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2022年9月17日の日記

 日々加算されてゆく支払明細書の金額は、自分が営んできた生活の代償であると考えると、この明細書に刻まれた数値こそが自分の価値そのものだといえる。贅沢をしていないつもりでも、それなりに経済活動をしているとそれなりの金額になる。払うのが惜しくて震える手が差し出した万札が、紛れもない等身大の私だ。

 もう髪が伸びてきた。あのとき、躊躇せずにもうちょっと多めに切ってもらっていればよかった。月に1度のペースで美容院に行かなければ、社会から爪弾きにされてしまうような毛量なのが悪いが、どうせ同じ金額を払うんならいっぱい切ったほうが得、という貧乏思考からは一生抜け出せそうにない。

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 日が落ちるのが早くなった。吸い込む空気が軽くなった。ここから加速度的に日々は過ぎていくのだろう。仕事の裁量が増えて、友人との共通の話題が徐々に現実的な話になって、食事は脂身の少ないものになって、お酒は炭酸のないものに変わってゆく。日々のインプットとアウトプットのバランスは釣り合わなくなって、ため込んだものを消化できずに腐っていくのを見つめるほかない。イルミネーションがゴミになっていく。
 アイスティーを飲み干すまでもなく、ゆるやかに確実に変わっていくのだろう。4弦が切れたギターで、不安定なコードを鳴らすだけだ。


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