2021年10月20日の日記
「秋は死んだ」。現代が生み出した愚鈍な厭世哲学者を自称する私であれば、夏が終わって秋への衣替えの時期に、この言葉を遺し絶望するだろう。秋は死んだ、日本に四季なぞ疾うにない。
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朝起きるのが億劫になりました。羽毛布団がわたしを離さないでと言わんばかりにタッチダウンをしてくる。当機はまもなくテイクオフします、がしかし冬季はその限りではありません...。エマージェンシーエマージェンシー、ドーンと行きましょう。
しかしこうも、季節の変わり目とは節操のない躁鬱のようなものだったのかね。10月といえば行楽日和、山も川もあの町も暖色に染まり始める、そんな季節だったはずだ。
今年の情勢を鑑みて、季節の神が冬の到来を前倒しにしたのだと思う。世間は正気を取り戻し始めているとはいえ、まだまだ油断はできない情勢下、ここに早めの冬を納入することで、より消費者の方々に冬を楽しんでいただこうという、冬の粋な計らい...。
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冬の学校帰り、駅前のコンビニでおでん70円均一セールの赤い垂れ幕。急ぎ足で駆け込む。レジ横にあるセルフ式のおでん。大小あるプラ容器の小さい方に具材をふたつ、だいこんとロールキャベツ。おつゆをヒタヒタに注ぐ、表面張力が働くほどに。付け合せのネギの小袋と割り箸を一膳。蓋を閉めて、140円を支払う。レジ袋に入れて少しでも冷めないようにそそくさとコンビニを出る。
零れないように、袋を揺らさぬように、かじかむ手と足でゆっくりと自転車を漕いで、ベンチしかないしけた公園に行く。ベンチにこしかけておでんの蓋を開ける。すでに日は落ちて夜に微睡もうとしている。フワッと立ち上がる湯気がビュウと駆けた木枯らしに消えていき、その殺風景の中にかすかな冬を見た。目の前を走っていく車から出た排気ガスの残り香が鼻に突く。枯れ草が音もなくそよいだ。
私が毎年思い出す冬は、いつだってあの鈍色の冬。
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