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春のごちそう「クマネギ」を狩りにいく


早春の森を歩いて鼻にふわんとニンニクのようなニラのような香りが漂ったら狩りのシーズンの始まり。獲物はドイツ語ではベアラオホ、日本語でクマネギという意味を持つ行者ニンニクに似たネギ科の野草だ。

クマが冬眠から目覚めて最初に食べるからという説と、高い栄養価でクマのように強くなれるからという二通りの命名説があるこの植物は、ちょっと前まではナチュラリストとかごく限られた人たちが口にするものだった。それが健康意識の高まりや自然食人気にのって脚光を浴びるようになり、今やドイツのスーパーでごく普通に見かける季節の野菜になった。

でも手軽に買うことはできても、やはり野にあるものは獣を仕留めるがごとく、自分で狩って食卓にのせたい!春の足音が聞こえてくるとともに自分の中のハンター魂がうずくのを感じて動き出すことにした。

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身近な野草も場所によっては希少植物

クマネギは3月中旬ごろからポツ、ポツと森や川沿いの地面に顔をのぞかせはじめる。図鑑では生育場所として川沿いなどの湿った半日陰のブナ林などと書いてあって、どこにでも生えているかのような印象を受けるがそうではない。

あるところには密生しているのに、ないところには全くないのがクマネギの特徴の一つ。

例えばドイツ内でもブレーメンだと希少植物とされるし、ハンブルクやブランデンブルク州に至っては絶滅危惧種に指定されている。酸性土壌が嫌われるようで、このような土地では庭で栽培するにも土壌を工夫してやらなければならない。

反対にミュンヘンでは街中を流れるイザール川沿いや、英国庭園など市内至るところに群生していて、市のホームページにもクマネギシーズンですよ、という記事と一緒にペーストの作り方が掲載されていたりして、ごく身近な存在だったりする。

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ラムザウは「クマネギの生える沃野」

もちろん我が家のすぐ近くのなんでもない林にも生えている。だが狩りと銘打ったからには近所の林ではちいと物足りない。せっかくならばクマネギと関わりのある場所に行きたい、と探していたらクマネギの名前が手助けしてくれた。

まさかクマの生息場所へ行くのか!?。いやもちろん違う。かつては多くのさばっていたであろうクマは185年前のクマ狩りで仕留められたのを最後にバイエルンでは死に絶えてしまった。(2006年にイタリアから国境越えしてきたクマは家畜を襲ったために射殺されてしまった。クマネギを食べていりゃ良かったのに。。。と思うが初夏でよっぽどお腹がすいていたのだろう。クマにはクマの事情がある)


クマネギの和名を調べている時にヴィキペディアを検索したら、クマネギは意訳とされていて、英語名からとった「ラムソン(Ramson)」が正式な名前のように書かれていたのだ。


ほう。いかにもギリシャ神話に出てくる戦士の名前のような響きではないか。「ラムソンという若武者がおりました。クマネギを食べて元気百倍、村人を襲っていたクマを退治しました。喜んだ神様がその名を植物に与えました」ー。みたいな定番パターンを予想していたら全くの見当違いだった。


クマネギは古くから薬草として知られていて、ゲルマン人からは“hramusan”(読み方はよくわからない)、そして中世の時代にはラムス(rams)と呼ばれていたというのがラムソンの語源らしい。

そしてミュンヘンから南に約60キロのラムザウ(Ramsau)集落の地名はクマネギの生える川の沃野という意味でつけられているというのだ。

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健康に良いクマネギは保養客にも大人気


3月の最終日、列車とバスを乗り継いでラムザウの隣のバート=ハイルブルンの町で降りた。癒しの泉と名付けられたこの町は、西に9キロ離れたベネディクトボイエルン修道院の修道僧が、1159年に治癒効果があると噂のあった水脈の源泉を発掘したのが始まりだそう。以後、20世紀後半に幕を閉じるまで湯治場として栄え、現在も空気の良い保養地としてシニア層を中心に多くの逗留客でにぎわっている。


ツーリストインフォメーションの前の壁画にも描かれているように、ここでもクマネギは至る所に生えており、毎年シーズンを狙って開かれる「ラムズデイズ」は、クマネギを使った料理を紹介したり、ガイド付きのクマネギウオーキングツアーなどのイベントで、保養客からの人気も高い。


なんせクマネギは精がつくだけでなく、ビタミンCが豊富で血液をサラサラにする働きや消化の促進、それに免疫力を高めるというありがたい成分が含まれているのだ。古代人だけでなく、健康維持が一大関心事の現代人ましてや保養客ならば興味津々にならないわけがない。

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ラムザウでクマネギを狩る

自転車で2分ほどのラムザウ集落へ向かう。途中で小川とクマネギの群生を発見したので急停止。一枚ちぎって味見といこう。

寝ぼけ眼のクマもきっと目が覚めただろうパンチの効いたニンニクの味がする。ただしクマのお目当ては養分の一杯詰まった球根部分なので葉は邪魔なだけだったのかもしれない。


ラムザウ集落は小高い丘に礼拝所が立ち、農家と普通の家が何軒あるかというぐらいのこじんまりさ。小川の近くでクマネギ狩りすることにした。なるべく広範囲に少しずつ摘むのが来年以降もクマネギを楽しむための狩りの作法だ。白い花が咲き始める4月中旬になると風味はぐっと減ってしまうので狩りの期間はとても短いが、あまり欲張って採り過ぎてはよろしくない。一掴みほどをビニール袋に詰めた。

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ニンニクの浸透がクマネギ人気を下支え


小川の近くのお店に「クマネギパンあります」の立て看板が見えたのでひとつください、と声をかける。クマネギを挟んだパンかしらん、とお姉さんの手つきを見ていたら、最初にライ麦パンの塊を取り出してきて二枚薄くカット。そして冷蔵庫からクマネギを練りこんだバターを出してパンの上に塗って、ハイどうぞと渡してくれた。しめて3.5ユーロなり。


クマネギがたくさん生えているんだから仕上げにパンの上にみじんぎりでもパラパラって載せてくれたら見栄え的にもいいのに、と思ったがそういう発想はなさそうだ。

いや、それとも生の葉のニンニクのような味と匂いがきついと思うのだろうか。小川の脇で摘んだクマニラ一枚をのっけて食べながら、ドイツの食事とニンニクについて書かれた新聞記事を思い返していた。

そこにはドイツ人の食生活にニンニクが入ってきたのは1950、60年代と比較的新しく、イタリアやトルコからの外国人労働者によってもたらされた食文化の影響と、経済復興で豊かになったドイツ人が外国旅行でニンニクを使った料理の味を覚えたことによると記されていた。

確かに伝統的なドイツ料理のレシピでは、タマネギやエシャロットが風味を担う役を引き受けている。ニンニクの出番はジビエ料理くらいで驚くほど少ない。


今もフランス人に比べたら消費量は半分ほどらしいが、徐々に浸透したニンニクがクマネギのハードルを低くしたとみていいだろう。そういえば職場でクマネギの思い出を何人かに聞き回ったとき、60代の男性陣には「あのニンニクのような匂いが苦手。家で食べた記憶はない」と渋い顔をされた。それが聞く相手の年代が下がるほど「クマネギならペーストとかニョッキを作るよ」とか「美味しい」と嬉々とした表情で語られるようになって明らかに反応が変わっていく。

どうやら若者にとってクマネギはバジルのような感覚で、匂いも気にならないよう。どちらかといえば味に保守的なドイツもだんだん変化しているのを感じた。

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クマネギ狩りも春のごちそう

狩りを終えて小川沿いをのんびりと散歩しながら最後はクマネギ料理で締めくくることにした。ホテルとレストランが併設された肉屋で燻製サーモンののっかった自家製クマネギソースのパスタをテイクアウト。

本当は肉料理を注文したかったのだがこの日は残念ながらこの一品しかクマネギを使った料理はなかったので仕方ない。サイドメニューのサラダにクマネギをこれまたセルフ投入して、2品ともクマネギ料理に仕上げてみる。

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雪の残る山を眺めながら小川近くのベンチで開いた早春の宴は肌寒いけど楽しい。そしてクマニラについて聞いたときにある同僚がちょっと考え込んでから返してくれた言葉が蘇ってきた。

「ウチの両親は仕事に追われていて、野草を採るような余裕はなかったからクマネギには縁がなかったのだと思う」。

彼女の実家は花卉栽培農家。春先は子供の手も借りたくなるような忙しさだったのは容易に想像できる。それに50年くらい前に今のように余暇を楽しめる人はどれくらいいただろうか。

そうやって考えると、風を感じながら小川のせせらぎや鳥のさえずりに耳を傾けたり、花や木の芽吹きを観察したりしながらクマネギ狩りをすることはなんと贅沢なひと時かと感謝せずにいられない。その心豊かなプロセスとともに味わうことができるクマネギは格別な春のごちそうなのだと思い知った。

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