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(正)

この記事は昨年11月23日に書いたものです。


つい先日、「正欲」を観てきまして…
なかなかにインパクトが強い内容でありました。造形美を感じられる映画で、映像作品として私はとても気に入りました

これを観た観客の人達は、どんな思いで劇場を後にするんだろう?というのが、一番最初の私の感想でした

また、ラストを見た後の意外と言うか
突き放されるような結末に対し、

どれだけの人がそのラストを飲み込めたのか?消化できたのか?納得して帰って行ったのか?というのが、少し頭の中に疑問として残りましたが、その後各々で考える良いキッカケになるのかなという点で、一旦は落ち着きました


さて、わたしは原作をまだ読んでいないため、どこが話の焦点で、また、中心点となり広げられているのか、憶測でしか判断つきませんが、映画のみでの感想で
きっと内容としてはこうだろうということで書きます

①貧困

②性癖に対する美意識、極端な偏見

③格差社会への警鐘

④情報格差

⑤フェチズムへの捉え方

⑥ペドフィリア(小児性愛者)

⑦家庭内暴力(DV)

⑧価値観の相違

⑨共依存

⑩アダルトチルドレン

他にも掘り出せばまだまだありますが
色々な社会問題をギュッと詰め込み、
そんな中で生きる人々について描かれた作品のように感じました

情報格差から、様々な偏見や誤解が生まれてくる中で、人々の価値観のズレというものが生じやすいところではありますが、
ネットワークを使うことにより、その価値観のズレもまた、補える場合もあるのです。

主人公の性欲あるいはフェチズムが、水にこだわる事によって表現されていますが、それもある種のこだわりというか、幼少期から培われてきたもので、そこに行き着いた先が、主人公の彼女にとっての「水」だった。

このことを受け入れるのに、やはり関わりというものと、理解が必要になってきます。
ここで性癖について敬遠してしまう人がいた場合、そもそも主人公たちのフェチズムを受け入れられず、関わるのを拒絶してしまうことでしょう。

作品後半になればなるほど、主人公の居場所が減っていく様が要所要所で見受けられ、ラストは水への拘りを理解してくれるパートナーとの家だけが居場所となり、

それをロミオとジュリエットのように美しいふたりと捉えるのか、はたまた孤島の中のふたりと捉えるのか

私はこの映画を見ていて、社会から分断される方に進んでいく様子に見えました。映画に携わった方々の意図にそぐわなかったら大変申し訳ないのですが、少なくとも私にはそう捉えることが出来ました

その理由としては、主人公が学生時代、社会人となるにつれ、交流する人数が減っていったからです

その過程も絶妙に表現されていました

共依存とも呼ばれますが、同じ屋根の下で共通のフェチズムを共有できる相手として暮らすことになりますが、それを異質と取るのか、理解者として取るのか、はたまた受け取り次第ですが、描き方として満足した幸福感に包まれてるように見せていなかったように私は思いました

理解者がお互い1人しかいないとなると、相手に全てを委ねるという意味合いになるため、依存性が強くなるという懸念と、精神的な自立をお互いしなくなるという恐れも生じてきます

セリフで所々そう捉えれるものが繰り返し出てきており、まるでボニー&クライドのようにも見えました

その後の展開はまた驚きがありましたので、詳しくは作品をご覧下さい。

かなりこの映画は、真っすぐに、ダイレクトに映像として訴えかけてくる場面が多々あるため、怖いという印象が残る人もいるのではないかな?とも思いましたが、

映像としてとても綺麗なシーン、
例えば主人公が水に身を委ねるシーンなんかは、水の揺らぎや、揺蕩う様がゆったりとしていて、とても優雅で綺麗でした。主人公の新垣結衣さんが、水と共鳴しているようで、とても美しく見えました

偏った性癖には、必ずしもバックボーンが存在するし、存在しないケースもあるかもしれませんが、この映画を通して思ったことは、理解することと、受け入れることは別なのだと感じました。

多種多様な世の中において、全てを受け入れる社会では無く、そんな中で生きていかなければならず、理解してくれたと思った相手にはもっと別のパンドラの箱が用意されていた、生活には貧困が付きまとい、情報をある種遮断することで自分の世界に閉じこもることが出来る。

それはある意味正しいようで、社会との隔離を意味するわけなので、危険にも思える。


様々なことを頭が駆け巡るこの映画は、
落ち着いてゆっくりもう一度みたい、そんな映画でした。


それでは。


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