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想像以上のことがやってきた思い出

最初に就職してから、23年くらいたちました。その間、転職をたくさんして、たいていは自分から仕事に応募するのだけど、仕事をしていると、向こうから仕事の話が来ることがありました。中でも2回、とても大きなお話が来て、でも自分の準備ができておらず、お断りしたことがあります。後悔しているわけではないのですが、それを受けていたら私の人生どうなっていたんだろうと思うことがあります。その2回について書いてみたいと思います。1回目は私が地方の国立大学で働きながら、中国語を学んでいた時。その大学の中国語の専門の先生と知り合って、日本語、中国語、英語の三か国語の辞書を一緒に作らないかと誘われたのです。でもあまりに中国語に自信がなくてお断りしました。三か国語できる人が珍しいのはわかるけれど、その先生が私の実際の力量を見てお願いしてくださったとは、とても思えませんでした。どちらかというと、単に、三か国語に興味があって、コミュニケーションがしやすい人、みたいな感じではなかったかと思います。今思えば、辞書を作る機会なんて滅多にないチャンスだし、お話を聞いてみればよかったのかもしれません。大きな話でも気軽に周りの人に声をかけることってあるのですね。辞書を作りながら中国語を勉強すればよかったのかもしれません。でもそれをやっている自分が想像できなくて結局お断りしたのです。
もう一回は日中韓の三か国の学術雑誌を作る仕事のお話でした。それは、韓国のアカデミーからの提案で、こういう構想があるから、日本側として手伝ってほしいと出張した時に言われました。上司に報告したら、上司は、「君の所に話が来たんだから君の仕事だ」と言いました。でもその時、私は自分の仕事で手いっぱいで、新しい仕事を追加することは考えられなかったのです。大きな構想で、実現したら素晴らしいのはわかりますが、結局上司には「私は窓口的な役割でこの仕事の話を聞いてきました」と伝えこれもお断りしたのです。
こうして考えると、その時にお受けしていたら、仕事の幅がぐんと広がったのは確かです。その時にやっていた仕事を少し減らせないか検討して、新しい仕事を加える方法を探してみればよかったのかもしれません。でも二つとも、なんというか、とっても大まかな感じの話として私のところにやってきたので、わくわくするよりもできない理由がすぐに浮かんだのです。お受けしても、途中でうまくいかなかったかもしれないけれど、やってみたらよかったのかもしれない、と今ならわかるという感じです。その点だけがちょっと心残りです。

結局、仕事をしていると、自分の想像以上の展開が待っていることは時々あるし、それを受けれるかどうかは自分次第ということですね。すごい熱心なオファーではなくても、その場にたまたまいる、適材というだけでもチャンスは来ます。欲張りになる必要はないけれど、全然期待していないときにやってきたこの2回のことを時折思い巡らせて、現実に埋もれて自分の考えが狭くならないように気をつけなくちゃ、と思う次第です。

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