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#5 予想以上の難航 ロンドン就活の道は険しい。

深夜1;00を過ぎて、私はPCを開き、デスクトップに唯一張り付けてあったワードファイルを開いた。何度も推敲して書き上げた、イギリスでCV(Calcium Vitae)と呼ばれる履歴書だ。

私は、化粧品業界でマーケティングの仕事を探していた。憧れの業界で、一度社会人を辞めて行ったアメリカの大学で学んだマーケティングと英語を活かして、業界違いだが ”プラダを着た悪魔” のような世界でバリバリと働くことを夢みていた。

それを目指してここへ来たのだ。
しかし、関連するまともな職務経歴はなく、まさしく憧れだけでここへ来た。
未経験のその仕事へ向けたCVは、実務経験がないというビハインドをなんとか埋めようと、熱意と、美容部員としての僅かな経験、アメリカの大学でマーケティングを専攻していたこと。それらの、か細い関連性を手繰り寄せては説得するような必死の出来だった。

でも、これしかないのだ。これで立ち向かわなければならない。
たとえ本来の就労ビザがなくとも、ネイティブスピーカーでなくとも、美容業界でのマーケティング経験がなくとも。

少なくとも、日本食・寿司レストランで働いている場合ではない。あのレストランでいくら稼ごうと、魚の名前が英語で言えるようになろうと、初めてできたロンドンでの日本の同僚との時間が楽しかろうと、私が目指した目的には一歩も近づかないのは明白だった。

深夜の2時を回ったころ、私は先刻 Indeed で【お気に入り】をつけた一覧20社ほどへCVを送付した。
5社くらいは返事があるのではないかと、期待を込め、先走って【面接で使える英語表現】などのサイトをチェックし、「I worked for the cosmetic company as a beauty advisor…」なんて深夜にぼそぼそと練習さえ初めていた。
4月下旬の頃だった。

翌日から私は重大なオーディションの合否連絡を待つダンサーのごとく、いついかなる時も携帯を握り占め、ひたすらに応募企業からの連絡を待っていた。
応募先にはインターンやアルバイトも含まれていたが、翌日、その翌日と、一週間経っても携帯は一向に鳴らなかった。
月曜日から金曜日まで“待ち態勢”のために緊張をし続けて、電話の鳴るはずのない土曜日にほっと一息とともにため息をつくような感覚だった。
日曜日に私はまたIndeedを開く。新たにつけた【お気に入り】一覧20社ほどに再度CVを送付した。
翌週も、その翌週も月曜日から金曜日まで緊張をし続け、面接の練習を毎朝ぼそぼそと繰り返したが、電話は一向に鳴らないままロンドンは初夏を迎え、私は寿司ネタの魚の名前をすべて英語で言えるようになっていた。

魚にまつわる英語力以外に一歩も前進しない日々が続き、気が付けばアルバイトを始めて三ヵ月が経っていた。

私は相変わらずぼそぼそと面接の練習を続けていたが、「Tell me about yourself ?」など、もはや私には一生聞かれないのではないだろうか、と疑い始めていた。応募企業はおおよそ60社を超えていた。電話は一度鳴り、ビザの種類を聞かれ答えると「sorry」と言われ、電話は切れた。

世界中が自分を必要としていない気がした。

そんな日々が続いたある日、もしも現地就労が叶わないのであれば、私が持ち帰れるものは英語力しかないと思った。

その日、私は日本食・寿司レストランを辞めた。




収入 アルバイト週に300ポンド

支出 家賃週に120ポンド/アルバイト休憩中のコーヒー週3ポンド/クッキー代週3ポンド/バス(オイスターカードのチャージ)毎週20ポンド

ロンドンへ来てから三ヵ月 所持金およそ1500ポンド

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