見出し画像

読書日記21

中国行きのスロウ・ボード

 村上春樹の短編集で初めての本になる。これは文庫本になって読んだ本で確か高校生の時だった気がする。東京に行った時に古本屋で見つけて200円かなんかで買ったら店主が「150円でいいよ」といったのを覚えている。「パン屋再襲撃」と「回転木馬のデッドヒート」を一緒に買った。新聞配達をしていて休みがなかったけど、なぜか学生というので月に1日だけ休みをくれた。従兄が東京の多摩にいたので色々案内がてらに新宿で会ってくれるというので古本屋をまわった記憶がある。

 冒険的というか色々と試行錯誤しているというか、文章も僕は好きだけど粗く繊細さがないというか長編のように読みやすくない。「こうしたら、こういう風になるな~」とか「ここをこうして~」みたいな切った貼ったところがあるのも今読むと新鮮な感じがある。僕は「中国行きのスロウ・ボード」の2回目にあった中国の女性の話で自分の意志とはうらはらに電車の行き先を反対に教えてしまうとかの部分とかが「書きたい部分」に軽く触れてる感があって好きなんだけど、所々に書きたい部分をどう書くというのに挌闘している感じがすごくあって面白い。

 冒頭から中国人について書かれている。まるで自分の回顧録のように書いてあるけど、これは小説で日記とか回顧録とは違う。そこら辺のところが曖昧である分スイッチがうまく入らない感はある。次の作品も多少強引で「貧乏なおばさんの話」を書きたいという小説で読んでるとシュールで笑えてくる。福満しげゆきさんの漫画「僕の小規模な生活」みたいな夫婦の話を書いてあるという点ではすごく面白い。

 カンガルー日和はストーカーみたいな話でちょっとサイコがかっている。そこら辺が長編のダークさというかに出てくるのだろうけど、すごく興味深いというか小説家の二面性というかがわかる。「本を読む」というのを受け入れるとテレビや映画などの映像を拒絶しないと読めない。テレビも観て本も読んでというのはすごく難しい。もともと文章を書くのがうまい人ならいいけど読書をしないと文章が偏るというか、読んでいても偏るのに読まないともっとひどいというか…

 「土の中の彼女の小さな犬」は割とまともな直球の文章で村上春樹の初期の作品に近い。取り留めのない話から「物語」膨らんでいく様は村上春樹を好きな人は「待ってました」と思う作品。ホテルで知り合った女性の不思議な話を聞くという風の小説で内容もありそうな話なんだけど写実がうまくない分、話がボケる。内容はすごくいいのにと思っていると次には文章がうまくなってるのが村上春樹の特徴でもあるのでそれを知るのでもすごく面白い。

 「遠い太鼓」とか「雨天炎天」を読むと、写実的な文章にびっくりする。文章が明らかに変わっている。時代からすると7~8年ぐらいでこんだけ文章を変えても「村上春樹が書く文章」というスタイルを読者にわからせるというのはすごい感じがする。

 僕の相方(嫁)はテレビを観ない。本好きで読む時間が欲しいからだけど読む本は最初はライトノベルばかりだったけど、ミステリーや村上春樹のような小説も読み始めている。読むのは遅いので年間100冊ぐらいだけど内容は凄く覚えている。余談だけど一人暮らしの時にテレビがないのにNHKにお金を取られて「スマホあるからって言われた」と言ったがiPhoneだったwその前はワンセグのないスマホだったし「追いはぎだからしょうがないよ」と相方が言う。そうとおりだなと思ったりもする。

 その相方が唯一観るのが木曜日の「プレバト」という浜ちゃんのやってるので「俳句」の出来不出来を観て面白いという。「何が?」と興味がない僕には勧めないけど食事の時間と重なるのでちょっと観ると文章の深さというか「俳句を詠む」人の姿勢というかがわかる。季語を覚えて文章を構築するのがこんなに難しいんだというのがわかる。僕は適当に文章を書いてしまっているけど、目的をもって書くというのは案外必要だなとこの頃、思うようになってきた。

 僕はPodcastや音楽やテレビを観ながら書く。読み直しをしてまた直すからいいやと思っているけど、書き慣れる度にとんでもない方向にいってるな~と感じることが多い。方向が違うと終着点がないからそのまま終わったりする。書き直しをしないと意味さえわからないところもある。読んでくれる人も大変だろうなと思ったりするときもある。もう少し村上春樹の短編でも読み直して書き方かえないとなあ~と思いながら今日もダラダラと書いてしまった。

 

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,091件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?