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銭湯で胸筋震わすオヤジにも人生がある

3連休の中日。このままずっと家にいるのもどうかと思い、手軽にリフレッシュできそうなスーパー銭湯へ。

これまでもたまに利用していたスーパー銭湯。自宅からさほど遠くない位置に立地しているが、出不精な僕からするとそれなりに強い意気込みがないと行かない場所だ。

実際その日の午前中は、銭湯に行くか行かないかで悩んだだけの時間を過ごした。悩めば悩むほどに意欲は減退していった。

ただ、どこにも行かなかった3連休の最終日の夜の切なさを思うと、何だかいたたまれない気持ちになってきた。最終日の僕を救うために意を決して銭湯に向かった。

銭湯はやたら人が多かった。とっさに「帰りたい。プライムビデオ見たい」と思ってしまったが、ここまできて引き下がる訳にもいかず男湯ののれんをくぐった。

浴室に入り、身体を洗い、内風呂に浸かる。いざ湯船に浸かってしまえばこちらのもので、やはり気持ちがいい。

しばらくぼーっとガラス越しの露天風呂の方角を見ていた。たくさんの老若男が湯に体を浸している。露天風呂の周りに設置されているチェアに座るひとりのおじさんに目が留まった。

少し寂しげな頭髪に対し、身体は日に焼けて筋肉質。あだ名を付けるとしたら「絶倫」の2文字の他に思い当たらない。

僕がなぜこのおじさんに目を留めたのか。彼がずっと自らの胸筋をピクピクさせていたからである。よくマッチョな人が得意げにやるアレである。

本能的に悟った。あの人はきっと「目を合わせてはいけないおじさん」だ。胸筋をピクピクさせながらニヤついているおじさんとは目を合わせてはいけないに決まっている。

いや、もしかしたら彼の向かいに彼の知り合いがいて、ギャグとしてその人に向けて胸筋をピクピクさせているのかもしれない。真相を究明しなければいけない。よく分からない使命感と野次馬根性を携えて僕は露天風呂へ向かった。

おじさんと向き合わない位置に陣取る。ただどうしてもおじさんの様子が気になる。絶対に目を合わせてはいけないので、平静を装いながらチラチラとおじさんを見る。

やはり胸筋を震わせている。どう考えても意図的だ。「胸筋をピクピクさせよ」という電気信号がおじさんの脳内のシナプス間で伝達されている。

おじさんの正面に座っている2人組の若人を確認する。おじさんの挙動に気づいているのか、下を向いて笑いを堪えているようにも見える。雰囲気からしておじさんの知り合いではなさそうだ。若人2人以外におじさんの正面にいる人はいない。

やはりおじさんは不特定多数の人間に自分の胸筋を見せつけようとしている。3連休の中日にとんだ無差別テロだ。

しばらく胸筋を震わせたおじさんは、満足したのか浴室を出て行った。


何がおじさんを突き動かしていたのだろう。
湯船の中でおじさんの背景を想像してみる。



俺の名前は田中重治。
鉄工所の現場リーダーとして月から土まで働いている。最近ハローワークからの紹介で20代の若い男が会社に入ってきた。何を言ってもろくに返事をしないし、何を考えているのかさっぱり分からない。バカにしてんのか!と怒鳴りたい気持ちを日々押し殺している。

明美というひとり娘がいる。フィリピン人の妻サマンサとは離婚しており、親権は俺が持っている。離婚の原因は彼女の不倫だった。

思春期になる明美からは臭いだなんだと煙たがられる。小さい頃はお父さんお父さんと甘えていたのに。これも成長かと自分に言い聞かせるが、切ないものは切ない。

唯一の趣味は仕事終わりに公園で体を動かすこと。懸垂は毎日50回。おかげで身体は筋骨隆々である。

生まれてこの方自分の取り柄など分からないが、筋肉があるだけで自信になる。会社の若い奴や娘にどれだけバカにされようと俺には筋肉がある。筋肉が俺の心の鎧なのだ。

今日は銭湯にやってきた。福利厚生の一環で会社からたびたび回数券が支給されるのだ。

俺にとって銭湯に行くことは、鍛え上げた肉体を披露することでもある。

ご来館の皆さま、どうぞ俺の肉体を見てくれ。
パワー。
ほら見てくれ、胸筋をピクピクさせられるんだ。
パワー。
胸筋見るのか見ないのか、どっちなんだい。




終盤はもう完全にきんに君だったが、おじさんが胸筋を震わす背景にはこんなことがあったはずだ。筋肉はおじさんの心を守る砦だったのである。

僕はおじさんの心の砦を目の当たりにし、ひどく動揺し拒絶したのである。おじさんに申し訳ない。

もし今度おじさんに会ったならば、こう伝えたい。


肩にちっちゃい重機と大人の切なさ乗せてんのかい。












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