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今日の戦利品

ウチの駐車枠の片隅には小さな石と小枝が積んである。
ぱっと見は誰も気づかない。
でも明らかに積んでいる。
アスファルトの上に明らかに周辺にはないサイズの小石。



晴れた日に保育園に息子を迎えに行くと、園児たちはみんな外で遊んでいる。
年齢やクラスは関係なく、しかも学童保育もしているので小学生も何人か混ざって遊んでいる。

先生は私が園庭に入るとすぐに息子に声をかけ、鞄を取ってくるよう促す。
ここ最近の息子はいつも小枝か小石を片手に持てるだけ持っている。


もってかえりたい。

わかった。持って帰ろうね。
でもお家の中には入れられないからね。

うん。


最初は園庭の隅に置いてくるように言っていた。
当然かなり渋られた。

もってかえりたい!
もってかえる!

目にいっぱい涙をためて訴えられた。
泣き落としか?相手を考えてするんだな。
この母にその程度の泣き落としは通用せんぞ。
くそ、可愛い。


毎日この「集めた小石を持って帰る帰らない論争」で一悶着するので、最終的に園から持ち帰ってもいいけど家の中には入れてはいけないという折衷案で決着。
その結果、ウチの駐車枠の中、車止めの片隅に少しずつ小石が積まれていくことになった。

そして時にはそれが小石ではなく小枝なこともある。
お、今日は小枝の日なのね。
似たような長さの枝をよく集めたもんだ。
あら今日はいつもより小さめの石ね。
ちょっと!ちゃんと握っててよ車の中に落とさないで!


一体何が面白いんだ、と思う反面その収集癖というか収穫癖はとても理解できる。
私も4歳の頃、近所の児童館の木の皮をひたすら剥いでたし、よくわからん木の実を集めてこれまたよくわからんプラスチックのケース(汚っ)に大量に集めて敷地の隅っこにこっそり隠してた。
5歳の頃はビール瓶の蓋収集が園児の間で空前のブームだった。
いかに曲がっていないビール瓶の蓋を集め、その蓋に砂を詰めて細かい砂で表面を磨くという「泥団子featビール瓶の蓋」みたいな遊びを友達と夢中になってやっていた。

かっこよく書いてみたけどめちゃくちゃダサくてくだらなくて意味が分からない。
でも30年経った今でも遊んだことを覚えてる。
すごく楽しかった。

でも楽しかった記憶というか、今でも思い出せる昔の記憶って、そういうくだらない記憶ばかりな気がするのは私だけ?
いつまで経っても忘れないことって何の役にも立たないものばかり。
もっと大事なこと覚えとけよ自分、と思ったことは数え切れないほどある。

真剣にビール瓶の蓋を集めてたから大人が集まった年末年始はソムリエか鑑定士かのごとく大量の蓋を吟味してた。
くの字に思いっきり曲げられた蓋を見ると5歳でも内心舌打ちしていた。
ほら、書いていくうちにどんどんしょうもない記憶が蘇ってくる。

やっぱり楽しかった記憶しかない。



息子、真剣にくだらないことを一生懸命してね。

今日は今年度最後の保育園。
さぁ、戦利品は何かしら。



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