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曼殊沙華のおわり

盛りのすぎた曼殊沙華からは、いつも目を逸らしてしまいます。
奔放に反り返っていた花びらは白茶けて痩せ、ただ呆然と立ち尽くしている、そんな感じがするからです。
衰えてゆくものを正視するのは、力が要ります。
曼殊沙華への思いやりではなく、きちんと見届けることができなくて、私は伏目がちに通り過ぎるのです。

その日はうろこ雲が美しい夕暮れでした。
写真を撮りつつウォーキングをしていた私は、道の脇にひとむれの曼殊沙華を見つけました。
秋も半ばにさしかかる時期、曼殊沙華はすでに色あせています。
いつものように目を伏せて通り過ぎようとしたところ、
「あれ、美しい・・・?」
白茶けた曼殊沙華が、夕暮れの光の中へやわらかく溶け込んでいるのです。
こがね色の西日のせいなのか、秋の澄んだ空気のせいなのか、力の抜けた蘂さえもなんともやさしいフォルムに見えます。
燃え立つような深紅を連ねて自己主張を続けていた曼殊沙華が、ゆったりと秋の風景に馴染んでいるのです。

色あせてゆくこと、衰えてゆくこと。
負のイメージしかなかったそれらの、わずかな正の部分を見ることができた気がして、私はその場に坐って、うろこ雲と一緒に末枯れの曼殊沙華の写真を撮りました。

ほんの少しの要素で、ものの見方は変わることがあるのですね。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

真柴みこと


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