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日本農業の歴史①

今日では、毎日おいしいと思える食事をしていますが、その感情よりも、食事は生き抜くために必要ということを理解することが重要です。

今までの歴史を振り返り、日本はどんな工夫をして食や農業と向き合ったのだろうと気になりましたので、まとめてみました。

簡単に歴史を振り返るだけでもより食と農に関して、興味が湧くと思います。

1.縄文時代

(約12,000年前〜約2,500年前まで)

日本では、縄文時代が栽培の起源とされています。

また、縄文時代後期に九州地方で初めて稲作が始まり、弥生時代には東北地方まで伝播したと推察されています。(複数のルートから伝来したという説もあります。)

この時代には、すでに農耕用の石器を使用し、調理・保管のために土器を使用していました。

2.弥生時代

(約2,500年前から約1,700年前まで)

弥生時代には、木製の鍬と鋤が最初の農具として、使われ始め、田植えも始まりましたので、この時代に農業の基礎ができました。

農作業を共同でやるうちに村ができ、土地の広さや農作物の収穫量が村ごとに異なるため、貧富の差が生まれます。

富を奪い合う村同士の争いが頻繁に起こるようになり、強い村の土地が拡大し続け、やがて小さな国になりました。

紀元後3世紀、日本には約30の国があり、卑弥呼が女王であった邪馬台国が最強だったと伝えられています。

3.古墳時代

(約1,700年前から約1,300年前まで)

中国大陸から鉄を作る技術が入ってきたので、その技術を持った国が勢力を拡大していきました。

鉄製農具の利用や牛馬の利用により農業はさらに発展し、食糧が安定して供給されるようになると、社会が発達して各地に豪族が生まれました。

しかし、洪水により米の収穫ができなかった年は、その後一年間食糧不足になります。

その対策として、豪族たちは鉄器を活用して、灌漑用の溜め池を掘らせ、水路の整備も広範囲に行いました。

そうして、川からずいぶん離れた平野や盆地にまで、田んぼが作られるようになったのです。

やがて、「王」と呼称された倭(日本)国の首長を中心として、有力な豪族たちが連合して成立した政治組織である大和朝廷が形成され、日本の基礎が完成しました。

《言葉の意味》

鋤(すき)・・・ハンマーのように上から下に振り下ろした勢いで、地面を耕す道具。

鍬(くわ)・・・スコップと似ているが、利用する目的が異なる。スコップは、土を掘ったりすくうための道具ですが、鍬は、地面を掘り起こして耕す道具。

灌漑(かんがい)・・・農地に外部から人工的に水を供給すること。 農作物の増産、乾燥地帯や乾期の土壌で緑化する際などに利用されます。また、現在では世界人口の急速な増加を危惧しているため、灌漑農業による食料確保が課題となっています。

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