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2022年8月3日の日記

 夜21時過ぎの新大阪駅のコンコースを歩いていると、新幹線の発車時刻が記された電光掲示板に目が止まる。スーツケースを引きずった若者が出たり入ったり、この時間になっても10分間隔で東西に新幹線は出発していく。

 21時24分発東京行き、東京へ行く新大阪駅からの最終列車だ。この新幹線に飛び乗れば、日付が変わる前に東京に到着することができるのだ。「今から行くわ」と東京の友人に伝えてその2時間後には終電の去った街で飲むこともできる。

 それは至極当然のことなんだけど、未だにしっくり来ない。21時っていうと、1日のエンディングが流れ始めるような時間なのに、ここからさらに本編をまるまる鑑賞するような感覚。時間の可能性の話ではない、距離の非現実性がそれを惑わせる。時間と距離の相関性は、この現代ではほぼ無意味なグラフである。遠い場所に行くために多くの時間を費やすなんてのは今では非科学的思考の立ち位置にあり、"早く安く遠くまで"がトレンドなのは否めない。 

 かつては東京から鹿児島まで、約1500キロを22時間かけて向かう列車もあった。距離という成果を手に入れるために相応の時間を費やさなければいけない。それだけのこと。

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 ただ時間をかければ良い、というわけではないのは、この人生を20数年生きてきた私が一番よくわかっている。黄色い線の内側、未だに行き先表示すらされないようなこの人生に発車ベルが鳴り響くはいつになることやら。


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