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ネコヤナギで生命の復活を祝う


その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。(ヨハネ12:12~13)

新聖書植物図鑑(廣部千恵子著・教文館)

4月の小雪がちらつく中、ミュンヘンから西に約100km離れたマルクトオーバードルフの駅で下車した。噴水はカラフルなプラスチックの卵で飾られ、ショーウィンドーの中ではウサギがのさばっていてイースター(復活祭)が間近に迫っていることを教えてくれる。

スイセンのドイツ語名は「イースターの鐘」

◎教会前で枝の束を買う

タマネギ型の塔を持つザンクトマルティン教会につづく道をあがっていった。丘を上り切ったところで待ちかまえていたのはティーンエージャーの女の子二人組。彼女たちの足下には黒いバケツに入った植物の束がおかれている。「自分たちで作ったの?」と聞くと恥ずかしそうな「そうです」という声。値段を確認してから彼女たちにお金を手渡し、黄色い旗がついた束を選んで教会に向かった。

ドイツのどこへ旅しても必ず教会に立ち寄ることにしている。理由はその土地の神様へのご挨拶と、お邪魔したからにはお礼にその地の繫栄でも祈らせていただきましょうという気持ちから。それに加えて「信者ではございませんけど何かのときはお力添えよろしくお願いします」という期待も込めている。節操がないのかもしれない。でも私は八百万(やおろず)の神を持つ民の一人。幾多ある宗教と神から多くのことを学びたい、得たいと間口を広くとる主義なのだ。

ただこの日にザンクトマルティンに寄ったのはご挨拶がてらでも偶然でもない。イースター直前の日曜日に行われる「枝の主日」の行進があると知ってわざわざ早起きをしてやってきたのだ。

枝の主日とはキリストが受難に先立ちエルサレムに入城した際に民衆がオリーブの枝やヤシの葉をかざして祝ったことに由来するもの。カトリックの教会ではその逸話にならってミサの前に植物の枝を持って行進するのが習わしとなっている。(教会によってはロバの像も登場する)

ミサの前の教会内

◎ネコヤナギは春の象徴 


足を踏み入れた人気のない教会の中には柔らかな光が射し込み、ピンとはった空気が満ちていた。祭壇前のキリスト像は紫色の布で覆われているのは復活祭前の決まり事。今日のために説教台の前におかれた5つのかごはネコヤナギとツゲの枝であふれている。しばらく立っていると、後ろからパイプオルガンの音合わせの音楽が聞こえてきた。

それは長く続いたパンデミックを乗り越えてようやく以前と同じ日常を取り戻したかのような穏やかな春の光景。けれど説教台に立てられたハトがオリーブの枝を口にくわえたモチーフのロウソクは世界が大きく一変してしまった事実を容赦なくつきつけてきた。


教会の外に出ると、裏口で男の子2人組が教会を訪れる人たちに枝の束を売っていた。品定めをする女性に男の子たちが、いろいろアドバイスをおくっているのが可愛らしい。

皆が買い求め、先ほどから何度も出てくる枝の束は枝の主日の大事な小道具だ。聖書の舞台である中東はもちろん、イタリアやスペインといった暖かい国では聖書の言葉通りオリーブもナツメヤシの葉で問題なく再現できる。けれど寒冷な土地では別の手近な植物で代替するしかなく、独自の枝文化が生まれた。

地域や手に入る材料によって束ねられる植物の種類も数も異なる。今回私が女の子2人組から買ったのは1.ネコヤナギ(別名バッコヤナギ) 2.アイビー 3.前年のブナの葉がついた枝 4.ツゲ 5.イチイ 6.ヒノキ 7.セイヨウスノキ 8.ネズミモチの一種というラインアップだった。

ミッテンワルトで見かけたネコヤナギ

それぞれの植物に意味が込められているのだが、その中でも春や再生の象徴であるネコヤナギはどうしても欠かせない。まだ緑薄い時期に川沿いを歩くと水面にかぶさるようにネコヤナギが枝を伸ばしているを見かける。枝先にのぞく綿のような白い花。キリスト教以前から春の象徴だった植物がキリストの復活を祝うイースターへつながる行事の中に組み入れられたのも当然の流れだったのだろう。

お手製の十字架


教会を出る時に年配の女性が持っていたのも厚紙で作った十字架にネコヤナギを貼り付け、ツゲの葉とリボンをあしらった可愛らしいお手製だった。

聖水を枝に振りかけてもらう

◎枝を手に「神の家」に行進する


「行進は下の広場からですよ」と教会の管理人の方に教えてもらって下りて待っていると三々五々、枝を手にした人たちが集まってきた。一人で来た人も赤ちゃんを連れたお母さんもいれば、中にはかご一杯に枝を持ってきた年配の男性もいる。今日来ることができない人から頼まれた分も一緒に入っているのだろうか。

10時半になって十字架や香炉を手にしたミサの侍者とともに神父さんが現れた。「3年ぶりにこうやって集まれて喜ばしいです」という晴れやかな言葉から始まって、子どもたちにも分かりやすいように「枝の主日」の意味について説明してくれた。そしてブラシのようなもので(専門用語では潅水棒というらしいです)皆の持つ枝に聖水を振りかけてくれた。「みんなちゃんと水がかかりましたか?まだ聖水はたっぷりありますし、かかってない人はどうぞ遠慮なくいらしてください」との軽いジョークで場がふと和んだ。


そして一連の儀式を終えると次は行進へ。掲げられた金色の十字架が太陽の光を受けてキラキラ反射し、100人くらいがその後を続いて教会へ入っていった。

◎ダルマ方式で平和を願う

持ち帰った枝は十字架のある部屋に保管されたり、家畜を守ってくれるよう飼育小屋に飾られたりするのが伝統的な本来の姿。ただ宗教色が薄まっている現代のドイツ家庭では普通に居間に飾られるようだ。

この家では十字架の後ろに飾っていた

それにしても私の買った枝でずっと気になっていたのは旗に十字架の印がついていないこと。他の人のを見ると十字架なり、キリストの象徴である羊のマークがついていたのに私のはなぜか無地。異教徒仕様というわけでもあるまいし、おかしいなとずっと思って家で旗を眺めていたらいいことを思いついてしまった。

片面に平和マークを描いて、達成された暁には別の面にも平和マークをつけてやる。いってみればダルマ方式だ。

我ながらいいアイデア、と自分を褒めてやりたい。一方で、さすがに「オイオイ、ダルマは仏教だぞ。これはさすがに緩すぎないか」とも正直思った。でもやっぱり私はいいところどりを狙う八百万教の一味。それに生命の復活を祝うイースターと命が脅かされることのない平和は深く結びついているではないか。

ハトにみえないぞ・・・

かくして翼が重たそうなハト(のつもり)のイラストがついた枝で我が家は守られている。


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