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野中広務秘書として初めての選挙投票日

 選挙期間の最終日は、夜の個人演説会が全て終わり、選挙事務所に事務局や運動員、秘書など外で活動していたものが戻って来て、選挙事務所1階の広間に陣営の全員が集まる。そうして集まったところを見計らって候補者である野中広務先生が選挙事務所に入ると、野中先生が候補者として選挙期間中に手伝ってもらったお礼の挨拶をする。私は、運動員では、この場面は何回か経験しているが、秘書としては初めての体験だった。運動員の時はやり切ったという感動の場面であるが、プロの秘書では、ボロボロの展開だったことに痛感していた。こういう場面の野中先生の挨拶は、感動的な話をされて泣き出す人もたくさんいるし、今回も感極まって泣いている人もいたが、私は、野中先生の挨拶を聞きながら表情も話も厳しいものを感じた。「これは明日、結果次第ではマズいな。」と思いながら挨拶が終わるとまだ、やらないといけない作業に移った。
投票日に架ける電話作戦のシフトと開票速報の掲示ボードの作成。そして、選挙車や選挙事務所の看板に白い布をかける作業などほとんど徹夜の最終日になる。
 余談だが、私は、今でも投票日当日の電話作戦(内容によっては選挙違反になるが)は非常に重要な作業であると思っている。
 開票の掲示ボードを先輩秘書が作成し終わったのが投票日の明け方だった。それから自宅に帰り、少し仮眠をして投票に行き、そして選挙事務所の葛野大路五条にある場所に戻った。既に、後援会の方と運動員数人が、開票に向けて会場設営をしていた。また、電話作戦をしているところに行くと投票率の悪い京都市内を中心に数十人の女性が選挙前から集まっていた名簿に電話をしていた。
京都の蒸し暑い梅雨時の選挙期間で寝不足と暑さから身体の怠さで体力的に、ほぼ限界にきていたが、今日で終わると思うと、その怠さも耐えられた。
 今回は、衆参のダブル選挙。参議院通常選挙の京都選挙区で自民党から出馬されているのは、直前に京都府知事を退任された林田悠紀夫先生が50万票を超えるのかに注目が集まっていた。
私たち野中陣営は、京都2区で同じ自民党から出ている谷垣禎一先生に少しでも票をあけて当選しなければ、当選してから国会に戻って役職をもらうのにも影響する。なんとか票を積み重ねていかないといけない。しかし、この選挙区では、共産党は、今まで2人公認して出していたのを寺前巌さんという共産党支持者以外にも人気のある候補者1人に絞ってきていた。これは、昭和58年に京都2区では、補欠選挙があり、そちらに新人候補を擁立し、その暮れにあった総選挙で2人公認を出して票の食い合いをしたことから2人とも落選して議席を失った経験から、今回は、1人に公認を絞ったため、共産党の1議席は確定している選挙戦であった。共産党は、間違いなく15万票以上取る。私たち野中陣営としては、1位は無理にしてもどうしても2位に食い込みたいというのが至上命題だった。しかし、最初から陣営がドタバタしたことがかなりマイナスに響いているように感じていた。
 午後6時前には、女性たちにしてもらっていた電話作戦を終えて、いよいよ投票箱が閉まる7時になった。野中系と言われる府市会議員や後援会の幹部がちらほら集まってこられていた。野中先生は、選挙事務所から車で20分ぐらいの定宿である新都ホテルの部屋で待機していた。
 後援者や議員の先生方は、選挙が終わってひと心地ついたことから冗談を飛ばしながら1階の会場になっているパイプ椅子に座りながら寛ぎながら楽しそうに話をされていた。それとは、別に、選挙事務所2階の事務局の幹部や秘書たちが集まっている投票の集計をする場所は、各地域の投票率を聞いて厳しい表情で開票を待っていた。
 9時になり、各地域の開票が始まった。開票所に詰めている立ち会い人とペアを組んでもらっている方々から刻々と開票状況の連絡が入ってくる。2階で開票掲示ボードに貼る投票の数字を書いて運動員の担当者が1階に走る。1階では、テレビも設置されているので、テレビとボードを見ながら集まってきている人は、歓声をあげたり、ため息をついたりするのが2階に聞こえる。2階では各開票所から連絡がくる投票集計の戦場みたいな雰囲気になっている。私も集計に加わっていた。この選挙区は、京都北部から票が開いていき、北部では我が陣営は、圧倒的な強さで各市や町は、1位の得票数を維持していた。だんだんと京都市内部や京都府南部地域の票も開いてくる。北部で圧倒的な強さの票数を獲得して独走していたのが、京都市内部や南部地域の開票が進むに連れ差が縮まり、とうとう共産党の寺前巌さんに票数を抜かされてしまった。折り込み済みとは言え、実際上回られると事務局としては少し動揺してしまう。京都市内も南部も思っていた以上に票数が伸びない。同じ自民党の谷垣禎一先生にも地域によっては票数が負けているところも多く出てきているが、共産党の寺前巌さんの当確が出て地元テレビで勝利宣言をしたような情報が2階の集計している部屋に入ってきた。そうして遅れること30分ぐらいして野中広務当確と1階に設置されているテレビでNHKが当確を出したので、1階では、拍手と歓声が起こった。野中先生も新都ホテルを出発して選挙事務所に向かうという連絡が入った。でも、2階の事務局では、思っていた票数より獲得出来ていない地域がいくつもあり、秘書たちは、厳しい表情で各地域の票を集計していた。
1階では、野中先生が到着して歓声と拍手が湧き起こる。しかし、2階では頭を傾げながら暗い表情で各地域の票数の一覧とボードに貼る得票数の貼り紙を作成していた。
 1階では、選対本部長の勝利宣言と野中先生のお礼の挨拶に歓声と拍手で湧いていた。ダルマの目を入れるのに続き、万歳三唱が行われた。そして、これが終わると野中先生は、地元のテレビ局に行って選挙戦を振り返ってのインタビューに出かける。この間も私たち事務局の集計は、各地域の票数が結了するまで終わることが出来ないし、各地域の票数の出方でみんなの表情は、1階と比べものにならないぐらい厳しい表情になっていた。午前1時を過ぎて全ての票数が結了しトータルの得票数が出る頃には、お祝いに来ていた後援会の方々も選挙事務所を後にし、事務局の集計していた秘書と一部の運動員だけが残っていた。テレビ出演を終えた野中先生も戻ってきて、秘書は、みんな1階に降りた。
この選挙の得票数は、

共産党 寺前巌  155,817票
自民党 野中広務 143,809票
自民党 谷垣禎一 137,705票
等々

となんとか自民党同士では、野中先生の方が上位に入って面目は保てたが、さほど票数に差がついたということもなく自治体によっては6番目でその地域では、落選しているというところもあった。各市町村別になっている開票掲示ボードの結了した得票数を野中先生は、見て、当確が出た後のお礼を言っている顔やテレビ出演とは全く違う表情をして、一つ一つの地域の票数の分析を交えて担当している秘書に総括をしていた。この選挙では、私は雑用全般だったので、野中先生から厳しい評価を受けることはなかったが、先輩秘書が先生から言われている言葉を聞いて秘書のプロとしての厳しさを目の当たりにした瞬間だった。
開票は、終わって選挙結果は、出たが、明日から次の選挙に向けての秘書としての仕事が本格的にスタートする開票日は、節目であった。

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