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アジアさすらいの日々ー中国編⑥(モウちゃんとの思い出と蘇州男子のある誘い)

<前回までの旅>
…船で大阪から上海まで来て、初日は船で出会ったバックパッカーたちと中華料理や上海雑技団を堪能し、2日目は一人で上海の街を歩き巡っていた。そして3日目の今日は旅立ちの日。蘇州行きのチケットを手に、いよいよ完全な一人行動が始まる。

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9月24日(土)

いよいよ本当の一人旅が始まるということで興奮していたのだろう、昨日はあまり熟睡できなかった。ただそれでも荷物の整理をしているうちに旅立ちの高揚感が高まってきて、間もなく別れの時間となった。まずホステルを出るのは同い年で真面目そうなヨウスケ君。彼は休学中ということで、北京に向かいその後しばらく中国に滞在した後大学に戻ると言っていた。次に発つのは恋人の妊娠で急遽帰国する野川さん。彼はそのおどおどした見かけとは裏腹に芸術や作詞といった仕事をしているらしく、最後に連絡先を交換した時の字も達筆だった。そして2人がホステルを出て30分後、僕の出番。
といってもアツシ君とユタカ君も列車の時間が大体同じ時間ということで一緒に駅まで行くことにしていた。僕たちはしばらく上海に滞在するアキラ・メグミ夫妻に最後の別れを告げ、いよいよ駅へと向かうタクシーに乗り込むのだった。(写真は彼らと最後に撮ったもの。右がアツシ君、真ん中がユタカ君、左が僕。)

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空港から乗ったタクシーでは気づかなかったが、中国のタクシーはイメージ通りかなり荒い運転で、いつ衝突してもおかしくないくらいだったが、同時に日本では絶対に味わうことができないスリルも体験できた。ジェットコースターのような乗車体験のおかげで、出発の1時間前くらいには駅に到着し、僕たちは駅前のヌードル屋で昼食をとることにした。近くに座っている客が食べているものを適当に指差し注文すると、たちどころに3人分のラーメン鉢が運ばれてきた。

だがその麺を噛みしめた途端、僕たちは目を見合わせて一斉に笑い始めた。…不味すぎたのである。スープはまだしも、粉のままの味と食感の麺はスープとの間に何のハーモニーも作り出さず、目の前の食べ物は一瞬のうちに楽しませる存在からストレスを与える存在へと変化した。そしてこの時ばかりは言葉が通じない状況が有利に働き、僕たちはその不味さについて笑い声とともに大声で日本語で語り合った。

会話の内容は理解できないものの楽しそうに食事をしている僕たちを見て笑顔で送り出してくれた店員に会釈をして店を出ると、いつの間にか出発時刻が近づいていた。いよいよ、である。中国北部から中央アジアに抜ける予定のユタカ君、そして南部からベトナム方面へと向かうらしいアツシ君に最後の別れを告げ、蘇州行きの列車があるホームへと足を運んだ。

今思えば、彼ら経験者との出会いや彼らとの会話で得られた情報は僕にとって非常に貴重なものだった。当時は現在とは違ってタブレット端末はもちろんパソコンもスマホも普及しておらず、特に僕の場合はケータイもなかったしガイドブックさえ持って行っていなかった。つまり情報源は何もなかったのだ。そんな僕の状況にとって彼らの話は今後の旅の指針を決める上で有益であったし、何より一緒にいられる安心感があった。

しかし、である。僕がこの旅に求めていたもの、それは日本的な常識や雰囲気を完全に取り払った日常だった。だからこそ何の先入観もなしにまっさらな気持ちでその社会や人々を見たかったし、ガイドブックなどの情報源をできる限り抑えたのもそれが理由だった。特に日本人だけのグループで行動すればどこかで日本的な価値観で物事を判断してしまいそうだった。だからこそ彼らとはこれ以上過ごすことはできなかったし、一人旅を選択した彼らもまた同じ気持ちだったのだと思う。

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ホームには既に列車が止まっていた。チケットに書かれてあった3号車に乗り込み、15番の通路側の座席に座ると、やっと1人になったという実感が湧いてきた。そう、これからは自分1人で旅を計画し、自分1人で物事に対処しなければならないのだ。意外とやわらかかった硬座の席に座って10分ほど経つと列車はギーギーと音を立てて動き始め、僕は窓の外を眺めながら旅立ちの余韻に浸っていた。1人になって最初の町は蘇州(苏州)である。実はアジアを旅するにあたって「この町へ行こう」と決めていたところはほとんどなかったのだが、この蘇州に関しては予定に入れていた。それはちょうど2年前の夏、岐阜の下呂で出会った中国人のモウちゃんが蘇州出身だったからである

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当時の僕は大阪市内のコンビニでアルバイトをしている何の夢もない19歳のフリーターで、ちょっとした気晴らしに、繁忙期である8月限定の1ヶ月間、下呂温泉のホテルで期間従業員として働き始めたところだった。そこは下呂の中でも比較的大きなホテルで、小高い丘の上に建っていた。僕は街中にあるそのホテルの別館(ホテル兼従業員寮)の一室に住み込みながら朝晩の一日二回、本館であるこのホテルまでバスで通いながらバイキング形式のレストランで働いていた。そしてそこで一緒に働いていたのが中国から来たモウちゃんだった。

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このレストランでの僕の仕事は客が食べ終わった皿をバックヤードに下げるという単純な仕事で、指示出しや料理を入れ替えたりする社員の横で、僕はひたすら皿を運んでいた。また皿のサイズによって分けられている台車がいっぱいになれば皿洗い場までその台車を持っていくのも業務の一つだったのだが、その洗い場はフィリピン人労働者が担当していて、台車を持っていくといつも笑顔でそれを受け取ってくれていた。

そしてそんな業務を僕と共に担当していたのが、同じ期間従業員としてやって来た2歳年上の村井くんと、中国から来た研修生たちだった。彼女たちは全員中国にあるホテルの専門学校の学生で、1年ほど日本語を覚えながらホテルで働くというプログラムに参加していた。全員20歳くらいの女の子で、ゴウカちゃん、ティカちゃん、オウさん、シンウンさん(年齢のせいなのか、人によって「ちゃん」の人と「さん」の人がいた)、そしてモウちゃんの5人が同じレストラン業務を担当していた。

今考えてみれば(日本生まれ日本育ちである外国籍のクラスメートは高校にいたものの)、純粋な「外国人」と交流するのはこの時が初めてで、日本人とは少し違った雰囲気の彼らとの交流は、後々海外へ行こうという決断に結果的に大きく影響した。実際、下呂で出会った彼らとのコミュニケーションは最初から最後までとてもポジティブな印象として僕の心の中に残っている。
フィリピン人の労働者たちは生真面目な日本人とは違い毎日楽しそうに仕事をしていて、皿を洗う彼らを見ると僕はいつも幸福な気持ちになれた。また中国人研修生の彼女たちは日本語での会話も流暢で歳も近く、部署も同じということもあって、とても親近感を感じていた。特にモウちゃんは飾らない子どものような性格で、(「知らないヤー」「暑いヤー」というように)何でも「ヤー」と語尾に付け加える彼女の口癖が僕は大好きだった。

一度だけ仕事外でモウちゃんと出会ったことがある。その日下呂温泉では夏祭りが開催されていて、偶然にも僕は午前だけのシフトだった。いつものように午前の業務が終わって寮に戻り、昼寝をしているといつの間にか窓の外は薄い赤色に染まっていて、祭りの太鼓の音が微かに聞こえていた。僕はぼんやりした頭で寮を出て、かすかに聞こえる話し声を頼りに、たくさん人がいそうな方へと足を向けた。そして寮から5分ほど、伝統的な石造り風の小道の上を、ゆっくり歩いていくと少し広めの道に出て、その途中には丘の上の神社へと上がる階段があった。道の上にはポツポツと夜店が並んでいたのだが、思ったよりも人は少なく、僕はその階段の隣に腰を下ろして何かが起こるのを待つことにした。時刻はまだ5時半だった。

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30分ほど経っただろうか、辺りも暗くなり人も徐々に増えてきた。祭りの雰囲気も味わったし、そろそろ寮に戻ろうと思い腰を上げると、そこに立っていたのはモウちゃんだった。モウちゃんはティカちゃんと一緒に来ていて、ちょうど僕の前を通りかかったところだった。彼女たちは仕事の時の制服姿の印象とは違い、普通の20代前半の日本の女の子と同じような服を来て、同じように祭りを楽しんでいた。僕は「何してるの?」と声をかけ、彼女たちも「午後は休みだから来たの」と屈託のない笑顔で答えた。10分くらいだろうか、僕たちは仕事のことや一緒に働いている社員たちのこと、下呂温泉のことについて普通の会話をし、普通に別れた。

彼女たちと普通のことを普通に話す、それが僕にとっては特別だった。日本人なら特別だとは感じなかったと思うが、当時の僕にとってある種「特別」な存在である外国人の彼女たちと普通に話したことは僕の中では「特別」なことだったのだと思う。もちろんモウちゃんが僕にとって気になっていた存在だったのもあるのだが、育った社会も文化も異なる彼女たちと「普通」に交流できたことは、出身国に関わらず誰とでも関係性を結べるという希望を感じさせてくれた。

ーーー結局、住み込みの寮も別で一緒に働く期間も短かったこともあって、彼女や他の外国人従業員と何処かへ遊びに行く機会は得られず、連絡先も特に交換しなかった。ただ彼らとの思い出は今でも心に残っていて、その後様々な国へ行って文化の異なる人と交流できたのも下呂での経験があったからこそだった。

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そんな思い出をかみしめながら蘇州行きの列車に揺られ、僕は蘇州のどこかでモウちゃんに会えないだろうか、と感じていた。人口1000万人近くの大都市で、中国にいるかすらも分からない人と出会う可能性なんてほとんど不可能に近いんだろうけど、少なくとも彼女が生まれ育った町を訪ねることで古い思い出に浸りたかった。

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そんな昔のことを回想しながらふと前を見ると、ボックス席のちょうど前に向かい合って座っていた同い年くらいの男の子2人が僕の方を見ていた。どうやら持っている本や様子などから僕が外国人だと気づいたらしい。現地の中国人と交流したいと思っていた僕は、持って行っていた「旅の中国語会話帳」なる本を取り出し、彼らとの会話を試みた。「何歳?」「どこから来たの?」「何しに上海まで来たの?」などと僕が尋ね、彼らはジェスチャーや漢字を書いたりして質問に答えてくれた。そして彼らも僕に興味があるようで、僕の持っている会話帳を見ながら聞きたい質問項目を指さし、僕もまた同じようにジェスチャーや漢字で答えた。

偶然にも彼らは蘇州出身で今から家へ帰るということで、昼ご飯にでも誘おうかなどと考えていたところ、彼らの一人が何気なしにこんな質問をした。
「今日はどこかホテルを予約してるの?」
「いや特にしてないけど、、。」
僕がそう言うと、彼は嬉しそうにこう言った。
「じゃあ僕の家に泊まればいい。」

それが天国への階段なのか地獄への入口なのかはわからない。ただ彼の言ったその一言が、何かドキドキさせてくれるような出来事を引き起こすだろうという予感を僕は覚えていた。危険な香りを感じなかったわけではない。ただ現地のリアルな生活を見たいという気持ちもあったし、少しスリルのある体験をしたいという冒険心が僕の心をくすぐった。そして少し悩んだあと、僕は彼らに対しこう答えた。

「本当に?ありがとう、じゃあそうするよ。」


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