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noteでよかったこと。

noteの記事を書こうとしたら、いつも書こうとしていることや、興味のあることを検索して、人の記事を読んでしまいます。

そして面白そうな人を見つけて記事を全部読んでみたりしていると、書く気力はどこへやら…。

あと、書く時も考えますが、他の人の書いた記事を読んで考え込んでみたり…。


そういう「一時停止」する時間があることが、noteでよかったこと。
自分が発信する時も、人の意見を受け取る時も、一時停止するスペースがある。


それは、考えるスペースになる。


「遅いインターネット」の記事にもあったように、次から次へと情報が入ってくると、考える時間がなくなってしまう。

文章、写真、動画…なかでも動画は一度にたくさんの情報が脳に入ってくる。しかも何度も繰り返して。だから無意識に奪われる。

それって結構怖いことだなって、最近改めて思った。

不安を煽って、解決策かのようにさせたいことを提示する。怒りを煽って、誰かを攻撃させる。


…例えば煽られるがままに行動した人。その人はそれで何か得したのでしょうか。

恐怖を回避出来た?

それはその人が感じる必要のなかった恐怖や不安なのかもしれません。

恨まれるのは?

煽られて動いた、その人かもしれない。

得したのは?

顔も見えない、煽った人かもしれない。


側から見れば「?」しか浮かばないような行動をする人は、追い込まれているのかもしれない。

だけど、その人に冷静に考える時間があったなら…。

考えるって、ものすごく大事なことだと思います。改めて書くまでもないくらいに。

そういう隙間を与えてくれる文章が、誰かの文章をカラフルな広告で遮られることなく読めるnoteが、いろんな人が考えて、本音で書いているnoteが。


好きです。



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