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走って転んで声出して

 早いもので九月もあっという間に日々が過ぎていっている。

 高校時代はこの時期に体育祭があった事を懐かしく思い出す。

 夏休み明けの最初の日曜日に行われており本番まで毎日練習があった。

 一応進学校だったのだがこういった学校行事にはそれなりに力を入れていた。

 本番まで毎日応援合戦や各競技の練習が行われた。

 私は運動があまり得意ではなかったので体育祭に参加するのは気が重かった。

 なので練習の途中で気分が悪いと言ってしてエアコンの効いた保健室のベッドで休んだりしていた。

 そんな感じであまり熱心に取り組んでいないと他の生徒から白い目で見られることも多くまたそれが憂うつだった。

 一週間で本番を迎えるので即席の応援団は熱心に指導してきた。

 柔道部やラグビー部の強面の先輩がギロギロと鈍く光る眼で不真面目な生徒を威圧するのが何とも恐ろしかった。

 当然私も目を付けられて放課後の居残り練習に参加させられたりした。
 
 私は朝出かける時にああ土砂降りの雨が降らないかなぁと淡い願いをしながら登校したものである。

 そんなこんなで毎日を過ごしているとあっという間に本番の日になる。
 
 高校の体育祭は観覧する保護者はほとんどおらず生徒中心で淡々と行われる。

 楽しみと言えば二人三脚で女の子と密着して走ることくらいだった。

 お昼は教室に戻ってお弁当を食べる時間だった。

 普段より少し豪華でから揚げが入っていたり、ウズラの卵入りのスコッチエッグが入っていたりしたので友達とおかず交換が捗った。

 お昼ご飯が終わると午後イチは応援合戦だった。

 応援団のアクロバティックなダンスに合わせて応援歌を歌う。

 なかにはネタに走る応援団もいて、これは見ていてなかなか楽しかった。

 最終種目はリレーで、走るのが得意な生徒がズラリと並んだ。

 私は百メートル十七秒の鈍足だったのでお呼びがかからなかった。

 加点も大きかったのでこの競技の盛り上がりは凄かった。

 応援団もここぞとばかりに鳴り物と手拍子で躍動していた。

 さすがに選抜選手ばかりなので走る生徒は素晴らしく足が早くて見ていてドキドキした。

 パーンとゴールテープを切るのと同時にピストルの音が鳴り勝敗が決まる。

 私の記憶が正しければ二年生の時には逆転優勝を飾ったと思う。

 あの時の生徒全員の一体感は格別なものがあった。

 こうして盛り上がった体育祭が幕を閉じるとささやかな打ち上げがあった。

 クラス単位で当時ブームだったカラオケに行くのが常だった。
 
 私も何となくノリで参加したがクラスメイトの前で歌うのは少し恥ずかしくてドリンクバーとカラオケルームを行ったり来たりしていた。

 そんな時間を過ごしてから帰宅すると母がお疲れ様と言ってお風呂をすすめてくれた。

 ホコリまみれなのでお風呂に入ってしっかりと汚れを落とした。

 それから部屋でぼんやりしながらカラオケで聴いた歌を鼻歌でフンフンしていると父が帰宅するのでそれから晩御飯になった。

 体育祭の日の晩御飯は何だか少し豪華でトンカツやステーキなどボリュームがあるメニューが多かった。

 そうして母が何気なく体育祭どうだった?と聞いてくるので私は鼻高々で逆転優勝したよと言うと父はおおそりゃすごいとなんだかご満悦だった。

 私は揚げたてのトンカツにソースをかけてガジリと齧りついて栄養を補給した。

 トンカツ以外のメニューも充実しておりタラモサラダや挽き肉入りのオムレツなど食べるものが沢山あって目移りしてしまった。

 体育祭というイベントに引っ張られて何となく母がソワソワしているのが良く分かって楽しい気分になったものである。

 そしてご馳走の締めくくりには必ずみつ豆が出てきた。

 母の手製で寒天と豆とフルーツと白玉団子の入った豪華なものであっさりしており食べ応えも十分だった。

 これを食べなきゃイベントが終わらないという定番メニューで私はこのみつ豆がことのほか好きで楽しみしていた。

 この時のみつ豆の味は勝利の余韻もありつつ格別な物だった。

 今ではこれといった特別な事もないので滅多に作られなくなった幻のメニューである。

 お腹いっぱいになるまでみつ豆をパクついたら急激な眠気に誘われる。

 翌日がお休みだと言う事を感謝しつつ何だかんだで内容の濃い一日だったなと振り返ったものである。

 まだずいぶん若かったころの思い出だ。

 今だったら身体がついてこないと思う。

 体育祭、やっぱり楽しかったんだなぁ。

 走るのだけはやっぱり苦手だったけど。


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