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人間の心の矛盾

「やりたいこと」がない子を考える(27)

『暇と退屈の倫理学』では、「なぜ人は退屈することを嫌うのか」ということについて、哲学的に思考しながら、人間存在の本質へと迫っていきます。
増補新版には、最後に「傷と運命」という、短い付録がついています。
この「傷と運命」という中に、大変重要な人間への認識が含まれているのです。
國分功一郎は、人間は刺激に晒され続けては生きていけないのに、刺激が無さすぎても生きてはいけないのはなぜかを問います。
前者は「興奮」と、後者は「退屈」と呼ばれるものです。
人間は興奮しすぎても不快ですが、退屈しすぎても不快になります。
この人間の心について、國分は以下のように述べます。

するとここに単純な矛盾があることになる。人間は刺激から身を守ろうとする。ところが、刺激から身を守ろうとし続けることは不快な状態をもたらす。絶えざる刺激には絶えられないのに、刺激がないことにも絶えられない。退屈する他ない方向に向かって生きながら、退屈は避けたいと思っている。
生を貫くこれら二つの方向性をどう説明したらよいだろうか?

國分はこうした人間の心の性質を、「サリエンシー saliency」という考えを導入することで説明しようと試みます。

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