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『大衆の狂気』感想

今回感想を書くのはこの本である。
大衆の狂気 ジェンダー・人種・アイデンティティ
ダグラス・マレー 著・山田美明 訳

この本に興味を持ったきっかけ

わたしが元々Twitterで使っていたアカウントは、海外の映画やドラマの感想をつぶやいたり、フォロワーの多いフェミニストのアカウントをフォローしてフェミニズムに関して情報収集したり発信したりしていた。
ところが、2018年ごろから「トランスジェンダー」をめぐってタイムラインが不穏になり、「反差別」をかかげる人(主に左派界隈)が、主張に同意しないフェミニストや性被害者の女性に対して苛烈なバッシングをする光景を目にするようになった。

そして責められた人(ちなみにわたしが観察した範囲ではほとんどが女性である)は、「#トランス差別に反対します」というハッシュタグや、「反省文」としか形容のできないような独特の雰囲気を持った文書でステートメントを出さない限りは許されないのだ。

また「○○はトランスヘイターなので通報してブロックしてください」と呼びかけるツイートを目にする機会も増えてきて、その情報統制や全体主義的な動きに不信感を持つにいたった。
好きでやっているSNSのはずなのに、いつの間にか、なぜこんなに人の目をうかがったり緊張感を持たなければならなくなってしまったのだろう。

わたしはこういった一連の事象を理不尽に思い、差別者だと責める側(TRA)と責められる側(TERF)の意見を両方読んでみて、新しくその話題に関して情報収集や発信をする今のアカウントを作ってみたところ、この現象に関連が深そうないくつかのキーワードを知ることができた。

それが「アイデンティティ・ポリティクス」「キャンセルカルチャー」「Wokeイデオロギー」「社会的公正」である。
(他には「クィア理論」「脱構築」「ポストモダン」などがある)
そしてこの『大衆の狂気』は海外で暴走しているようにみえる、それらのキーワードにまつわる現象に関して書かれた本だ。

こういった本の感想を書くと「ほらwやっぱり他称TERFは保守で右翼なんだwネトウヨと同じじゃんw」だの「反LGBTの統一教会信者」だの「結局アンチポリコレかよ」などといった罵倒ご意見が飛んできそうだが、右も左も関係なくわたしは自分がおかしいと思ったことはおかしいといいたいので、Twitterに流した読書感想実況中継に加筆してこの記事を書いた。

ちなみに、SNSで観測できた活動家たちの過激にみえる活動に関しては以下の記事にしたので時間があれば読んでほしい。

『大衆の狂気』は、章がゲイ・女性・人種・トランスジェンダーにそれぞれ分かれていて、まずはいちばん気になっているトランスジェンダーの章を先に読んだ。

トランスジェンダー

トランスジェンダーであることをカミングアウトしたケイトリン・ジェンナーが受賞したときのスタンディングオベーションでいち早く着席した人が、その様子をカメラに撮られて「さほど熱心に称賛していなかった」という理由で非難されたり、
討論番組で保守派の評論家ベン・シャピロがトランス女性であるゾーイ・トゥアに首筋に手をかけられながら「もうやめて。救急車で帰宅することになってもいいの」といわれたり、
地雷を踏んだフェミニスト(ジュリー・ビンデルやスザンヌ・ムーアやジュリー・バーチルやジャーメイン・グリア)がどうやって干されたかとか、
テストステロンメーカーであるエンド・ファーマシューティカルズの公認コンサルタントであるオルソン=ケネディ夫妻が開催する「歓声・笑い・不満・拍手が何よりもキリスト教の伝道集会に似ている」怪しいUSPATH会議の話や、
徹底的な検討がなされないまま性別適合手術寸前までいった若者のエピソードなどが載っててマジかよ……の連続だった。

ビンデルやグリア、バーチルといったフェミニストは、女性の生殖権や暴力的なパートナーから逃げる権利などにいまだに関心をいだくフェミニズム学派の出身である。
こうしたフェミニストたちは、女性はこうあるべきだという固定観念を破壊すべきだと信じている。
そのため、トランスジェンダーの権利運動とは明らかに相容れない点がある。そのなかでもフェミニストたちにとっていちばん受け入れがたいと思われるのが、トランスジェンダーがさまざまな点において、ジェンダーに関する社会的構成概念に異議を唱えるのではなく、むしろそれを強化している点である

p.390 「地雷を踏むフェミニスト」より

人間はレゴブロックのように、意のままに新たな部品をつけたり、外したり、交換したりできるのか?現代の手術は、痛みも、出血も、縫い目も、傷もないから、誰もがいつでも胸をくっつけられ、その新たな体を楽しみながら余生を楽しく過ごしていけるというのか?

p.405 「専門家」より

日本在住かつ日本語で情報収集をしているとなかなか英語圏のニュースが流れてこないので、筆者の解釈には異論がある人もいるだろうが、実際に起こったさまざまな出来事を知ることができてたいへん興味深かった。

女性

女性の権利について大きな関心を持っている立場としては「女性」の章を読むのはめちゃめちゃ複雑な気持ちになりそうだが、どう言及されているのか怖くもありつつ楽しみだなと、おそるおそる読んだ。
「女性」の章は、やはり、著者の批判に同意できるところとそれは違うのでは?と思うところがあった。

なかでも
「女性のみが行使する権力のなかで、もっとも疑う余地がないのは以下のようなものである。すべての女性とは言わないまでも、多くの女性には、男性にはない能力がある。異性を夢中にさせる能力、あるいは異性を混乱させる能力である」
「フェミニズムが男性憎悪を植えつけた」や
「『マンスプレイニング』は軽い男性憎悪」や
「『男性の特権』があるならなぜ自殺者や危険な仕事で死亡する人やホームレスは男性のほうが多いのか」などは、
アンチフェミがよくTwitterで発言してることなので、海外でも日本と同じようなこと言われてるんだ…と苦笑した。

ちょうどアンチフェミ的立場の典型的なツイートがタイムラインに流れてきたので一例として紹介してみよう。

女性には性的資本がある故に被害者になると言われるのだが、女性はその性的資本を以て男性に加害するのだ。自分が誰かに必要とされるために性交渉や性嫌悪を使って(後者は主にツイフェミ)承認欲求を満たし、そのために男性の尊厳を奪っていくのだ。

某ツイートより

「女性はその性的資本を以て男性に加害するのだ」??????
女性のことを性的にみなすのは男性側の勝手なのに、その原因を女性側に責任転嫁して自己憐憫にひたりながら「男性の尊厳を奪う」だの、歪んだ認知のまま被害者意識でメソメソするのも大概にしてほしい。

『大衆の狂気』の内容に戻るが、一方で「女がセクシーであること=パワーを持っている」ような風潮に疑問を呈している意見には『美とミソジニー』を読んだ自分としては同意できるところもあった。

「トランスジェンダー」「女性」の章だけでなく、「ゲイ」「人種」の章も同じように、暴動のような出来事が紹介され、物議をかもしかねない言及がなされていたのだが、ここでは割愛する。
章の合間にある「間奏」もそれぞれ読みどころが多かった。

間奏 マルクス主義的な基盤


TRA界隈がひたすら「読め」「読めば分かる」と言っている本の著者であるジュディス・バトラーが超disられてて草生えた。

社会的公正やインターセクショナリティといったイデオロギーの伝道者には、ある共通点がある。
彼らの著作は、読んでもよくわからない。何も語るべきことがない人や、語ろうとする内容が事実ではないことを隠さなければならないような人がよく用いるような、意図的に理解を妨げるような文体を使うのである。
ジュディス・バトラーがとうとうとまくしたてている以下のような文章を見れば、それがよくわかるだろう。
(中略)
このようなひどい文章は、著者が何かを隠そうとしている場合にのみ生まれる。

p.116

どえらい難解な文章だなと思ってたけど、やっぱりみんなよく分かってなかったんじゃん!!!

「実は私も結構な部分 よくわからないで読んでいる」
「えっ 私だけじゃない…」
「みんな実は 結構 よくわからないまま 読んでいる…」
「そうだったの!?」(パァァ)
「……に決まっている!」

『バーナード嬢曰く。』1巻56ページ
グレッグ・イーガンの著作に関する町田さわ子と神林しおりの会話より

SFはみんな結構よくわからないまま読んでたとしてもいいと思うけど、学術書がこの状態でいいのだろうか……?(分かりやすすぎるのも問題だとは思うが)

『「社会正義」はいつも正しい』(原題“Cynical Theories: How Activist Scholarship Made Everything About Race, Gender, and Identity: And Why This Harms Everybody”)の著者である、数学者ジェームズ・リンジーと編集長ヘレン・プラックローズが荒唐無稽な論文をいたずらで出して受理されたエピソードも載っていた。

ボゴシアンらが実行したいたずらは、死活的に重要な論点を提示している。
それは、この分野の学術研究が詐欺の温床になっていることを指摘しているだけではない。
関連分野の既存の理論や前提を採用し、理解しようのない言葉を利用しているかぎり、何を調べ、何を訴え、何を主張しても学術的に認められることを指摘してもいる。

p.120

このアイロニーがすごい2022。

ちなみに『「社会正義」はいつも正しい──人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて』は2022年11月16日に早川書房から出版されるので、そちらの本にも大変興味を持っている。

全米を百家争鳴の大渦に呑み込んだベストセラー。アラン・ソーカル、リチャード・ドーキンス絶賛
フェミニズム、クィア理論、批判的人種理論――〈社会正義〉の御旗の下、急激な変異と暴走が続くポストモダニズム。「第二のソーカル事件」でその杜撰な実態を暴き、全米に論争を巻き起こした著者コンビが、現代社会を破壊し続ける〈理論〉の正体を解明する!

「社会正義」はいつも正しい──人種、ジェンダー、アイデンティティにまつわる捏造のすべて
商品詳細より

「マルクス主義的な基盤」と書いてある通り、活動家たちが執拗に謝罪と訂正と反省文的なステートメントの発表を迫る様子を「連合赤軍的な総括」にたとえるのも、あながちずれていないのかもしれない。

おわりに

Twitterではトランスジェンダーに言及されてる本に対して「注意喚起」がなされるのがもはや恒例行事のようになっているが、『大衆の狂気』は一章がまるまる「トランスジェンダー」に割かれているにもかかわらず、キャンセルするような動きはほとんどみられない。

作者本人があとがきでもこう述べている。

きわめて不愉快なトランスジェンダー活動家の運動にはパターンがある、ということだ。現時点で、誰よりも彼らから抗議を受け、口を封じられ、侮辱されているのは、トランスジェンダー活動家のあらゆる主張に賛同しているわけではないフェミニストたちである。

p.463「あとがき(ペーパーバック版)」より

女性が演壇に立つイベントにトランスジェンダー活動家が抗議しようとするのは、その奥底に、おそらくは女性を差別する、きわめて醜い偏見が潜んでいるからではないか、と。
その偏見のなかには、女性は男性よりもいじめやすいという意識が潜んでいる(この場合、活動家はこれらの女性の性格や精神力にほとんど注意を払っていない)。
また、トランスジェンダーを批判する女性たちを、自分たちの運動にとってきわめて危険な存在とみなす意識も潜んでいる(イスラム原理主義者が、アヤーン・ヒルシ・アリなど、イスラム原理主義を批判する女性に対してそう思っているように)。
あるいは、トランスジェンダー活動家が女性を標的にする背景には、嫉妬(だけにかぎらないが)などの複雑な感情もあるのかもしれない。

P.464 「あとがき(ペーパーバック版)」より

『大衆の狂気』はきわめて論争的な本である。
読みながらツッコミたくなるところも多くあったし、著者の主張に100%同意しているわけではない。
それでもなお、わたしがずっと不可思議で理不尽に思っていた事象に対して、英語圏で起こった事件が紹介されているのに加えて、「アイデンティティ・ポリティクス」「キャンセルカルチャー」「Wokeイデオロギー」「社会的公正」のキーワードでとらえられるような、まとまった考察があったので、一連の背景を考えるうえでとても参考になったように思う。

同じキーワードに関連する本として、次は『ガリレオの中指』を読もうかな。

著者アリス・ドレガーは科学史・医学史を専門とする歴史学者であり、インターセックスの権利の確立を求める活動家でもある。ドレガーは、アメリカにおける学術研究や医療を取り巻く事実と証拠の軽視、ひいては学問の自由の危機に警鐘を鳴らす。

『ガリレオの中指』書誌情報より

【追記】


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