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あの頃は先割れスプーン。

 私は小さい頃は食が細くて母を大変手こずらせたそうである。

 おっぱいもあまり飲まずにベェッと吐き出していたそうで、離乳食になってもあまり積極的には食べなかった。

 だいぶ記憶がはっきりしてくる幼稚園に通う頃になると時間をかけて少量のご飯を飲みこむのが精いっぱいだった。

 偏食もあって特に野菜はあれこれと受け付けなくてご飯の時間が嫌いだった。

 兄はよく食べる子でいつもお代わりをしていた。

 私は母が目を逸らしたすきに自分のおかずを兄のお皿にスッと乗せていた。

 兄は何も言わずにアグリとそれを食べてくれていたので本当に助かった。

 一度父に現場を押さえらえてお前、何やっているんだ!とひどく怒られてビービー泣いたこともあった。

 そのくらい食に関して苦手意識の強い子供だった。

 そのうちに小学校に入学して私を苦しめたのはそう給食である。

 近くの子と席をくっつけて緑色のナイロンのマットを敷いておかずとパンと牛乳を取りに行って全員でいただきますをして食べ始める。

 隣の男の子はよほどお腹が空くのかいつもすごい勢いで食べていた。

 私はポソポソした食感のコッペパンをチビッと千切って牛乳で流し込んで少しづつ少しづつ食べすすめた。

 十分くらいすると早食いの子たちは退屈そうに足をぶらぶらさせていた。

 そのうちに先生が食べ終えると給食係がご馳走様でしたと号令をかけて給食の時間は終了である。

 それからが昼休みでグラウンドに遊びに行く友達を羨ましそうに見つめながら私はちっとも減っていない自分の給食を恨めしそうに眺めるだけだった。

 私のほかにも給食で苦戦している子もいたが、全部食べ終えるまで許してもらえなかった。

 一年生の最初の頃の授業は早めに終わるので昼休みが終わるとすぐに
掃除の時間になった。

 机を教室の後ろに下げてホウキで掃いたり黒板消しを叩いている横で冷めきった給食を食べる気力はその頃の私にはなかった。

 掃除が終わると帰りの会が開かれて下校の時間になる。

 当然給食を食べきっていない子は帰ることを許されない。

 クラスメイトが帰った後で気合で食べきって先生に褒められる子も出てくる。

 私はその流れに全く乗れず、ただぼんやりと給食を眺めているだけだった。

 ずっとそのままでいるとだんだん情けなくなって涙がこぼれてくることもあった。

 先生が席を外した時にゴミ箱に給食を投げ込んでやろうかと思うのだがそんな隙は無かった。

 三時間ぐらい悶えていると母が私を迎えに来る。

 そして先生にこの子だけ給食を食べないのは困るんですよ、お母さんと言われているのを聞いて、少しムッとしながら黙っていた。

 そんな日がしばらく続いた日のある朝、登校しようと家を出かけた私は父に呼び止められた。

 何だろうと思って父の顔を見るととても厳しい表情だった。

 これは怒られるやつだと思ってびくびくしていると車に乗れという。

 言われるままにすると自宅からすぐ近くの港に連れていかれた。

 人の気配がまるで無くて遠くの方でクレーン車の動くガシャガシャという機械音が聞こえていた。

 二人でしばらく歩いて港の外れに来ると父は給食を食えん奴は捨てて帰ると言って、振り向いてスタスタとどこかに行ってしまった。
  
 何といっても私はまだ六歳である、父の急な通告が理解できずに頭が真っ白になった。

 ああ、とうとう親にも見放されてしまったと絶望してフラフラと海の方に吸い寄せられていった。

 いっそここから飛び込んだら楽になれるよなと思って、もう数歩で海の中というところで後ろから誰かに引っ張られた。
 
 びっくりして振り返ってみると父が何とも言えない表情で私を掴んでいた。

 ばかやろうと私を軽く小突くとギュゥツと抱きしめてくれた。

 それから二人で手をつないで車に戻ると、父はいいか給食なんて食べられなくてもいいんだぞと思いもかけない言葉をかけてくれた。

 てっきり私を見限ったものとばかり思っていたのでこの優しい一言は心に染みた。

 私はワンワン泣きながら、がんばって給食食べると父に言うとそうかと嬉しそうだった。
 
 それから学校に行って給食の時間になった。

 すると昨日まであんなに無機質で味のしない食事だったのに、噛みしめてみると美味しいとすら思えるようになった。

 やっぱり時間はオーバーしてしまったが初めて完食することが出来た。

 その日の夜に父にそのことを話すとおお、よかったなとだけ答えてくれた。

 それ以来少しづつ私の給食嫌いは改善していき半年後には普通に食べられるようになった。

 子どもの頃の食わず嫌いは精神的なものが原因なのだろうなと思う。

 私の場合は父の強烈な教育的指導がビシッと心に響いた。

 息子を一人で港に解き放つ勇気はいかほどのものだろうか。

 おとうさん、本気でぶつかってきてくれてありがとう。

 もしかしてあの時泣いていませんでしたか?

 

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