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自家製リンゴジュースを仕込む

「りんごがたくさんなりすぎて、重みで枝が折れた」ー。今から3年前のこと。収穫の秋を目前にりんご大豊作の報が続々と入ってきた。ついに温めていた計画を実行するときがきたのかもしれない。

「よし、自家製リンゴジュース作りに初挑戦だ」

別に果物の木のある庭付きの家に住んでいるというようなうらやましい身分ではない。クラインガルテン(賃貸型家庭菜園)も持ってない。だがそこはドイツ。職場にもリンゴの木が生えているし、住んでいる団地内に植えられている数本の木の下には住民が見向きも拾いもしない虫食いリンゴがパカパカ落ちている。それに加えて「採れすぎたから分けてあげるわ」とおすそ分けしてもらったリンゴだってある。充実した原資をバックに決意を固めた。

造園協会へリンゴを持ち込む

そして8月末の土曜日7時半。早起きして肩にかけた大きなバッグと買い物カート一杯にリンゴを詰め込んで息子を連れてミュンヘンの西、ハートマンスホーフェンの森の一角にある小屋に向かった。

20mほど手前からドドドドッという音が大きく聞こえてきた。

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この小屋は庭の手入れや植物の栽培に興味のある人達で組織された造園協会が所有し、普段は協会のメンバーが庭造りや樹木の手入れや野菜の栽培について意見交換したりする親睦の場だが、8月末から10月の収穫シーズンになると、協会のボランティアが個人が持ち込むリンゴ、ナシ、マルメロやブドウといった果物を果汁に加工してくれる有料のサービスを提供している。

小屋の中にはリンゴやナシなどの果物を粉砕、圧搾して果汁にする機械も置かれており、大きな音はリンゴを細かく粉砕するシュレッダーの音だった。

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何人かの先客の後に私たちも並んだ。待っている人たちの持ち込むリンゴの量に圧倒される。何箱にも重ねられたリンゴは優に100キロ、いや中には200キロくらいあるに違いなく、皆車で乗り付けて来る。これだけリンゴが収穫できるなんて、さぞ立派なお庭をお持ちなんでしょう、と思わず持ってきた人を品定めしてしまった。

それに対して私たちがショッピングカートで持ってきたリンゴはようやく20キロに届くくらいで、到着するまでは意気揚々だったが他と比べるとあまりにショボい、がっくりきそうになった。

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粉砕→圧搾→濾過→生ジュースの出来上がり

ボランティアのリーダーと思しき男性から「少量の人は大口のすき間に入れてもらうからちょっと待っててね」と声を掛けられ、その間にじっくりと全工程を眺めさせてもらうことにした。おおむねこんな感じだ。

まずシュレッダーでリンゴを細かくし、それを布巾を敷いたせいろのような枠に敷き詰める。それが何段も重ねられ、上から荷重をかけると高さのある鉄板に果汁が搾り出される。鉄板の脇についているホースを伝って、果汁がバケツに流れ出す。最後に漏斗を使ってバケツの果汁を用意したポリタンクなどの容器に移せば自家製生リンゴジュースのできあがり。

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我々の前の前の紳士風な男性は、出来立てをお客さんとすぐに飲むから、とジュースの一部をデカンタ風の大きな大きなガラスボトルに移していた。こんな旬のごちそうを出されたらお客さんもうれしいだろうな。

 
ぼーっと待っていたら「試してみて」と前に並んでいた女性二人組が自分たちのリンゴジュースを私たちに勧めてくれた。ありがたくいただいた一杯はとても澄んだ味わい。

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さて私たちのリンゴの順番だ。ボランティアは一人の若者をのぞいては70代と思しき男性陣。力仕事だけに私たちも自分たちのリンゴを順繰りにシュレッダーに投げ込んだり、布巾に残った搾りカスをトラックの荷台に放り込んだりとお手伝いに励んだ。

ちなみに搾りカスはシカのエサになるのだそう。こんな贅沢なエサをもらったシカならさぞ美味しいはず、と不埒な思いもよぎるのはジビエの季節もすぐそこに迫っているのだから仕方ない。

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種々雑多なリンゴを寄せ集めた我が家のジュースは、先に試飲させてもらったジュースと違って濃茶色に濁っている。あまりにリンゴの種類がばらけているのがまずかったか、と不安になってボランティアの方に聞いてみたら「色んな種類が混じっているのがいいんだよ。その方が味に深みがあってうまいんだから!」と太鼓判を押してもらった。

ということで10リットル入りのポリバケツに6割強入った自家製リンゴジュースをカートに積んで小屋を後にし、家で待ち受けていた母とともに試飲。なんとも濃厚な味わい。市販のものとは全く違う。「生のリンゴジュースってこんなに美味しいのね」と言い合った。

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悲劇は2日後に起きた

そしてその感激も覚めやらない二日後に悲劇は起きた。朝、1口飲んでジュースがほんのりと酸っぱい。「やらかしてしまった!」ー。糖分を多く含む生ジュースが発酵してアップルシードルへと変質し始めていた。

本来ならば搾った果汁を鍋で煮沸して発酵を止め、瓶につめてしまえばジュースの状態で長期保存できるのだが、我が家はそんなに量も多くないし、寒いベランダに置いておけば大丈夫だろうと、軽く見ていたのが間違いだった。生ジュースはまさに生き物。生きるものの常としてそれは変化するのだった…。

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後悔してももう遅い。下戸の人なら分かってもらえると思うが、いったんアルコールの味がするだけで飲む勢いがぐっと衰える。少しの量でも酔いが回ってくるので、こりゃいかんと水で割ったりすると今度はお腹が膨れて消費のピッチがぐっと下がる、という悪夢のループが繰り返される。

なんかシュワシュワの泡がビールのようにまでたまったところで結局2リットルを捨てる羽目になった。ああ、もったいない。今思い起こしても悔しい、アルコールを受け付けない体質なのが恨めしい。。。

アルコールは水代わりと学ぶ

このアルコール飲料をなんとか救う手だては、と追求する中で「植物の世界史」(ヴォルフガング・ザイデル著)という本の一文にぶち当たった。

「発酵した果物の果汁やビール、ワインといったアルコール飲料は19世紀以前は飲料水の役割を果たしていた」 

水道が普及していない時代に汲みおきの水は腐ってしまうこともあって、生活用水としてしか使えなかった。そこでアルコールが飲料水代わりとされた。僧侶とかいったある一定の階層の人たち以外は子供も含めて常に酔っぱらっているのが当たり前だった、とある。 

その一文を読んだときにふと思い出した。私が庭師として勤務する職場では以前は仕事中のアルコール禁止令はなく、ビールが日中から堂々と職場で売られていた。(現在は厳禁!となっています。ただアルコールフリービールが今も自販機に入っているのはその名残かな?)

作業車の中にビールの空き瓶がごろごろ転がっていたり、酔っ払って芝刈り機を蛇行運転していたという逸話も残っている。(芝の跡でよーく分かったそうです)

でも本の一文を読んでこれまでの疑問が氷解した。そうか、アルコールを水代わりにしていたご先祖様を持つ人たちだから当たり前だったのか。ちょっと納得。私のようにたかがリンゴジュースが少し発酵したのを飲んだくらいで参るなんてだらしない。アルコールをあおって働く士気を高めるくらいの気概でないとここでは生きていけないのだ。

実りの秋は学びの秋でもある。リンゴがそれを教えてくれた。

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