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若き兵士の魂はセイヨウボダイジュに抱かれて

自然も命の輝きを失ったかのような11月のドイツがどことなく悲しみの空気に包まれているような気がするのは死者を偲ぶ月だからだろうかー。

諸聖人の日(11月1日。聖人と殉教者を記念するカトリックの祝日)

万霊節(11月2日。すべての死者の魂に祈りを捧げる日)    

国民哀悼の日(戦没者とナチスドイツの犠牲者を追悼する日。毎年11月第3日曜日に連邦大統領や三権の長による追悼式典が行われる)     

死者の日曜日(死者を追悼するプロテスタントの記念日。待降節直前の日曜日)

と続く。


◎エーバースベルクで見つけた「英雄の並木道」

そんな11月のある日曜日のこと。ミュンヘンの東約30キロにあるエーバースベルクの丘の見晴らし塔から眺望を楽しんで、さあ帰ろうと並木道を下っている時のことだった。

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「享年17歳」。1本の木の幹に打ち付けられたプレートの文字に思わずその場で立ち止まってしまった。両脇に立つ木に名前のついたプレートがついていることには気がついていた。でもその意味を考えてはいなかった。急いでこれまで来た道を引き返し、最初から並木の一本一本についたプレートを読み直すことにした。

軍隊のマークである黒い十字と年代から、追悼されている人たちの正体が分かった。この並木道は第一次世界大戦で亡くなったエーバースベルク出身の84人の兵士たちに捧げられたもの。プレートには兵士の名前、年齢、軍での肩書き、所属部隊、亡くなった日付と場所が記されていたのだ。

その場でエーバースベルクの町のHPを検索すると「英雄の並木道」は、1929年から37年にかけて作られたとある。平和をのぞむ観点から改名も検討されたが、作られた当時の社会背景と思想を示すものとしてそのままにしておくことにしたらしい。

◎一次世界大戦で戦死した17歳の兵士

私の足をとめた17歳の兵士の名は「ゴットフリート・シュトローベル」。歩兵、17歳、バイエルン王国予備歩兵第16連隊”リスト”11中隊所属、1914年11月10日ベルギーにて没したとある。

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開戦から3カ月もたたない内の戦死。17歳という若さで命を散らしたという事実にあらためておののく。この年齢では人が殺し合う戦争の真の姿など知らなかったろう。まだ子供といってもいいほどの存在ではないか。これからの人生にたくさんの希望や夢を持っていたはずなのに・・・心の中で怒りと絶望が交錯する。それと息子の戦死の報を聞いて母親や家族はどれほど悲嘆にくれたことだろう。


さらに歩きながらプレートをチェックした。18歳、20歳、25歳、29歳・・・人生の幕を閉じるにはあまりにも若い。今の時代ならば人生を謳歌しているはずの38歳という年齢をみてホッとするくらいだから何とも狂っている。

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ルーマニア、ポーランド、フランスなど故郷を遠く離れ、ある者は戦場、またある者は野戦病院で亡くなっていた。そして4人ほどがフランスのヴェルダンで命を落としていた。ヴェルダンの戦いといえば第一次大戦の勝敗を分けた最激戦地。独仏両軍合わせて70万人以上もの犠牲者を出した戦いで彼らも倒れたのだ。

因縁の地は1984年9月22日、ドイツのコール首相とフランスのミッテラン大統領は無名兵士の墓地の前で手をつなぐ歴史的なジェスチャーで独仏融和を誓ったことでも知られている。

◎セイヨウボダイジュは「故郷」の象徴

ふと気になってプレートから目を離して木を見上げた。葉の形とぶらさがっている実からセイヨウボダイジュの木と分かった瞬間、ほっとする気持ちがこみあげた。これこそが亡き彼らにふさわしい木と思ったからだ。

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なぜそう思い至ったのか。その訳はセイヨウボダイジュの持つシンボルにある。

柔らかでハート型の葉、蜜をたっぶり含んだ甘やかな花、そして大きく広がった樹冠で生けるものを強い日差しや雨から守ってくれるセイヨウボダイジュはそのありようから女性的、母性的な木とされてきた。

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村や町の広場に植えられた大きな木の周りには市場が立ち、祭りが開かれ、その下は時に裁きの場となった。「平和」「愛」「公正」の象徴となったのはその柔らかなイメージとともに人が集い、愛を語り、重大な判断が下される場所だったからにほかならない。

そしてもうひとつ大事なこと。人々の暮らしに深いかかわりを持つセイヨウボダイジュはドイツ語圏では「故郷」の象徴ともされてきた。

昔ながらのホテルや宿屋によく”Zur Linde(ボダイジュにて)"とか”Lindenbaum(ボダイジュの木)"といった名前がついていたりする。これも旅人の郷愁を誘い、心地よさを想起させる効果を持つと知っての絶妙なネーミングなのだ。

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◎人気ドラマは「Lindenstrasse(ボダイジュ通り)」

現代でも意識はされることは少なくなったもののセイヨウボダイジュの持つ「故郷」のイメージは変わらない。

昨年3月末に35年間の歴史に幕を下ろしたドイツのテレビドラマのタイトルは「Lindenstrasse(リンデン✳︎通り)」だった。(ドイツで8番目に多い道の名前でもある)→✳︎ボダイジュのドイツ名はリンデン

ミュンヘンにあると設定された(収録されたのはケルンのテレビ局のスタジオ)リンデン通りのアパートに住む幾つかの家族に起きる出来事が語られ、35年の間に登場人物が代わったり年を重ねたりと変化していく中で、初回から最後まで物語の中心にバイマー家のお母さん、ヘルガがいた。彼女の台所は家族だけでなく、隣人、友人が集まり、笑いや涙や怒りのドラマが繰り広げられる大切な場所。いわばボダイジュの木の下と同じ。

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人気の秘訣は介護問題や心の病といった身近な事柄や外国人排斥問題や同性愛などタイムリーなテーマを盛り込んでいた点があげられる。ドラマだけじゃない、自分たちにだって起こりえるかもしれない。視聴者はそんな思いで感情移入しながらテレビの中の故郷でおきる出来事を追いかけた。

それにどんなに辛いことや悲しいことがあってもドラマで多くの場合は大円団で終了する。つまり視聴者にとっては毎週日曜日18時50分から30分間、テレビの中でリンデン通りという名の故郷に里帰りして心地よいひと時を過ごすことが約束されていた。

◎父なる祖国と母なる故郷   

ボダイジュが母ならば、対極に位置する父親はセイヨウナラだ。節くれだった姿と堅い材質、なかなか落葉しない様は強靭で厳しい父親のイメージだ。セイヨウボダイジュとセイヨウナラはともにドイツの代表する木だが、セイヨウナラの葉が国のシンボルの座にのぼりつめたのに対してボダイジュは故郷を体現するだけで国のシンボルになることはなかった。

これまで見てきた数々の戦没者記念碑でもセイヨウナラの葉がモチーフに使われることはあっても、ボダイジュの葉が使われているのにお目にかかったことはまだない。

父なる祖国のために戦った兵士たち。でも戦場に傷つき倒れた彼らが戻るべきは母なる故郷がふさわしいと思うのだ。

11月11日は1918年に4年半にわたる第一次世界大戦に終止符が打たれ日。

遙か彼方に雪をかぶった山を望むエーバースベルクの空を見上げていると、生者から死者への想いに呼び寄せられるかのように11月の風に乗って若き兵士たちの魂が帰ってくるような気がする。

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その時セイヨウボダイジュは、故郷に戻ってきた彼らを母のようにそっと抱き締めるだろう。「おかえり、よく帰ってきたね。待っていたよ」と言いながら。

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