

 私も安心した。

母 それでね、もうアルゴンに無理させたくないの。だから、通信、
  中2であなたが病んでいた時に私が勧めた場所、そこ考えといて
  もらえる?ゆっくりでいいから。

 そう言った。

 母そこで、支援が色々あると気づき、うちの子はうちの子でいいんだと思ったら、気が楽になり、以前より落ち着きを取り戻し、余裕が生まれた。

 でも、私もやらかしちゃうので・・。その際は怒りますが・・。
以前だと次の日まで持ちこすことが多かったのに、それが減って来た。


 病んでから気づいた。母は。

母 あの時教頭先生の言う通りにしておけば、こんなことにならなかったの
  にね

 そう、私に言った。

私 確かにそうかもしれなけど、そこで友達も出来たし、勿論悪友もいたし
 嫌われてばっかりだったけど・・。楽しい時もあったし、学べたよ
 お母さんありがとう・・。

怒られた時は

母 私はどうせ、世間から毒親だよ!!

そう言い放つこともあるけどね・・。

自立を促す母 鬱状態で一番気にかけてくれた

大きくなっていく頃、母は自立を促すのだ。

母 自立してね、子供じゃないんだから

そういう事も増えた。促してくれる所が助かる。

何故かってね、そういう風に甘えちゃうと、私駄目になっちゃうから(;^_^A


ユーチューバーとかを凄い見ていた世代。売れている芸能人さんやユーチューバって高級マンションや家がデカイと金があると分かるような感じ。

そんなところに憧れを抱いていたのだ。

私 ねえ、お母さん、私ね、大きくなったら、お金持ちになって、高層マンションに住んで、お母さん達に招待するんだ

母 本当?その時は、母さん、掃除するわ。お金払ってね(笑)
  でも、いいよ。そんな目標大きくしなくても・・。

私 何で?

母 普通に働いて自立してくれただけで、お母さん安心して死ねるから

父も同様の事を言っていた。

その時は、鬱になっていなかったので、気持ち理解できなかったが、鬱になって気づいた。

鬱になってから、母と父の凄さ、そして、母が一番気にかけてくれていた。

食欲ないのに、一番大好物のチキンスティック作ったり、休んでいいよと気にかけてくれた。

風邪や私自身体弱かったため、結構風邪引くことが多く、いい加減にしてよと思う位だそう。

でも、文句言いながらも、リンゴ切って、一口サイズにしてくれたり、看病してくれていた。

そんな母を見て、父は一番気にかけてくれていると褒めていた。

そして、働く意欲、焦りをこちらに与えた。(半年以上たった頃)

流石に何も行動しない私に腹が立ち、このままだとニートになるという事を恐れていた母。

喝を入れてくれた。あの時、本当に言うが、鬱と言い訳して甘えていた。

そういうのを見抜いていた母

そして、現在に至る感じ。

相談相手にはしていない。ネガティブにさせちゃうから。

だから、第3者の子にいつも聞いてもらっている。カウンセリングとかでね。

現在の母

今では、私の頑張りに褒めてくれる母。

母 あんまり、無理だけはしんといてや。

6月は初めてB型事業所を週3にした。1時間ですけど。病んだり、疲れたりすること多かったが、休むことなく、行ったのを褒めていた。自分でも褒めた!

でも、それがプレッシャーになるといけないから、休んでいいからねと促してくれた。

母 アルゴン、楽しんでな。一度きりやから。人生笑ったもん、楽しんだもん勝ちだから

 そういう言葉をよく言うように。

そして、お手伝い等を私に頼むようになった。

母は非常に責任感が強かったから、あまり頼まれることなかったけど、嬉しかった


まとめ(私自身としての母の立場)

どんな状態であろうが、私は母を嫌うことは無かった。悪者扱いしたことはあるけど‥(;^_^A

怒っている時も、今思えば、余裕が無かったって分かるし、子育ての事はよく分からないから。

世間で言う毒親は合っていると思う。実際はもっと酷い事を言われたこともある為。

親も子も認めているという(;^_^A

自分は毒親、これ以上、自分の子供にココロの影響受けてほしくない。

だからこそ、母は自立を促していたのかなって。

合わないからこそ。

でも、何かあった時に一番に駆け付けて、色々と影で調べてくれた。

気にしなくていいのにと表では言っても、母は裏では必死に調べていた。

母 嫌いでしょ?

私 嫌いじゃないよ

母はひねくれているから、嫌っているでしょ?というけど、私や子供からしてみれば、悲しい発言だと思う。

だって一番気にかけてくれているから。

なんだかんだ、甘い所あるし・・。

ゲーム禁止と言った割りには、次の日には解禁されていたり、なんだかんだ甘い部分もある。

勉強に関してもとやかく言われなかった。

生まれ変わっても、私は今の母の子供でありたい。

親孝行出来るようにしたい。


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