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早起きは三文の徳を検証
昨日のつぶやき。
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というわけで、いつもの時間に起き、朝活をして小田原城へ出掛けた。毎度のことだが通勤定期を使いバスで出かけた。小田原駅からは歩いた。
お堀端通り歩き小田原城址公園に着いた。馬出門や赤銅門を見ながら二の丸まで王道を歩いた。二之丸は、紫陽花と菖蒲が咲いていた。
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さらにもう一段高い本丸を目指した。本丸にはもちろん天守閣がある。小田原城という。昭和35年に鉄筋コンクリート製で復興した。先立って、昭和13年に国指定史跡となっている。
=ザックリと小田原城の流れを見る=
1417年 大森氏が領地を得る
1501年 北条早雲か進出した
1587年 小田原城総構の構築が始まる
1590年 豊臣秀吉に開城する
1590年 大久保氏藩主
1614年 幕府直轄の番城となる
1619年 阿部氏が城主となる
1624年 再び幕府直轄の番城となる
1632年 稲葉氏が藩主となる
1686年 大久保氏が城主となる
1870年 廃城の願書を提出し解体する
1938年 小田原城址が国指定史跡となる
1960年 天守閣が復興する
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1位、大阪城
2位、名古屋城
3位、島原城
4位、熊本城
5位、姫路城(現存、国宝、世界遺産)
さて、これだけでは二文に過ぎない。
一文目は小田原城址公園は美しく整備されている。
二文目は小田原城の大まかな歴史を確認した。
問題は、三文目の得だ。
多くの人が、同じ見解を持っていると思う。すなわち、豊臣秀吉が小田原城を全国諸大名からなる21万の兵を持っても歯が立たなかった。つまり、小田原城総構約10キロ内を兵糧できなかった。
そこで、立てこもった石垣山に小田原城側から見える部分だけ城のような細工をした。そして、夜中に一気に木を切った。小田原北条氏に、一晩で出来たように見せた。驚いて開城した。
ところが、今日の天守閣内のビデオでは違う解説をしていた。
難攻不落と言われた小田原城総構は土塁であった。ところが、一夜城は石垣の上に天守閣があった。ここに、小田原北条氏は驚いたと。
時の石垣といえば、近江の穴太衆の流れだ。築城史の中でも比類なき技術である。野面積だ。
実際に、小田原城総構に何度かいったがそんなにすごい物とは思えない。
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ハッキリいえば、泥と石。それらを作り上げる技術の差は歴然としていたはずだ。ボクは攻めた豊臣秀吉はもちろん見事だと思う。それを読み込み、開城した北条氏も見事だと思った。やはり、戦後時代に西で築城技術は磨き上げられた。その現実を関東の武士は知らなかったと推量した。このことを知れたことが三文目の得とする。
公休の今日、一銭も使わずに早起きだけで三文の徳を得た。あー、天守閣の入場料は福寿カード(シルバー)で無料だった。スローライフ😆
かわせみ💎
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