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不可能性の中の可能性を生きる

「やりたいこと」がない子を考える(31)

人間は可能性の中で生きています。
いや、可能性がなければ生きていけないと言った方がいいでしょう。
一般的になった「自己肯定感」と、人生の可能性は大きく影響しています。
「自分には可能性がある」と思えること、それが「自己肯定感が高いこと」と言えます。
しかし、人間にとっての可能性とは、ただの可能性ではありません。
人間は人生のあらゆる場面で諦めながら生きています。
僕は今からプロサッカー選手にはなれないと思っているし、楽しかった大学時代に戻れないとも思っている。
そういった不可能なことの中で、まだ自分にとって可能なことをしながら生きるのです。
だから正確に言えば、人間は「不可能性の中の可能性」を生きていると言えます。
不可能性と可能性の境界線は、いつもせめぎあっています。
不可能性に飲み込まれたとき、人は絶望に打ちひしがれます。
逆に可能性がその領域を広げたとき、人は希望にもえるのです。
教育という営みは、その子の可能性の領域を少しずつ広げる手伝いだと言えるでしょう。
今までできなかったことができるようになることがどれほどその子の人生の励みとなることか。
可能性の拡大は、「快感の再現」を生じさせます。
トラウマは、人を深い絶望の中に沈め、可能性を広げる人間の意欲を食い尽くしてしまいます。
「トラウマを処理し、その子の可能性を広げる」
過度な管理化が進む社会が今一度、この教育の原点に立ち返ることは決して無駄なことではないでしょう。

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