未完成婚で母になる!?#07 まずは馬になれ? -私はあなたの子がほしい-
食後のリビング、お気に入りのカラフルなソファに座りながら、私はAmazonから届いた本をパラパラとめくった。
届くのが楽しみだった本たちだ。
リビングの隅には、黒い仕事机と椅子。
雑然と積みあがった書類、よくわからないコードやパーツの上に無造作に置いたキーボードをカチャカチャさせながら、夫は今日もパソコンとにらめっこしている。
夫の前でこの本が読めるとは、2週間前まで考えられなかった。
本はこの2冊。
そう、妊活の本だ。
夫婦崩壊の一歩手前までいき、とりあえずこのままの生活で様子見の状態が続き、やっと再構築のスタート地点に立ったのか?という話ができたのが2週間前。
妊活の話なんぞ、当然できる雰囲気でもなかった。
が!!
検診のために行った婦人科で、私に大きめの子宮内膜ポリープが見つかった。
毎年受診していた婦人科で、今まで1回もそんな診断をされていなかったので、すごくびっくりした。
手術と聞いて最初はうろたえたが、日帰り手術とわかり、少しずつ気持ちが落ち着いてきたところで気づいたのだ。
あれ??
このポリープ手術きっかけに、不妊治療の話ができるじゃん!!!
すっごいラッキーーーー!!!
ポリープ、ありがとーーーー!!!
NGワードの気配すらあった妊活の話(私が勝手にそう感じていただけかもしれないが)、これを打開するためにポリープになったのでは!?
私は、今でもそう思っている。
その日の夜に、夫に「子宮内膜ポリープが見つかって、手術することになった」と伝えた。
一瞬びっくりした顔をしたが、日帰り手術と聞くと
「この年になると、ポリープよくあるよね~サラリーマンの間ではよく聞くな~。私も人間ドッグ、受けようかな~ポリープ見つかったりして」
……ちょっとは、私のこと、心配せんかい!!!
話のテーマはお前の身体のことじゃなくて、私の!!身体や!!
今までの私だったら、ここでまず何かチクリと言っていたが、ここまで散々色々あったので……もう、何も言うまい。
広い心を持て。
海だ。凪の海をイメージしろ。
その後、義母にポリープ手術の報告をしたのだが、これが功を奏したのか?
翌日、「もし、手術に付き添いが必要なら言ってね。仕事、休むこともできるから」と言った。
ワーカホリックの、あの夫が!
万年社畜の、あの夫が!
感激した。素直にありがとう。
でも、できれば次からは、最初からそう言って笑
私、ちょっと傷ついてたんよ?
まぁ、もういいけどね!!!!
1人で手術しようと思っていたけれど、素直に付き添いをお願いした。
かくして、ポリープ手術の話がうまくいき、いよいよ不妊治療について話すべきときが来た。
婦人科でポリープが見つかったときに、不妊治療の話もしっかり聞いてきた。
タイミングをはかった。
なるべく早いほうがいい。
よし、決行は夫が休み(と言いつつ仕事してるが)の今週の日曜の夜だ!!
話し方は、頭の中で何度もシュミレートした。
相手は、バリバリの理系夫だ。
努めて冷静に、淡々と、感情を交えず、妊娠の仕組みや不妊治療の進め方、私の現状、保険適用の制度について、婦人科からもらったパンフレットを開きながら説明する…
ここにきて夫はついに、私に残された妊娠可能期間がとても少なく、今すぐ動き出さないとまずいことを理解した。
うれしいーーーーーーー!!!!!
やっと伝わったーーーー!!!!!
このときを、どれだけ待ち望んだことか!!
夫が、不妊治療の話を素直に聞いてくれたのは、夫婦再構築というスタートラインに2人で立った、と確信できたからかもしれない。
そして、何よりも大事なことだったのは、不妊治療の話をする私が、穏やかで冷静だったことかもしれない。
私が穏やかに冷静に不妊治療の話をできるようになったのは、セックスすることと子供をつくることを切り離したからだ。
これについては、また別のときに書けたらと思う。
(2024年11月12日 追記)
セックスと子作りを切り離す過程を書きました。
マジで苦しい過程だったな…
こうして、私たちは不妊治療という険しい未知の道が続く、扉の前に立った…
と思っていたが、『「妊活食事法」コウノトリごはん』の本をペラペラと斜め読みしたところで、気になる言葉が目に飛び込んできた。
この言葉を読んだとき、蒼白した。
そうなのだ、前の記事に書いたように
馬どころじゃない。哺乳類でもない。
爬虫類でも、魚類でもない。
なんなら、雄しべと雌しべのある植物ですらない。
そのへんの草でもないのだ。
アメーバーだ。
単細胞生物である、アメーバーだ。
正確に言えば、夫ではなく「私が」ではあるが。
夫とのセックスが一度もないままに、未完成婚のまま子供を作るという覚悟はすでにできてはいたものの、じゃあそれでは「子供が夫との愛の結晶である」という感覚は、どこから生まれるのか…?
「この男の子どもが欲しい」
39歳、それなりの恋愛経験をしてきた私は、過去にその感情を持ったことがある。
その感情が湧き出したのは、まさに情熱的な情事の最中、そのときだった。
これはもう、「子孫を残せ」という、遺伝子に刻まれた圧倒的な本能から生まれ出るものかもしれない。
セックスによる快感、相手を愛しているという感情、相手も自分を愛してくれているという満足感、この男の子を宿せという遺伝子の命令…
このセットが与える快楽は強烈だ。
たとえ、子供ができた手段が最終的には人工授精や体外受精であっても、夫婦がセックスをしたことがあるならば、「この子は夫との愛の結晶」と思いやすい気がする。
本能が手伝ってくれる。
私たちは、この「本能のお手伝い」を一度も受けないまま、子供を授かる道の前に立っている…
子供を授かる道は長い。
不妊治療、妊娠期間、出産、子育て…
どんなに男性が協力的でも、女性側の精神的・肉体的・時間的負担は比べ物にならない。
その辛さを乗り越えるために、「私は、この男との子供を望んだ。この子は、この男との愛の結晶」という感覚が必要なんじゃないか…女は感覚と感情の生き物だ。
もちろん、私も目の前にいる夫との子供が欲しい。だからこそ、この未完成婚の状態に苦しんでいる。
だが、「私はあなたの子が欲しい」という言葉を読んで、背筋がすうっとした。
私には、その感情が……あるにはあるけど、確実にまだ「何か」が足りない………
愛に満ちたセックスから生まれる、本能には頼れない。
他の「何か」を探さねばならない。
そうでないと、これから始まる長い長い試練を、幸せに乗り切れない予感がする…
本のページを開いたまま、パソコンとにらめっこする夫の背中をちらっと眺める。
夫よ、まずはアメーバーから馬になれ…
んんんじゃなくって!!!
私たちには、まだ話し合いが必要だ。
何度も、何度でも…
この思いは、まだ夫に話せていない。
私たちのあいだには、セックスはおろか、キスも抱きしめることもない、一切のスキンシップがないままに、約2ヶ月が経とうとしている。
画像:カイ・ニールセン「白馬に乗ってスーシ王子を探しに出かけるミニョン・ミネット王女」のコラージュ
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