見出し画像

れいわきょういく事情2

二 

 『流れ』という概念を導入しよう。人の『流れ』、「自然=万物の秩序たるピュシスからはみ出し、カオスに投げ込まれた人間」としての『流れ』、今はこれを検討することはしない。ただし、浅田のいう通り、この生きた自然とのズレが、人間と社会の学の出発点である。であるならば、生きた自然と人間の質的差異を覆い隠し、同一視するあの思考は、端的に間違いであるばかりか、人間の歴史を否定している。人間本性から生み出される『流れ』の解明、ノモス、象徴秩序、想像界、どのような言葉で表されようとも、その根底には生きた自然と断絶した、反自然的存在としての人間観がある。要は、「人間ってなんだ?」
 一方で、社会はそうした人間が複数集まり、間主観的にある『流れ』を形成する。〈ズレた人間のズレ〉としての社会。したがって、人間が社会に生きることは、人間本性の『流れ』に生きながら、別の『流れ』の中に投げこまれることであり、教育はその摩擦を最大限少なくするための営みである。しかし、内にある『流れ』と、外にある『流れ』のあまりの摩擦に焼き切れんばかりの子たちを、私は見た。逆生産(イリイチ)することさえも許さぬ教育崩壊。不登校数は過去最多である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?