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私と「踊ること」はどのような関係性なのかいまだにわからない


タイトルの通りである。

私は踊ることが好きなのは確かなのだが、踊ることをどう捉えているのか、ここ10年弱でよくわからなくなった。

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あ、この名前になってからnoteを書くのは初めてでしたね、

ということで一応自己紹介をしようとおもいましゅも。(前世の名残が…ん)


「岩浦ななか」


という名前の人です。

私をどんな人か説明しようと思うと、そのちょっぴり大分変わった遍歴がゆえに要素が多すぎて軽く3000文字くらいになりそうなので、超絶ざっくり書くと、

・GMBプロダクションという事務所に所属させていただいていて、今後、お芝居だったり広告だったりモデルだったりとマルチに活動したいなあと思っています。今はお芝居の楽しさに気づいたので、いつか人の心を動かすお芝居ができる人になるのが現在の目標です。前世にラジオでレギュラー番組やらせていただいたりしていたので話すお仕事もやりたいです!意外とMCとかの回し役や告知になるとちゃんとした話し方で喋ります🗣️

・前世は全然違う名前でアイドルしてて、桃の妖精さんにお供してもらってました🍑🧚1期生としてデビューして、ライブの他に@JAMなど対バンに出させていただいたり、冠番組を持たせていただいてました🎤

・現役時代に理科大に何となく入って(本当は上智の心理か慶應のSFCに行きたかったけど落ちたのです、あ、理科大に入れたのは多分教授と好きな結晶が一緒だったというただそれだけの理由です)、ノリで辞めた後にぼけっと受けた東京学芸大に今はいます🏫教育の中でも心理学が専攻です❤️‍🩹

・HSPです。あと基本几帳面できっちりかっちりが好きです。とってもとっても繊細さんですが、そのぶん皆様のあたたかさを人3倍くらい感じられます🥰(詳しくは1個前の記事見てにゃん)

・普通に比べて手先は割と器用な方だと思います。お菓子作りとかヘアアレンジが好きです🍪(Tiktok見てみてね👀)

・文章を書くのが好きです。得意?かはわかりませんが中学生の時に友達に泣きつかれて書いた作文と自分の作文が両方ともコンクールで入選しました笑 ちなみに塾講でよくやってたのが小論文の指導だったりします。 

・今年の3月くらいまで自覚なかったのですが周囲からかなりの確率で不思議ちゃんと思われていることに気づきました。結構変人です。多分きっと良い意味です。


ざっくり、と言いつつまあまあな量になりましたが、大体こんな感じの人です。

noteは前世の事務所でお仕事として書いてたり、アイドル時代にブログを書いていたりしたのですが、このnoteは完全にななちゃんの趣味で頭の中爆発ワールドなので気まぐれちゃんです。ご承知を🙏


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私が「踊る」ということに出会ったのは、確か10歳だか11歳の時だ。

当時、何かでアニーかライオンキングかどっちかを忘れたけど、その子役さんのオーディション密着的な映像を見た。丁度おんなじくらいの子の姿を見て、何となく、本当に何となくこうなりたい、と私は思ったのかもしれない。

よくあるビビッと来た、みたいな強い確信ではなかったけど、情報収集魔(今でもそうです)な私はとりあえずそれが何たるかを調べまくっていわゆるミュージカルというものだということを知り、ミュージカルにはダンスと歌と演技が必要だという知識を手に入れた。そして、そのダンスがとりわけジャズダンスというものだということもわかった。

だから、ミュージカルに出てみたい、と安直にではなく、近所のどこでジャズが習えるか、どこがお安いのか、レベルはどんなもんかを調べた上という小4〜5の域を越えた周到さで(昔からそんなタイプなのだ)ジャズダンスってものをここの教室で習ってみたい、体験に行っても良いか?と母に尋ねた。

そして、そのお教室に見学に行くことになった。

のだが、


見学が終わって言われたことはこうだった。

「ジャズのクラスは基本大人の方が中心となっておりまして…まずバレエから始めるのはどうでしょうか…?」

と、いう訳でちょっぴり私は落胆した。あー、どーしよ、なんて考えた。


ところが、数日後にはバレエ教室に行くことになっていたのである。そこは見学に行ったダンススクールではなく、妹の幼稚園からのお友達が通っているという、ホームページもないような、小さな小さなお教室だった。

古びた、と言うとあれだけど、昭和のいつかに建てられた木造の平屋の半分を改装したところがお教室になっていて、本当に1人のおばあちゃん先生の自宅兼、と言う感じだった。

床はもちろんリノリウムではなく板張りで、エアコンなんてなくて、3匹猫が居て…

床が木なのでトゥシューズを履く時は松ヤニを踏んで、帰る前に先生のベッドの上で東京バレエ団のDVDを見て、日曜日のレッスンの後はみんなでレオタードのまま先生のお家全部の床を雑巾掛けして…

発表会なんてなかったけど、たまに老人ホームに慰問に行く時は、全部先生の手作りのお衣装がお教室中に吊るされて、お衣装の森みたいになるような、

そんな場所が、私のダンスの原点だった。

そして、バレエが全てのダンスの基礎だということなんてのも知らずに、私はいつの間にかバレエを習うことになった。

そしてそして、のめり込んだ。


水、金、日曜日がお教室が開く日だったのだが、1番小さい子のクラスから1番上のクラスまで週3日フルで受けに行くくらい、バレエのことが好きになり、小学校でも授業中勝手に指がステップを踏んでいた。笑

大体バレエって王道コースだと3歳とか遅くても小学1年生くらいまでに始めるのが普通かなあって感じなので(もちろん大人から始める方もたくさんいらっしゃるけど)、11歳そこらで始めた私はかなり遅いスタートであった。

でも、そんななのに始めて3ヶ月でトゥシューズバリバリ履いちゃうくらいに上達するような程、バレエが大好きだった。(※トゥシューズって危険なものなので、3歳からやってた子も10歳くらいになって基礎と身体が出来上がってから普通は履くものです)


でも、中学校に入学して、忙しすぎてバレエを諦めた。たった2年ほどにも満たないくらいのバレエ熱中期間だった。


その代わり、ダンス部に入った。私が最初にいた中学校は中高一貫の女子校で、部活も中高合同で、全国大会に出るような強豪校、バリバリ縦割り上下関係部活って感じで、今度はそっちに全力投球だった。進学校ゆえの大量の宿題とテスト勉強、実行委員とかクラス長(今じゃ絶対ないけどここまでは超積極的にそんなのをやりたがるタイプだった)、ハードな部活でフル稼働って感じだったけど、それが楽しかった。

そうだった


それなのに

中1の終わりに、ちと大病になった。体育すらできない身体になった。学校も辞めた。勉強以外の全部に無気力になった。(ついでに、転校した学校で運動できないから頑張ってペーパーテストで満点取ったのに、3しかくれなかった体育教師のことも超嫌いになった)


そんな感じで、ダラダラと中学校を卒業したんだけど、心のどこかにやっぱりバレエが好きだなって気持ちがあって、チャコットさんが夏休みに開催するバレエ衣装デザインコンテストにイラスト描いて応募して、ありがたいことに入賞してミニチュチュを作ってもらったりしてた。(実はイラスト描くのも好きで、大人になってからも応募して2度も作っていただきました、今でもすごく大切にしてます、ヘッダーの画像がそれ!🩷💛❤️)


そして私は高校生になった。

この頃には、ある程度普通の生活を取り戻していた私が入ろうと決めた部活は、応援部(チアリーディング部)だった。なんでなのかはわからないけど、そこもまた全国行くのが当たり前みたいな強豪校で、毎日先輩にビクビクしながら頑張って部活をしていた記憶がある。

チアってチアリーディングとチアダンスの2種類あって、チアリーディングはスタンツっていう組体操みたいなやつがメインなんだけど、他にもコールとかダンスとかが組み合わさって演技を作っていく競技で、なんだかんだでやっぱりどこかしら「踊る」ってことに私は関わっていた。チアは初心者で入って、運動神経の悪さゆえに出来なさすぎて毎日めちゃくちゃ怒られて、泣きながら電車乗って帰ってた。それでも最後は全国大会にチームで出場できた。

でも結局、諸々の事情で、引退前に私はチア部を去った。その後も、社会人チアチームで細々とチアやってたりしたんだけど、リズムに乗って身体を動かすという何とも言えない高揚感からは、長らく遠ざかっていた。

どことなく、物足りなかった。

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月日は流れた。

大学生になった私は、何故かアイドルになっていた。(その経緯は前記事参照→ https://note.com/01momo_miffy811/n/n50df020eb34b)


今まで「好き」だけでやっていた踊りが「仕事」になった。

当然の如く、ある程度のクオリティが求められる。

これは卒業の時にも、それ以前にもいく度言われたんだけど、デビュー前に初めて水野先生にお会いして、自信がなさすぎて、「私、できないんです」って言ったのが印象深かったみたいであった。そのくらい、人前で踊るということに対して不安があったし、他の子を見ていると、自分がここにいてはいけないんじゃないかって思うくらいに心が締め付けられる気がした。

でも、頑張った。実のところ、割と、結構、超私は負けず嫌いだから「アイドル」として踊れるようになるまで年単位でかかった、というかもしかしたら結局卒業までそれはできていなかったのかもしれないけど、マネージャーさんとかに怒られつつも、先生のアドバイスを元に、必死になった。上手くないかもしれないけど、アイドルとしての自分になりたかった。結果、段々と認めていただいて、少しずつ前に出していただいたり、センター部分をいただけるようになったし、プロデューサーさんにもファンの方にも上手くなったなと言っていただけた。

私は振り覚えも立ち位置入れるのもべらぼうに遅い。アイドル2年やった結果今はこれでも大分早くなった方なのだが、本当に全然頭に入って来ない。私は文字媒体を覚えるのは得意なので、歌詞はあっという間に覚えられる一方で、たまに3回くらい動画で動きを見たら覚えられるみたいな人いるけど、ちょっと何言ってんのかわかんないレベルで多分脳みその使ってる部分が違うんだと思う。真面目な話、最低10回くらい踊ってみないと振り入らないし、3回レッスン受けて足りないくらいだし、動画とかで覚える時は0.5倍速とかにしないと無理なのである。だから踊ること自体は好きだけど、TikTokとか撮るの今でも積極的にやりたいとか思えない。(覚えられなさすぎてヤキモキする上にかけた時間の割にクオリティがどうにもならないことを身に染みてわかっているから)

そんな感じだったんだけど、あることがきっかけで「踊る」ということがどうしても怖くなった時があった。自分のダンスに劣等感しか感じられなくて、日々悩んだ。それでも、踊ること自体は楽しかった。


悩んだ。悩みまくった。このままアイドルをするのか、新しい道に進むのか。

気分がどうにも沈んで沈んでしょうがなかった。


そんな時、本当に何か気分転換になるものが欲しかったのと、お仕事の幅が増えたら良いなあ、なんて思って、ある日、ふと思い立ってミュージカルのワークショップに行った。

その時感じたのが、

「踊るって楽しい」

久しぶりに心から湧き出した感情だった。バレエに出会って、日常でバレエのことばっかり考えてたあの頃と同じ感覚を、私はいつぶりかわからないくらいに思い出した。

もちろん初めてその場で習った振りだからできないし、何となくそれっぽいことをしているだけだったんだけど、みんなでリズムをとって音楽を聴いて身体を動かすって楽しさを純粋に味わった。


私は、踊るのがやっぱり好きだった。


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私は、アイドルを辞めた。

結果的に言えば、踊ることは仕事ではなくなった。

でも、逆に踊る回数もそしてそのジャンルも大きく広がった。

ワークショップに行った先でバレエを再び始められた。久しぶりすぎて身体は動きに動かなくなっていたけど、バレエをやることがやっぱりどこかしらで私の軸になってくれた。

加えて、10年越しにジャズをやることができるようになった。私の踊りのきっかけとなったところに、やっとやっと辿り着けた。ついでに、今まで全くご縁がなかったテーマパークダンスにトライしてみて、あ!これだ!と思った。アイドルに似た感覚じゃないけど、目の前にいる人をいかに楽しませるかを身体で表現することにプラスして、何より踊っている自分が楽しくなれるのがテーマだったのである。


先日、発表会を観に行った。そこでは、みんなが輝いていて、上手い下手じゃない、踊るって素敵だなって純粋に感じた。

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私は今、踊ることを趣味としているのか、仕事のステップアップとしてやっているのかその距離感はいまいちよくわからない。今でも振りを覚えるのは一向に苦手なままだし、上手くできなくてうがーってなるし。

けれども、1つ言えるのは「踊る」ことは私のどこかにあるんだろうなということである。

上手じゃないかもしれないけど、それって多分関係ない。

そう思うのだ。

ダンスとの距離感はいまいち掴めそうにないけど、それでいい。

それがいい。

自分に嘘はつきたくなかった。


私は踊るのが好きだ。

たとえ身体が思うように動かなくなろうとも。




やっぱり、

「バレエ大好き!!」


(最近松浦景子さんのバレエ大好きTシャツが欲しくて欲しくて本当に買うかどうか迷ってます…あ、ちなみに私はけっけちゃんファンで、サイン持ってるくらいに好きなのです💓🩰)

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