教えること

今年は梅雨が長引いているみたいです。
東京は毎日雨で外に洗濯物も干せなければ、大好きな日向ぼっこもできない。
今日は全く晴れていませんが、雨も止んだので久々に公園でnoteを書いてます。

さて本題ですが、私はまだまだ若手なので教わる立場であることが多い。若い同年代の方はほとんどがそうだろう。

社会に出て歳を重ねると知識や技術や経験を積み人の上に立つ機会が増えてくる。年功序列が残る日本では特にそうだろう。
今は若手の新卒の人もいずれその立場になる。

しかし、歳とともに知識が増え技術を手に入れ多くの経験をしたからといって人に教えれるとは限らない。
全くもって別物だと私は思っている。

出来ると教えれるの違い

数学がめちゃくちゃ得意なのと、数学を教えれるのは全く別物です。自分が出来る知れるだけではいけないということです。

当たり前ですが、その得た知識や技術を相手にどう理解してもらうか?が教える上で最も重要です。

そして年齢と共にその重要性は増していきます。料理の世界もそうですが、感覚による要素や論理的な要素を言語化できない。つまり言葉で自分の技術を伝えれない人は山ほどいます。特に職人の世界はそういう人も多いと思います。


将来的に若い労働力が減っていくと飲食だけでなく新入社員にも即戦力として働いてもらうことも増えていきます。

そして人を育ていち早く戦力にするかはある種部下の要素よりもその上司による要素が多いと思います。その為に早く仕事を覚えてもらう為には相手にうまく伝え教えることは大切だと言えます。

学校の先生に学ぶ教え方

母が高校の教諭ということもあり、学校の先生の裏方も小さい頃から見てきた。

家には看護師時代から教諭になってからの大量の本。家に帰り家事をこなし、テスト問題の作成や採点、授業で取り扱う章を生徒が理解しやすいよう勉強する。

授業以外にも生徒や保護者の問題や教諭内での議論や会議などなど、毎日のように仕事と勉強を繰り返している。

これは、もちろん自分の勉強でもあるんですが、生徒に教えるという前提がまずある。

教えるという行為の為に勉強をしてる先生はいわゆる教えるプロなのだと私は思う。
誰かに教える為に仕事をしてたりそこに意識を向けてる人って少なからず飲食業界には少ない。

自分が理解する為に学ぶのではなく、他者に理解してもらう為に学ぶ。この前提の違いはかなり大きな差だ。

学校の先生を見ていれば、教えるということがどれだけ難しいかがよくわかる。だから単に年齢を重ね勉強や経験をした=上司として部下に教えれる。ではないと私はおもっている。

「教える」ということは「教育」と同じぐらい難しい。

これから歳を重ね人の上に立つ前に。
親として子を育てる前に。
「教える」ということを少し考えてみるのは大切かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?