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執着心を捨てろ

いざとなった時、執着せず、簡単に何かを捨てられる位の心持ちでいるべきだ。

捨てることにも覚悟がいる。

執着することによって物事を見えなくしてしまうことがある。

執着を捨てることにより、物事が明確になることもある。

執着は粘り強さとも思えるが、自身の成長を阻むこともあると思う。

自身にとって益にならない執着は停滞を意味する。

その停滞が長ければ長い程、それに費やした時間への後悔の念が大きいのではないだろうか。

果たして執着は自己を成長させるであろうか。

執着という言葉を当てはめねばならない通り、見当違いのこだわりの可能性も高い。

それが自身にとっての欲望の現れなのかも知れないが、その欲望すら間違っている可能性がある。

だが大抵の場合、薄々は本人は気付いているのであろう、間違った執着をしているのではと。

このまま執着しても何も起きない、何も変化しない。

ただ、何かしらの自身の理由によって後に引けない場合もある。

その時は自分の感性に従い、違っているなと思ったら、さっさと自身が引くべきである。

引くのであれば早い方がいい、勇気をもって自身の感性に従い、そのことから手を引くべきである。

または、自分のペースで関わっていくべきである。

決して振り回されてはいけない。

執着は無駄である。

引き際が早い方が、得るものも多いはずである。

執着することは、何か自身の中で弱い部分があるのであろう。

それであれば、その弱い部分を洗い出し、それを克服する方が自身の成長を促す。

自分と闘うのである。

自分と闘い続ければ、自身にとって本当に何が必要か、そして何が不必要かが見えてくるはずである。

執着することは自身の助けにはならない。

執着心を捨てられる精神こそ自身を助けるのである。

自ら深みに嵌っていくことはない、誠の道に進むべきである。

執着心を捨てれば、正しい道を歩ける。

本当の意味での自分に正直になれる。

それが自身にとっての幸せではないだろうか。

他人が決めるのではなく、自身で決断するのである。

そうすれば、自分の真の道を歩くことができると信じている。

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