見出し画像

どうも生きづらいと思ったらADHDだった話②〜診断の経緯〜

①でADHDってなにみたいなことを軽くお話ししましたが、今回は診断された経緯についてです。23歳になって初めてADHDだとわかったきっかけをお話しします。結論から言いますと、違和感を覚えたら早めにどこか受診することをオススメします。

●ADHDがわかったきっかけは鬱

小学校に入ったあたりから漠然と生きづらさは感じていましたが、ADHDだとは思ってもいませんでした。自分がADHDだとわかったのは23歳のときです。新卒2年目の春に鬱状態になったのがきっかけでした。

当時は書籍の編集をしていて、色々な仕事を同時進行していました。今になってわかったことですが、私は長期的なマルチタスクが大変苦手です。

でも書籍の編集って長期的なマルチタスクの塊みたいなものなんです。結果的に、1年目は体を壊しつつなんとか乗り切ったものの、2年目になると昨年の仕事量と比べて2〜3倍に増加。更に初めて自分で1から書籍を作ることになって増える一方のマルチタスクによって2018年の年明けごろから少しおかしくなりはじめました。
主な症状は以下のような感じです。

・1日中気分が落ち込む。
・座っていられないほどの胃痛。
・急に手に力が入らなくなる。
・食欲不振。
・周囲の音が遠くに聞こえる。
・テレビを見ることができない、文字が読めなくなる。

2018年の1月ごろから症状が出始め、すぐに病院には行かなかったのには理由があります。
1つ目は、自分の本が校了するまではと思っていたから。2つ目は、忙しいのが落ち着けばどうにかなると思っていたからです。
しかし、ちょっとおかしいと思ったらすぐに受診をおススメします。放っておいても鬱は良くならない!

私が受診を決めたのは5月末です。仕事中で特に何かあったわけでもなくPCの画面を見ていただけで死にたくなり、信じられないくらいの絶望感に襲われたからです。
家族に鬱の経験者がいたので、自分でも「これはやばい」と思い、その日に生まれて初めて精神科を予約しました。

●病院その1

6月頭、とにかく辛かったので、どこでもいいからと適当に探した会社の近くの病院に駆け込みました。簡単に話をしたあとに25問ほどのアンケートを取られましたが、これがADHDを診断するための簡易的なアンケートでした。
今思えば紙の上部に「ADHDテスト」としっかり書いていたのですが、見る余裕もなく回答し、「ADHDの可能性が高い」と診断されました。

診断されたときの正直な感想としては、ショックでした。自分が「障害」と診断されるとは思っておらず、頭が受け付けません。
そのあと、「ひとまず発達障害はどうでもいいからこっちはもう限界だし、診断書を書いてとにかく休ませてくれ」と思っていました。
完全に判断力と冷静さを欠いていますね。発達障害って言われてどうでもいいわけないんです。思考を放棄したという感じでした。

当時の心境を改めて分析するとこんな感じ。

・そんなことより休職するための診断書が欲しい。
・もう死にたいって言ってるのに発達障害と言われてそんなにスッと受け止める余裕はない。
・たかが20数問で診断されるのかという不信感。
・詳しい検査もせずいきなり発達障害の薬を飲みたくない。(副作用があるのを知っていたため)

このとき「発達障害ショック」が強くてあまり聞いてませんでしたが、ちゃんと鬱の傾向ですねーとは言われていました。
ただ、申し訳ないのですがどうしても不信感とショックが先立ってしまって駆け込んだ先の病院にはもう一度かかる気持ちにならず、予約を取らずに家に帰りました。

●病院その2

1個目の病院の診断が終わってすぐ、発達障害の可能性があるということ仮に受け止めるとしてどうすれば良いかを考えました。私がやったことは以下の3つ。

・同じくADHDの親戚に連絡。(今後の参考のため。)
・信頼できる友人にひとまず連絡。(気分を落ち着かせるため。)
・ADHDでひたすら検索。(専門の病院や、どういった障害かについて詳しく知るため。)

特におススメだったのは友人に連絡です。驚きはするものの、普段通りの反応が帰ってくると一旦冷静になれます。親族にADHDと診断されている方がいたら相談してみるのも手ですが、親族でもオープンにしていないこともあると思いますので環境によりますね。

家に帰るまでに気分を落ち着かせたところで、セカンドオピニオンのための病院を探します。私は幼少期からかかりつけの内科のクリニックで、先生の奥さんが精神科医だったのを思い出して連絡を取りました。

予約をとり、まずは会社を休みたい旨をお話しして、会社での現状や家族関係についてを聞かれて鬱の診断がでました。このときの先生はメンタルがボロボロなことを理解してくれてすぐに休めるようにと診断書をその日に書いてくれたので本当に感謝しています。

そこから育った環境や幼少期に困っていたことなどを聞かれ、やはりADHDの可能性が高いとのことで、専門の病院の紹介状を書いてもらいました。

会社へはとりあえず鬱の診断書で休職の手続きをお願いし、そのときにADHDの可能性が高いことを伝えました。そして自分でおかしいと感じ始めた1月から数えて約5カ月後の6月中旬、会社を休職してADHDの正確な診断を受けることと、鬱からの回復に専念することになりました。

ここまででも結構大変だったのですが、実はここから先ADHDの正確な診断を受けるまでが意外と長い道のりだったので、次は専門の病院による診断についてお話しします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?