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ノスタルジー、感じたい ⑩

第10回 特別編 :𝓛𝓲𝓯𝓮 𝓲𝓼 𝓑𝓮𝓪𝓾𝓽𝓲𝓯𝓾𝓵

 

 「師走」とだけあって私の職場も繁忙期に突入し、上司も先方もあくせく走り回っている。職場の窓から見える小汚い町工場がより一層痩せこけて見える。カーキ色の作業着のおっちゃんが肩を竦めて、それはそれは美味そうにタバコを吸っている姿を見る度に、紛うことなき"冬"というものを感じるのだ。かたや私は場末の食堂の古臭いテーブルの上で、230円の肉うどんを静かに啜る。

 年末というひとつの区切りに向けて、世間全体が加速していってるような、慣性の法則に任せて惰性運動を続けているような感覚。この感覚は年々私の感性を奪っていって、最終的に何も感じなくなる。私の豊かな感性は何処に行ったのだ、東京に行ったのか?誰か助けてくれというハンドサインを虚空に放ってみるけど、誰も助けてくれやしない。自分の星座すら忘れてしまうようなこの世間のスピードに見切りを付け、死んだ魚のような目をした魚のように、ただ流されるままだ。
 ときに、音楽はただの環境音に成って、本はただの文字記号の羅列になって。それは私の半透明な頭をすり抜けていく。私はどうにもこうにも、この澄み切った目を宙に浮かせることしかできない。待ち合わせの目印にしたイルミネーションにももはや何の感動もない。待てども待てども待ち人はこない、そしてふと、私に友人などいなかったことに気がつくのだ。いやそれは別に年末に限ったことじゃないのだけれど。

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 12月は何度か雨が降った日があった。ここしばらくの間、雨が降っていなかったこともあって、久しぶりに雨に降られると、どうしようもなく底冷えしたような気持ちになる。たまらなく冷たくて不快で、強力に抑圧することでしか処理できない不燃性の感情。
 焦点の定まらない目で駅の向かいのホームを睨むと、こちらのホームと同じように、凍えている人の列がある。猫でも飛んできそうな強風のために今日も電車は遅れていて、皆ただボウっと待ち尽くしている。
 それにしても冬は、みんな何かを思い詰めたような顔をしているような気がする。乾いたレールの上を滑りこんできた鉄塊の前に誰か飛び込むんじゃないか、といつも思う。入線してきた電車と共に吹きすさぶ風が、思わず私の目を背けさせた。

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 近所のスーパーマーケットに行くと、クリスマス商品と正月商品が激しく領土争いを繰り広げている様を見られるのが、年末の風物詩ともいえよう。1年の下半期の人間の物欲を私はちょっと舐めていたようだ。来年くらいはちょっと羽振りよく買い物でもしてみようかしら。

 適当に車を走らせると、昼時はどこの飲食店も車でいっぱいになっていて、窓側の席にはテーブルで向かい合う人々が見える。飲食店が盛況してるのは別に年末に限った話ではないけど、ファミリーカーで埋まった駐車場を見ると、いつもと違った感情が湧いてくるわけで。家族という共同体で食卓を囲むことが、今後の人生であと何度あるだろうか。

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 個人的な話になるが、私は今年、退職と転職を経験した。まさに"敗者復活戦"を成し遂げたわけだが、ようやくこの1年を生き延びたのに、また新たに1年もの月日が追加されてしまう。人生は全てのイベントが一発勝負、すなわち"事実上の決勝戦"、私にシード権などない。
 とにかく穏便に密やかに、身体を壊さぬように。疲れたら銭湯で全治癒すりゃいい。私はどうやら"無痛無臭無害2安打無失点顔"のようだ。防空壕の中で爆撃機が飛び去っていくのをただ待つような、別にそういうのでもいい。その穴の中でまたささやかな楽しみを見つけられれば、私はそれでいい。季節の到来を待つのもいいけど、季節が過ぎ去っていくのをただ待つこともまた、季節のノスタルジックな楽しみ方のひとつではなかろうか。いやはや、Life is Beautiful…!!

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 年の瀬のノスタルジー、それを感じられるようになったことは、私が少し大人になったからだと思う。

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