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エッセイ 【売れる文章の書き方?】

僕らの時代(1970〜1980)は子供の頃はワープロさえも存在してなかったり、高価だったので書くというのは鉛筆やボールペンや万年筆など手で書くことが主だった。中学生ぐらいになってくるとワープロが出始めで「かな入力」という打ち方が主流になってどこにどの’ひらがな’があるか?みたいなことを覚えた。(’ぬ’が左上にある)

それも、「ローマ字入力」が主流になってもう打たなくなってしまった。(今のパソコンではそもそも’かな入力’がないのもある)携帯電話もドルグ入力から(懐かしいのと僕はポケベルからなので2タッチ入力でした。)からスマホのフルック入力と時代の変化とともに変わっていっている。

羽田圭介さんという芥川賞をとって今も作品を書いているどちらかと言えば有名な作家さんだと思うのだけど、”芥川賞作家が教える「僕の投資術」”というのが雑誌(文藝春秋)に書かれていたのを読んで、「書き下ろし」の小説を2冊書いて手元に入ってきたお金が1冊で150万円ほどと書いてあって唖然としたのを覚えている。

「芥川賞作家」というネームバリューがついて、テレビに出演してとか講演料などの副収入のほうが多いと文章には続いている。作家業だけで食べていけないと感じた羽田圭介さんは投資を始める。何冊かの本を読んだことのある有名な作家でさえこうなのかと思うところがある。

僕らが子供の頃は「長者番付」というのがあって「作家」はすごく巨額のお金を稼いでいるという印象があった。赤川次郎、西村京太郎などが推定10億以上を稼ぎ、上位20位ぐらいの作家さんは1億円近くを稼ぎ長者番付にのっていた。プロ野球の選手が1億円プレイヤーというのが出始めてきた時代で、作家って夢のある仕事って感じがしていた。

漫画家なんかもすごかった。クリエーターというか「生み出す」と世界観もそうだけど『先生』ともてはやされ、社会的地位も高かった気がする。アナログな世界ではクリエーターは神の存在だった。デジタル化が進んでみんながクリエーターになって神はいなくなった。

原稿を書いて投資をしてメディア出演をしてというのが「小説家」という感じはしてくる。小説を書いてご飯をという世界観が過去のもののような気もしてくる。コンビニで働いている店員さんが実はベストセラー作家さんなんでこともあり得る。

僕らはきっとそれでも本を読みたくて本を読んでいるんだろうとは思うけど、それは願望でしかないかもしれない。

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