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#13 下船の日 Disembarkation

乗船から8か月が経った8月のよく晴れた日、クイーンエリザベスは英国サウザンプトンのドックに着いた。下船の日だ。

乗船から8か月。
8か月前にこの港から、緊張しながらも、船と繋がった稼働式の階段を上がり、乗船をした日が遠い昔のように感じられた。今日はその階段を下り、おそらくもう上ることはない。

8か月で50を超える港に着いた。
カナリー諸島から、サウスアフリカへ。
アフリカでは右足の付け根に激痛がはしるという謎の病にかかり、自然な歩行が困難になった。1か月ほど片足を引いて歩いていた私は、足の不自由な日本人クルーとして目立ち、船内で有名になった。

モーリシャス、リ・ユニオン、パプアニューギニア、オーストラリア。イーストアジアに入り、フィリピン、シンガポール、香港、上海、プサン、日本、台北、オマーン。

両岸はひたすらに何もない砂の舞うスエズ運河を渡り、イスタンブール、ギリシャ、スペイン、マルタ、イタリア。

ジブラルタルに着くころには、顔と体中に紫の斑点が多発するという、またしても謎の病にかかり、船内病院で入院していた。顔にできた紫の斑点を見て、私は今後美容業界で働くことをあきらめたが2週間ほどで斑点は消え、Thank godと思った。

サンクトペテルブルクでエレミタージュ美術館に来訪するという、死ぬまでにしたいことリストを一つ叶え、ドイツでは母がコレクションしているシュタイフという300ユーロのティディベアをお土産に調達した。

クロアチアの、「魔女の宅急便」のモデルとなった街も、エストニアの首都タリンも、おとぎの国と呼ばれるに相応しく美しかった。

ストックホルム、コペンハーゲン。北海の香りはいつもとても清々しかったが、スーパーマーケットでオレオビスケットを買ったら600円ほど払っていた。スウェーデンクローネという慣れない通貨と北欧の物価には今後気をつけようと思った。(ベテランクルーは北欧では決して買いものをしない)

ノルウェーでは午前2時になっても沈まない陽をクルーデッキから眺め、白夜が不眠症を引き起こすことを体感した。
スコットランドでは、私が生まれた北海道によく似た景色を眺めてはなんだか遠くに来たな、なんて思ったりしていた。

乗船していたおおよそ250日。全てがいい思い出ではない。
100%の英語環境にいることを選んだことで、初めて仕事ができない自分に出会った。

英語がわからなかったことが理由で、マネージャーに何度も本気で怒られて、できない自分への情けなさにトイレで泣いたこともあった。
同僚と修復不能な大喧嘩をして、この上なく気まずい日々を過ごしたこともあった。

そんな日々も今日で終わり、私はロンドンにいられるこれからの残り少ない時間を、再度先の見えない就職活動に充てるのだ。
乗船した時と同じように深呼吸をして、階段を下りた。

各クルーが下船する時は、祖国までの航空券が支給される。チケットに書かれたTokyoの文字は魅力的だったけれど、今一時でも帰国をしたらもう二度とロンドンに戻る気力がなくなってしまうのではないかと思った。

私は自分に失望していた。自分が思っていたよりも英語の壁はずっと高かった。
ロンドンへ向かう長距離バスの中、これから何をすることが、その壁をよじ登るのに有効だろう、と考えていた。
東京行きのチケットはポケットに入れたまま、結局使わなかった。

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