岡田レイ、京都に没す

『いや岡田レイって誰なん?』
と思ったnoteユーザー諸氏にはこの【YARADAKO】というnoteユーザー名がTwitterで長いこと利用しているスクリーンネーム【RAY_OKADA】のアナグラムであることを伝えるところから始めよう。伝え終わったので本題に入る。

この度、俺は平城の都奈良から平安の都京都へと入洛した。
奈良から京都への移住というこのイベントは、おそらく一般的な都道府県カーストに倣った価値観で判断すれば紛れもなく『ハレ』のイベントだろうが、この生活環境の変化ぶりを考慮すると、これはもう、『ケ』に類するのではなかろうか……いっそ、“没した”と言い表したい。

あるいは、『没洛』とでも呼ぼうか。



いきさつ

2022年4月。
1300年前より歴史を刻む万葉の古都アヲニヨ・シティ。またの名を奈良県に生まれ落ちて二十年と幾歳月。これまでの引っ越し先も市境を跨ぎこそすれ、県内を出ることはついぞ無かったのだが、仕事の都合により俺は奈良を出て京都に移住することになった。

そして、2022年8月。
思うところがあって仕事を辞めた。それはもう、すごい辞めっぷりだった。立つ鳥が軽蔑するほどに跡を濁して退職した。やってない仕事とか失くした備品とか、そのままにして退職した。

それはさておいて。
要するに退職を決めた時点で期間の長短はともかく、俺は無職の身で京都に住むことが決まったわけだ。
でもって退職すると決めたわけなので、会社が用意した賃貸物件を引き払わなければならず、今後の経済的などうのこうのを考慮し、退職の数ヶ月前に安い賃貸を探した。
京都はどこもかしこも地価が高いためか、なかなか手頃な物件が見つからなかったがなんとか探し出して契約し、やや場所を変えはしたが引き続き京都での生活を続けている。


終わりの始まり

こんな部屋で。

なぜそんな部屋を選んで契約したのか。お前のQOL水準はどうなっているんだ。どうぶつの森の初期部屋のほうがマシだ。と声が上がろう。上がった声に対して、俺は親指をチュウチュウ吸って爪をフニャフニャにしながらだって安かったんだもん。としか返せない。いや、本当に安かったんだもん。賃料の明言は避けるが、オードリー春日のアパート以下とだけ言っておく。

一応弁明をしておくと、さすがにこのまま生活しているわけではない。
ご覧のとおりimgurのURLに適当な文字列を打ち込んだら出てきた画像のようにきったねえ住居環境に加え、明らかに土足で踏み歩いた痕跡のある床板が張られたことによりフローリング全域が衛生的デッドスペースと化していたので、廊下にかけてあった箒で念入りに掃き掃除を施し、手持ちの手ぬぐいを雑巾にジョブチェンジして床板の表面の柿渋だか土埃だかを拭きとってひとまず横に寝っ転がれる環境には整えた。
その後、7月ぐらいに4畳半分のゴザをホームセンターで買ってきて敷設し、まあ部屋に入った瞬間にちょっとだけスーッとした匂いがする部屋ぐらいにはできた。なお、このアパートを契約したのは5月ということも附記しておく。
床板に直で敷いていた布団の木くずを払うのはやや手間だったが、まあ結果オーライだ。6畳一間の部屋に4畳半のゴザを敷いたこの結果をオーライと呼ぶのかどうかは怪しいものがあるが、まあちょっとずつ良くしていこう。

当座の目標は前の住民がわざわざ畳を剥がしてから張り替えたこの小汚い床板を剥がしてから改めて畳を張り、正真正銘の6畳間とすることだ。
そんぐらいのこと、いちいち目標にせずさっさとやれという指摘はもっともだが、畳屋の見積もりによるとこの部屋の間取りは何やら特殊らしく、畳を張る場合は床板を剥がす工賃に加え、特注品の畳をオーダーする必要があるらしかった。要は金がかかるのだ。
ゆえに現状はゴザで誤魔化しているのだが、江戸間以上本間未満という間取りの都合上、ホームセンターなどに置いてある規格品のゴザはそのサイズが部屋の幅にちょっと合っていない。
おまけにこの部屋は純粋な6畳間ではなく、6畳ぶんのスペースの一部分が下足脱ぎ場として中途半端にえぐり抜かれているレイアウトのため、くまなく畳を敷き詰める場合極めて変則的な形の畳を五畳半ぶんの畳に加え、別途オーダーしなければならない。京都のアパートなら間取りだって京間だろう。と踏んでいたのだが、とんだ誤算だった。
もしかするとこの条件であの賃料は安いどころかむしろ高いのでは?と薄々思い始めたのはこの見積もりを終えた頃だ。

一体、他の部屋ではどのような畳の敷き方をしているのか。不動産屋に「この間取りはなんだ。以前はどのような敷き方をしていたのか、それらの記録はあるのか」と問い合わせたところ「謎が多い物件のため、記録が一切残っていない」との返報を受け取った。内見のときに学生運動が流行っていた頃は中核派の巣窟だったらしいとかいういらん情報だけは伝えてきたのになぜ畳の敷き方ぐらい残っていないのか。「ふざけんな」と返信したいのをグッとこらえ、いったんやり取りを終えた。

部屋への不満

実はあんまりない。前住人の狼藉だけは絶対に許せないが、部屋自体に不満はない。現代人の生活なんてもんは電気が通ってりゃどうにでもなるし、水は水道代を共益費の名目で固定額を払っているので、炊事場に行けば使い放題だ。今夏は気が狂うほど暑かったがそれはエアコンの設置をケチった俺が悪い。むしろ周辺環境を鑑みれば快適と言ってもいい。チャリを飛ばせば銭湯にも行けるし安くてうまい飯屋もいっぱいある。
あるとすれば、アパートの設備への不満だ。

仔細は省くが、個人的に一番きついのがトイレが共用の和式しかない。という点だ。
赤ん坊のみぎりにおまるで用を足していた頃から、俺の排便には必ず便座という存在が付いて回っていた。一度「和式による排便を修得しよう」と思い立ち和式便所を跨いでから屈み込んだ姿勢での排尿を試みたところ、えらい目に遭った。それからというものの金輪際和式は使わないと決めていたのだが、どうしてかこの和式トイレしかないアパートを契約してしまった。本当にどうしてだろう。

俺は未だに和式トイレを克服していないので、限界まで便意を我慢しながら近隣をブラブラして過ごし、臨界点に達す前に近所のコンビニへ駆け込み、そこのトイレで用を足すという迷惑極まりない生活様式を実践している。
あだ名が付いたら嫌なのでいくつかのコンビニをアットランダムにチョイスしたローテーションを組んでいるが、来店のたびに便所を借りてはウーロン茶を買っているのでネームド・カスタマーになるのは時間の問題であろう。早急な和式トイレへの対応が求められる。あと、このままではそのうち腸閉塞になりかねない。
契約してすぐの頃は四畳半神話大系に出てくる下鴨幽水荘みたいだぁ。などと呑気に考えていたが、“下鴨幽水荘"の"下水"の部分だけ抜き出したような弊居のきったねえトイレにはほとほと参っている。


そこまで不満があるのになぜ借りた?

安いから安いからと言いつつも、こうも不満たらたらで引っ越す目途も経てずに住まい続けるのはマゾを疑われかねない。別にマゾヒズムという性癖自体を恥ずかしく思っているわけではないので躍起になって否定はしないが、noteユーザー諸氏からすれば貴重な時間をマゾ成人男性が劣悪な住居環境でクソを我慢したり貧困にあえいだりゴザの上で尻の谷間の痛痒にもんどりうったり炊事場の冷蔵庫に入れたアイスボックスを勝手に持ち去られたりする自虐談話を読むのに費やされるのは、『被害』としか言いようがあるまい。そうすると俺が加害者の構図になってしまい、それはマゾとして本意ではないので誤解のないように言っておく。

俺は自分を苦しめるためにこの安アパートに住んだのではなく、このアパートなら不便でも我慢できるし、不便さを差し引いてもなお余りある満足感を得られる、素晴らしい物件であると判断を下したので契約したのだ。なんなら、俺は本稿を『自慢』のつもりで書いているまである。冒頭で『ケ』だのなんだのと言ってはいたが、はっきり言って『ハレ』も『ハレ』だ。
古都に生まれ古都に育ち古都に通うこれまでの人生を過ごしてきたからか、俺は古い建物というやつが好きだった。
殊更にそれが現役の住居となるとつい立ち止まって注視してしまうような気質である俺にとって、ちょうど安い住まいを探していた折に見つけたこの物件の空きがあると知ったとき、「これはもう住むしかない」と内見に足を運ぶ前から決意を臍に固めていた。あと四畳半神話大系みたいでなんかいいなあと思っていた。家賃が安くて、立地がよくて、趣味に合うときたらそりゃあ住むに決まっている。

内見時、実は空き部屋が2つあったのだが、より古臭いほうである今の部屋を選んだ。もう一つの部屋は今の部屋と同じ間取りだが、床もちゃんとしたフローリングになっていて、畳の張替えもゴザを敷く手間も不要であろうことは瞭然で、客観的に判断すれば『いい部屋』はもう一つの部屋の方であろうことは論ずるまでも無かった。
それでも、もう片方の古臭く、頭をぶつければパラパラと粉塵が飛びそうな土壁の部屋に言いようも無く惹かれる自分が胸の裡におり、堂々巡りの熟慮を幾度となく脳裏で繰り返し、こっち。やっぱこっち。……いややっぱりこっちで。と今の古臭いほうの部屋を選んだ。客観がなんだというのか。住むのは俺なのだから、俺の観点である主観が優先されるに決まっている。

二転三転の末に下した俺の決断に対し、不動産屋の人は「僕もこっちを選びます」と真剣な顔で頷いていた。

不動産営業によるリップサービスと言えばそれまでだろうが、自分の主観に沿う客観的意見を聞いたその時の俺は、なんのかんの言って安心していた。

アパートの古い廊下で向かい合って契約の旨を伝えたあの時、一種の逃避的行動である『退職』が、少し前向きな何かに、静かな廊下で音も無く形を変えたように感じたのを覚えている。

ごめん。嘘だ。
そんなもん関係なく退職の日取りが決まった時点で俺はもう最高にウキウキしていた。ちょっと詩的な表現がしたくなったのだ。

かくして俺は幽水的な骨董住居を確保し、成れの果てに待つ自分の姿は、“私”か樋口か。はたまた小津か。とソワソワしつつ、数少ない知人から「どんなとこ住んでるの?」という質問が投げかけられるのを待ち、そいつに「どうだ。こんなアパートじゃ。物見遊山で来るんじゃねえぞ」と胸を張って答えてやる日を楽しみにしつつ、貯金をチビチビ使って食い扶持を探しながら京都をプラプラする日々が無情にも幕を開けた。

……いや、マジでこの先どうしよう?

(文責:自分を“師匠”と呼んでくれるような弟子を取れる甲斐性もなければ、運命の黒い糸で結ばれた悪友も、勿論黒髪の乙女な後輩もいないことを思い出し、道を違えたかと不安な岡田レイ)


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