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本のレビュー③ 読書について

最近遊びと仕事と勉強の違いってなんだろうと思うことがある。そんなの違って当たり前だろと思うかもしれないが、実は大切なテーマだったりするのだろうか。一昔前までは職場と自宅は完全に乖離されていた。しかし、コロナウイルスによって自宅でも仕事が可能になったり、それ以前からあったYouTuberの台頭によって仕事の概念は変わっていった。やりたいことをアップロードし続けるYouTuberの姿は当初、サラリーマンの目からは悪く見られていたがそれも次第に少なくなりYouTuberという名前はれっきとした職業になった。仕事とは?遊びとは?また、生涯かけてすると言われる勉強とは?これは真剣に考えていくべきテーマであろう。その中でも今回は勉強に関する本を紹介していこうと思う。勉強といって読書と連想する人は非常に多いのではないだろうか。


題目:読書について 他ニ篇

著者:アルトゥル・ショウペンハウエル

:斎藤忍随

出版日:1960/4/5

本の評価:★★★★★

概要

他二篇といった通り「読書について」の他にも「思索」と「著作と文体」というものも記されてあった。どれも良いものであったが、今回は「思索」と「読書について」の二つをピックアップしようと思う。「読書について」は冒頭の文からインパクトがあった。「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。」この文に衝撃を受けない人がいるだろうか。さらに私が興味を持った理由には古典でありながら生活に身近であったことが挙げられる。これから半世紀以上生きていく上で読書とは一生縁を切れないと思う。私たちは読書とどのように向き合っていくのか。また、真の施策とは何なのか。

感想

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」先ほども紹介したこの文はこの本の最も重要な部分であると私は思う。また著者は多読を強く批判している。しかしそれだけを見て結論を出すのはあまりにも早すぎる。「読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。」要するに悪書はできるだけ避け良書を読むことの重要性を説いている。では悪所と良書の違いとはどこにあるのか。著者は皆が読んでいるからといった理由で本を読むことは危険と説いており、比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきであると語っている。

全くその通りであると私も思う。古典は時代という波に揉まれながらも生き延びた奇跡の書物である。本は歩行者の辿った道と作者は表現している。天才が歩んだ道を1000円以内で観察できることは何よりもお得なのではないかと私は思った。

著者はさらにこのようなことも述べている。「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真の読者のものになる。」一見矛盾に聞こえるかもしれないがここは誤解してはいけない部分である。読書というのは良書を選ぶことから始まり、自分の栄養素となるものは反復して読む。これが著者の言いたかったことであると思う。食べたものが自分が必要としている栄養素しか吸収しないように、自分が興味のアンテナを立てている分野しか本を読んでも意味はないし、何度も自分の頭で考え抜くことが大切なのである。

思索も読書と同様に重要である。歩行者がたどった道を観察できるもの(本)を自分のものにするのは自分の頭である。この本が私のどの部分の栄養になり、私は何を得たいのか常に考えることは何においても重要である。でないと自分の脳は「借り物の脳」になってしまいかねない。常に自分で考える癖をつけよう。

この本は、やはり自分の核を見極めることが何においても重要なんだと改めて思わせてくれた良書であった。最後にショウペンハウエル先生の言葉を引用して締めるとしよう。

「学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人のことである」

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