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僕らはみんな生きている

久しぶりに東京都美術館に行って、『岡本太郎展』を見てきました。

岡本太郎、名前も作品も知ってるけど、ちゃんと見たことなかったので良い機会だと思い、1番早い時間の日時指定チケットをとりました。

金曜日の朝9時でも上野公園には人がいっぱい‼︎
ピカソに並ぶ人、パンダに並ぶ人、国宝に並ぶ人…結構カオス。

天気が良くて、雲ひとつない青空に銀杏の黄色がとても色鮮やかでした。

コントラストが美しい朝



ほぼ時間通りに到着してサクッと入場。
音声ガイドも借りて、いざ出発。
いきなり巨大な立体がドーーーーーン‼︎

ピノキオっぽい


岡本太郎氏の立体、目が空洞で虚無っぽくて怖いけど、とても愛嬌がある。

第1展示室は、『これぞ岡本太郎』というような、割とメジャーな作品が展示されていて、分かりやすく楽しめます。立体と絵画がバランスよく配置されていて、どこから見ても大丈夫。

はっきりとした色を使っているようで、ちゃんと見ると、ぼかしや陰影が細かく入れられていて、自分が思うよりも繊細な作品であることが感じられました。
荒々しい筆致には、岡本太郎の息遣いを感じます。

いつも、『この人の作品はなぜこんなにもスピード感がありながら、抽象的で掴みどころがないのだろう?』と不思議に思っていたのですが、音声ガイドによれば『目の前を通り過ぎていくイメージを捕まえようと必死になっている』(私の解釈による意訳)のだそうです。
とても納得。長年の謎が解けました。

太陽の塔の模型や、明日の神話のレプリカなども見ることができます。

太陽の塔(表)
太陽の塔(裏)
太陽の塔(内部)


『座ることを拒否する椅子』にも座れてとても楽しいです。

また、旧東京都庁にあった壁画の図案?も展示されていたのですが、『月の壁』がとても優しい雰囲気で好きでした。実物の壁画は既に取り壊されていて、岡本太郎は壁画を残そうとはしなかったそうです。カッコ良すぎる。

音声ガイドと合わせて見ることで、知っているようで知らなかった『岡本太郎』という人が、ちょっと分かった気がしました。
絶筆となった『雷人』の解説では、思わず涙ぐんでしまったほどです。

ちょっと変わった面白芸術おじさんではなく、真摯に自分と向き合い、芸術と向き合い、表現と向き合って生きた人でした。

来年に向けて岡本太郎からパワーを貰いたい‼︎と意気込ん行ったのですが、パワー凄すぎて過充電になった感じです。情報が多すぎて処理できない感じ。無念。

でも、岡本太郎が前よりもっと好きになれた展覧会でした。

今月末で終わってしまうので、気になる方はお早めに。

会場内ではなく一部の作品を除いて撮影可能でした。
みんないっぱい写真を撮っていたけど、

作品の前に立つ → 写真を撮る →  次の作品

みたいな人が結構いて、『写真取りに来たの?』って感じでとても気になってしまった。
かくいう私は、立体の気になった物だけを撮ったのだけど、
岡本太郎の本物の絵をみると、写真に収める気がなくなるというか、
写真にあの絵の持つパワーをうつせない事が分かってしまったので撮りませんでした。
(立体は、パワーがないとかじゃなくて、上手く言えないがなんか違ったんです)

きっと、岡本太郎は写真を撮る人も撮らない人もみんな等しく受け入れて、
『さぁ、どんどん見てくれ‼︎』
と思っているのだろうな。

勝手な想像でしかないけれど、誰にでも惜しみなく与えてくれた人だと思う。

そしてそれは受け取る側によって、愛だったり、パワーだったり、希望だったり、絶望だったりするんだろうな。

岡本太郎の解析度がグンと上がった1日でした。

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