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私が欲しかった言葉

ここ数日、孤独感や虚しさを感じている人、生きることがつらい人、その周囲の人の文章に触れる機会がたまたま続いている。
世の中がそうさせているのかもしれない。
もしくは前からそんな思いを抱えた人は多くて、その思いを人目に晒す機会が増えただけかもしれない。
多分後者じゃないかな。

そういった文章に触れるたびに、私は17歳の自分を思い出さずにいられない。



高校3年生の頃、私は学校に行けなくなっていた。
学校に行きたい。友達に会いたい。
でも身体が重くて起き上がれない日が続いて、ついには文字通り息をしているだけになった。
何かきっかけがあった訳ではなく、半年かけてゆっくりと生きることに疲れて何もできなくなってしまった。

病院に行ったら自律神経失調症、慢性疲労症候群、鬱病と言われた。
私がフォローさせていただいているnoterさんもおっしゃっていたけれど、メンタル系の病はなってみないとわからない。

見た目は変わらない。まぁ顔色悪いくらい。
ご飯も食べられないわけじゃない。
不眠症になる人が多いけど私は過眠症だった。
身体のどこかが痛いとか苦しいとかじゃない。毎日フルマラソン走った後みたいな猛烈な疲労感。

そして何より今、息をしているこの瞬間が、
自分が生きているという事実が、
この苦しさが明日も明後日も続くことが、
文字通り死ぬほどつらい。

死にたいのではなく、死ななければいけないという義務感。
自分は生きていてはいけないという焦燥感。
この状態が永遠に続くという絶望感。

自分が病気だという認識は"一応ある"。
でも常に"論理的に"自分が死ぬ理由を探しているので、病気がそうさせているという認識がイマイチない。

しかしやはり病気なのでその論理は破綻している。
今でも覚えてるのがその年県内で起きた大雨による水害のこと。土砂崩れで自分と同じ歳の高校生が亡くなった。
このニュースを見て私が思ったのは

①私のせいだ。
②私が代わりに死ねばよかったのに私のせいでこの子は死んだ。
③私は死ななければいけない。

①から③までの理屈はなんとなく通っている。
でもそもそも①がおかしい。明らかにおかしい。
なぜ行ったこともない土地の災害が自分のせいになるというのか。
健康な人には理解できない思考回路だと思う。

これはただの一例に過ぎないけれど、日常の全てに発作的に死にたくなるきっかけが溢れてるから、起きてる時は常にリスクを背負うことになる。
運が悪いと道端の花を見ても死にたくなる。
テレビも本も情報源は地雷だらけ。
気分転換は全く気分転換にならない。
前向きに考えればいいとかポジティブな言葉を口にしてみようとかいうレベルの話じゃない。
今改めて思う。私ヤバイ。病気怖い。

本当に死んでしまわない為に、死ぬ真似事も繰り返した。真似事で済むものもあれば場合によっては危なかったこともあった。

1番危険行為をしてしまったときは不思議な感覚だった。
未遂では済まないことを本能で分かっているのでめちゃくちゃ怖い。でも身体はその準備を淡々と進めていく。
これは直前でやめて真似事で終わるのか?
それとも一歩踏み出してしまうのか?
嫌だ、踏み出したくない、死にたくない、でも身体が止まらない、怖い、やめて。
身体が震えて、鼓動が激しく、息が浅くなっても手だけは止まらない。私じゃない何かが身体を動かしてるような感覚だった。

結局、猛烈な苦しいという感覚で息を吹き返したように自分の身体が動かせるようになった。
あれは怖かった。ああやって人は死ぬんだと思った。病名がついていなければ、何かに取り憑かれていたのではないかとさえ思う。

同時に、鬱病の人に対する慰めの言葉の大半が本人には全く届かないことも知った。
本当に、全く、1ミリも心に響かなかった。

当時よく耳にしたのが、
 生きてればいいことあるよ
 あなたが死んだら親や友達が悲しむよ
だった。でもこれ、骨折してる人に対して
 この漢方薬を飲むと骨が丈夫になるよ
と言ってるくらい的外れな言葉だと思った。

いや、必要なのは痛み止めでボルトでギプスで包帯なんですけど…という気持ちになる。
そして、あぁこの人は死にたくなったことないんだな、と心を閉じる。二度と相談しない。

当時もその後も私が欲しい言葉をくれる人はいなかった。


結局2年かけてゆっくりと寛解し、どうにか普通の日常を送れるようになった。
フラッシュバックもあったし薬も沢山飲んだ。
でも1番の薬は何もしない時間だった。
貴重な10代の2年間を失ったのは悲しかったけれど、病気になってよかったこともある。

就職して、ちょっと頑張り過ぎて身体を壊した。
違和感を感じた時点で病院に行き、適応障害と言われたけど、かなり落ち着いて初期に手を打った。
他人に迷惑をかけてでも自分のために仕事を休んだ。休むことを迷わず選べた。
結果2週間だけ休んで復帰できた。
下手したら年単位で休むか退職していた。

私は心が壊れていく過程を知っている。
だから"逃げ時"も分かる。
そして戻る過程も知っているから多分大丈夫。



今、心を病んでいる人は何て言われたら救われるんだろう。
きっと年齢、性別、置かれてる環境で違うと思う。

でも私は相手が誰だろうと、たとえ家族でも言う言葉は決めてる。



いつ死んでもいいよ。でも今日はやめようか。



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