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「推し」の世界(?)

毎週テーマを決めて、みんなでnoteを発信するキャリコンサロン編集部マガジン
の日曜日担当荒巻です。
今回のお題は#わたしの推し 
『推し』がいない私は『推し』について考え、みんなの『推し』の話を聞いてみました。お楽しみいただけたら幸いです。

「推し」って何?

私は今まで、誰かにもしくは何かにハマったことがない。
周りの友人たちが次々とジャニーズや韓流のイケメンにハマっていく中、何故か一歩引いてしまって仲間入りすることができない。
別にカッコつけているわけでもないのだが、「大好き」から「ハマる」への一線を越えることができないでいる。

そもそも、『推し』ってなんだ?

「推し」とは、他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。                   デジタル大辞泉(小学館)

また特に、アイドルや俳優、アニメやゲームのキャラクターなどを深く愛するオタク用語である、との解説もある。起源は、「モーニング娘。」のファンから、なんていう説もあるらしい。
何かの統計で読んだけれど、数年前までは「オタクである」ということはどちらかというとネガティブに捉えられがちだった。しかし昨今ではそんな日陰なイメージはなく、10代〜60代までの男女にアンケートを取ると、約20%の人が自分は何らかのオタクである、と認識しているらしい。

私の周りにもオタクはたくさんいる。
同年代の友人で最も多いのが、ジャニーズかBTSなどの韓国系アイドル。
彼女たちは娘と一緒にオタ活を楽しんでいることが多い。
そして彼女たちは経済的にも余裕があるため、『お布施』の額も半端ない。
あるママ友は、嵐のハワイツアーに娘3人と一緒に出かけてオアフを豪遊してきた、なんていう武勇伝も持っている。
びっくり。そしてその思い切りの良さが羨ましい。

面白いのが、母と娘では『同担』にならないらしい。母はさりげなく娘に譲っちゃうんだって。

しかし、『推し』は『恋』とは違う。
恋は独り占めしたいものだけれど、推しはみんなで共有してキャッキャして楽しむものなんだとか。そのためには、遠征も課金も厭わない。
『推し』は、「推し」という愛し方なんだそうな。
ナルホド!

愛し方の多様化?

わたしが少女だった頃(どっぷり昭和ですが何か?)アイドルへの想い、いわゆるファン心理は異性への憧れであることが多く、恋心の擬似体験だったのではないかと思う。
「マッチと結婚したら、近藤○子 になっちゃう〜」
なんて言っている女子もたくさんいたw
マッチ派vsとしちゃん派 、もしくは聖子ちゃん派vs明菜ちゃん派なんかに別れて、ライバル意識を燃やしたりしていたのは、『推し』の黎明期かもしれない。

時代は過ぎて、アッシー、メッシー が出現しては消えていき、憧れの対象をシェアする『推し』の時代になったのだろうか。

そういえば数年前まで、一部の女性アイドルオタクは自分のお気に入りのことを『俺の嫁』と呼ぶことがあった。今ではほとんどこのような表現は聞かない。

そう考えると、現代人の他者の愛し方は、独占するものからみんなでシェアするものに変化しているのかしら?

「推し」はQOLを向上させる?!

何度も言うが、『推し』は恋愛対象ではない。
それでも現実の恋人以上に、その行動や発言を逐一チェックしてそれについての思いを仲間と語り合う。そして関連グッズを購入することで、より『推し』を身近に感じるのだとか。

『推し』への思いは恋愛よりも上位なのか、まったく別次元の話なのか?
愛することを恋愛にしか結びつけられない考え方自体が古いのかも。

思えば、昔のオタクは「独身男性」「暗い」「コミュ障」と言ったイメージがあり(個人的なイメージですm(._.)m)、自分がそうだと公言するのは憚られるような風潮があった。
ところが今では女性のオタクも増え、活発に『推し活』と言う名のコミュニケーションを行なっている。

何よりも、話を聞いていると彼らの『推し』を推すエネルギーが素晴らしい。
人はこんなにも他者のことを素直に愛し、全てを肯定するエネルギーを持っているのかと感動する。そして羨ましくなる。
それは、パートナーや子供などに注ぐ愛情とは、確かに異質のものなのだなぁと腹落ちする。

人もモノも、いろんな愛し方をできたら人生楽しい。
世間体や一般常識にとらわれず好きなものを好きと言える社会って『尊い』な。
そして、そんな共通言語を持って盛り上がれる仲間がいることで、自己肯定感もぐんっと上がる。

『推し』を愛することで、自分の世界が広がり、生活が楽しくなる。ステキ。

憧れの「推し」がいる生活を目指して

そういえば、うちの二人の息子もハマり症である。
特に長男は自他共に認めるガチの車オタクだ。物心ついた頃から、車の話以外ほとんどしない。
そんな彼に『推し』の話を振ると、意外なことに、車などの無機物のことは『推し』とは言わないらしい。
愛車は、自分の体の一部みたいな感覚なんだとか(!?)

次男の推しはイングランドのマウント(サッカー選手ね)、長男の推しはアイドルマスターの何とかっていう女の子。こっちは無機物じゃないの?というツッコミは置いといて、推しの話をする彼らはいつも以上に饒舌で楽しそう。

世の中は、どんどん多様性を増している。

『推し』とは、ただそこに存在するだけで人生を彩ってくれるものらしい。
ああ、わたしにもいつか目眩く『推し』のいる生活を享受する日が来るのかしら?
「大好き」の対象を同じ価値観を持つ人たちとシェアすることができたなら、自分の中の「愛する」ということの認識が変わりそう。

みんなの『推し』の話を聞くにつれ、ますます『推し』のいる生活への憧れが増していく。
もっと柔軟に正直に、一線を超えてみようか。
ちょっと歪んだ「わたしの推し」のお話。

#推し #わたしの推し #QOL  #自己肯定感 #キャリコンサロン編集部

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