見出し画像

旅をすること

帰りたいと思う場所がある一方で、いつも違う場所へ行きたいというのも本能なのかもしれない。

人格形成は遺伝的要因と環境的要因のふたつが大きく影響すると聞く。旅好きの祖母を持ったことで旅行の壮大さと身軽さ、隣人のような親近感を植え付けられてしまった現在の自分。
祖母は日本47都道府県はもちろんのこと、海外旅行では全大陸に足を踏み入れ、365日の内日本と、海外とで不在が多いことこの上ない。気付いたら2階にいない、それが祖母だ。( 我が家は1階が我々家族、2階が父方の祖父母の二世帯住宅家庭である。 )

義務教育という名の卒業確定が約束された、小学校時代は祖母の温泉旅行や東京旅行には可能な限り同行。もちろん「家庭の事情による長期休み延長」という魔法を使って、当時小学生の自分はピヨピヨと同じ舟に乗っていたのだ。

我が家( 1階 )には年内旅行計画といえば3つあって、夏休み冬休みの長期休暇にひとつずつ、シルバーウィークだったかそのあたりの連休にひとつに予定がたつ。
冬は決まって東京旅行と相場が決まっていたが、他はキャンプに温泉、北海道や東北、少し足を伸ばして北関東。
毎年決まって楽しみがあるというのはご褒美のようで、当時の自分はその為なら、なんでも頑張っていたように記憶している。
そして、加えて祖母の旅行に同行という名目も加え幼いながら旅に溢れた人生だった。

小さい頃の旅の記憶で印象に残っているのは3つ。

言葉だけはキラキラしていた「卒業旅行」という文字。小学校と中学校の卒業旅行は祖母と出掛けた。小学校は社会科の教科書で見た「出島」みたさに長崎。中学校は長年の憧れ京都へ向かった。
小学校の出島ゆえの長崎チョイスはなかなかセンスがいいと今でも自負している。猫舌ゆえにちゃんぽんは口に合わず、皿うどんという名のかた焼きそばがすごく美味しかったことが記憶として鮮明だ。

出島は興奮するほど何かが残っているわけではなく、残念に思うほど全くないわけでもない空間が広がっていた。当時インターネットなんて存在すらも知らず、観光雑誌を読む習慣なんてなく本当に行き当たりばったりな旅をしていた。今は片手でネットに繋がり、誰かの記憶を見て予習し、現地に行く前から現地のことを知っているような摩訶不思議体験がまかり通る。そう思うととても貴重な旅だったのではないだろうか、なんて思うこの頃。

車か新幹線かフェリーしか交通手段を知らない自分にとって、初の長崎旅は飛行機で行った。もれなく耳抜きが上手くできないせいで帰りの便は中耳炎で苦しんだことは今でも記憶に強く焼きついている。以降、飛行機移動は便利さとちょっとの不安があるものとなってしまった。

反対に京都は記憶が曖昧だ。とにかく目一杯予定を詰め込んで、ありとあらゆる有名観光地を巡りその日程構成と達成感だけが思い出となっている気がする。
京都はその後大学入学後の4年間で通い詰め、今となってはその時の方が記憶に強く残っているものだから、なんだか少し寂しい。
いつの時も、昔より今の方が楽しめるとはよく言ったもので経験からくる成功体験は充実性を伴う。
つまり、京都に行きたい…。

旅行に連れて行ってもらえたという経験があるということは、反対に旅行に置いて行かれたという経験もあるということだ。
人生初の海外旅行体験となるはずだった小学4年生の夏。祖母から「赤毛のアンの国へ行こう」とお誘いを受けたが、日にちは夏休み終了数日前。流石に海外となれば準備も必要で親に相談するから返事は待って欲しいと告げて数日。

2階に祖母の姿はなく、祖父からは「どこか海外に飛んだ」という言葉のみ。そこではじめて旅行に置いて行かれたことを経験する。
長すぎて話が好みではなくて半分読んだまま放置していた「赤毛のアン」を再び手に読み始めたり、訳わからなすぎて場所に通ってるだけの英会話もちょっと楽しかったりして気分は上昇。そこからの急降下。
いつまでも忘れない、置いてきぼりの記憶。

特別な景色といえば、ちょうど小学生の高学年のころ。長期休暇の家族旅行は車で少し遠い場所に行くということが多くなった。よって必要になるのが夜の出発。
未明と呼ばれる、静かでひんやりとした夜の時間は神秘的で非日常を呼び起こす。
今でこそ譲ってしまったが、助手席は自分の定位置からみるテールランプの遠くに見えるユラユラが今でも忘れられない。

旅を思い起こすと、いくらでも出てくる記憶の数々。

最近「趣味が旅行というのは、手段が目的になっているのではないか」と言われた。旅は様々なものを与え、心に刻みつけてくるが、その全てを他人と享受しようなんて思わない。

天邪鬼かもしれないが、無限にある旅で得た結果を全て分かってもらいたいなんてさらさらない。それこそ、きらきらした記憶の数々を、見て感じて聞こえた景色を、そっと閉じ込めておきたいのかもしれない。

これからもそんなきらきらした非日常がたくさん訪れるだろう。大きな感動も小さなドキドキも、巡り会えることに心は躍っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?