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背中で語るタコ社長。

 昨日の夜部屋を片付けていたら昔の履歴書が出てきた。

 二十代の頃のもので証明写真は今よりもずいぶん痩せていて精悍な顔立ちをしていた。

 うわっ、若い!と思ってついしみじみと眺めてしまった。

 ああ、この頃は就職活動に必死だったなと懐かしく思い出す。

 私はいわゆる就職浪人で職にありつくのに非常に苦労した。

 毎週のハローワーク通いは習慣だった。

 大学を卒業して実家に戻っていたのでどうにか暮らせていた。

 とはいえ家にお金を少しでもお金を入れないと居心地が悪いので複数のアルバイトをしていた。

 その中で思い入れが深いのが内装屋さんの仕事である。

 叔父の紹介で勤め始めたそのお店は社長と奥さん従業員一名というこじんまりしたところだった。

 その頃はまだ車を持っていなかったので原付で職場まで通っていた。

 仕事の内容は美容院の改装が主だった。

 私は高校時代に父の内装関係の仕事を手伝っていたので要領は大体わかっていた。

 社長は飄々としておりいつも冗談を言っていて私に対しても高圧的な態度をとることはなかった。

 その代わり社長の奥さんからあんたもっとがんばりんさいよとハッパをかけられることが多かった。

 唯一の従業員さんは四十代の背の低い人で何かあるとすぐにチェッと舌打ちをする人だった。

 そんな個性的な三人の大人に囲まれて働くのは緊張したがアットホームで楽しくもあった。

 ある日山奥の郵便局の改装の依頼があり社長と従業員さんと私の三人で現場に入ったことがある。

 事務所から車で一時間かかる田舎で辺りにはコンビニはおろか自動販売機も一台もないのどかな所だった。

 朝の八時に現場入りしてすぐに作業に取り掛かる。

 私の仕事はPタイルと呼ばれるプラスチック樹脂でできタイルを剥がすことである。

 スクレイパーと呼ばれる道具を使ってガシガシとひたすら剥がしていく。

 ところが古い建物のタイルは接着剤が固まっておりなかなかうまくいかない。

 軍手をしていないと削った破片が指に突き刺さることもあるので注意しなければならなかった。

 私がひたすら床と格闘している間に従業員さんは壁紙をバリバリ剥いで新しいものと張り替えている。

 その手際はさすがにベテランなので無駄が全くない。

 あれよあれよと作業が進んでいた。

 その間に社長は何をしているかというと外でのん気にタバコを吸っているのである。
 
 この人はとんでもないヘビースモーカーで常にタバコを咥えていないと落ち着かないのか多い時は一日に三箱は吸うよとよくわからない自慢をしていた。

 とにかく働くのが嫌なのか悪い意味で動かざること山のごとしという人だった。

 まあそれはいつもの事なので気にしないで作業に没頭した。

 お昼ご飯はお弁当を持参したのでそれを食べて少し休憩して午後の部に取り掛かった。

 床を剥ぐ作業は早いと三時間くらいで済むのだがその日は大苦戦でお昼の三時を回ったところで三分の一が残っていた。

 途中から従業員さんが手伝ってくれたがペースはあまり上がらなかった。

 社長は全く手伝う気が無く車でラジオを聞いていた。

 ううっ、このタコ社長と思いながら目の前のタイルに集中した。

 どうにか全部剥ぎ終えたところで西日が強烈に差し込んできた。

 ここから新しいタイルを張っていかないといけない。
 
 こりゃ残業だなと覚悟して床のごみを綺麗に掃いて新しいPタイルを張っていく。

 この作業はパズルのようで段取りをよく考えてやらないと上手くいかない。

 頭を使う事が苦手な私はいつも苦戦していた。

 うんうん唸りながら格闘していると、どうじゃ終わりそうかいの?と社長が聞いてきた。

 こりゃ、今日中には終わらないですよと私が弱音を吐くと、ふむと頷いておもむろに接着剤を床に撒いた。

 それからほいほいと言いながらタイルを張っていく。
 
 その速度は私の三倍は早くて見る見るうちに新しい床が出現した。

 私も自分のペースで作業をしてどうにかこうにかその日じゅうに作業は完了した。

 それから事務所に戻ると栄養ドリンクを一本くれて、おうお疲れさん今日はしんどい現場じゃったのぅと言いながらタバコに火を点けて美味そうに吸っていた。

 帰る前にじゃあ失礼しますと声をかけるとほい、バイト代と茶封筒を渡してくれた。

 ありがとうございます!とお礼を言ってクタクタで家に帰って中身を見て見るといつもよりだいぶ多めに入っていた。

 これがあるからやめらんないよな~と思ってこのアルバイトは結局一年間続けた。

 普段何もしなさそうな社長のいざという時の鋭い作業と寡黙ながら仕事の早い従業員さんの人柄も良かった。

 何よりマジメ一辺倒だった私にそれだけじゃ肩が凝るよと態度で示してくれた社長に感謝したい。

 この内装屋さんはずいぶん前にお店を畳んでしまったが思い出は多い。

 プロフェッショナルの集まりはいつだってかっこいいし頼りになる。

 そんな事を体で学んだ二十歳過ぎの夜だった。

 

 

 

 

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