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電車を降り損ね、キリンになった男の #2021年映画ベスト10

 光陰矢の如し、あっという間に年の瀬がやってきた。

 流行り病の影響をモロに受け、残業時間の増加に相まって鑑賞本数が激減。話題作も軒並み延期が続き、大手配給会社も続々と配信に舵を切ったために、観たかった作品が日本にやってきた頃にはYoutubeに違法アップ動画が蔓延する。そんな一年を生き延びた今、それでも楽しかったと思えるのはちゃんと”狂えた”作品に出会えたからだろうか。

 人生の半分を捧げ熱狂した神話がエンドマークを打ち、灰になった心と身体は再生産された。そんな一年の振り返りと、翌年に歩を進めるための自己満足。最後までお付き合いいただければ幸いです。

#2021年映画ベスト10

 念のためレギュレーションとしては「年内に劇場公開され、鑑賞した作品」に限って選出いたしました。旧作を入れると「ガメラとパトレイバー」で記事が終わってしまうからです。良かったよね、ドルビーシネマで観るイリス。

10位 エターナルズ

 あらゆるエンタメの事実上頂点に君臨する巨大帝国MCUは、エンドゲーム後も速度を落とすことなく挑戦的なシフトを緩めない。ヒーローがアッセンブルする時代から、多様なジャンルや価値観が集結するユニバースへ。その豊かさを象徴する代表作として、まさかのクロエ・ジャオを抜擢に至る。

 日本での宣伝では、彼らはヒーローチームであるかのように触れ回っていたが、実際のところ「エターナルズ」は種族名でしかなく、そこにいたのは人間社会を数千年に渡り見守り、暮らしてきた“個人”の集まりであった。ゆえに、本作は彼らに「どう生きるのか?」という命題を突き付ける。与えられた使命に順ずるか、守りたい者のために闘うのか。それぞれが悩み、かつての仲間と意見を違えながらも、各々が自分の中にある答えを信じて闘う。

 批判点としてよく挙げられていた「最終決戦に参加しないメンバーがいる」点についてだが、私はこれがあるからこそ本作を賞賛したくなってしまうのだ。大義としての「正義」のために闘うヒーローはもちろん素晴らしい。だが、エターナルズとして創造された道具でしかなかった彼らにはすでに、一人一人の生きる理由が、意味が、目的が芽生えている。一度失ったアイデンティティーを取り戻すため、愛する者のために懸命に闘う者たちを生き様を、クロエ・ジャオは長尺で描き切る。こんなにしっとりした質感の作品が現れるMCUは、もはや他の追随を許さない高みに到達している気がしてならない。

9位 プロミシング・ヤング・ウーマン
8位 SNS 少女たちの10日間

 映画を観て、「それまでとは景色が違って見えるようになる」感覚を時々得ることがある。それは主にドキュメンタリーで起きる現象なのだけれど、今年最も自分の浅はかな常識を揺るがされたのが、この二本だった。

 どちらも「性被害」を扱っているために、この作品について話すことは難しい。ゆえに主観頼りになってしまうのだけれど、衝撃的だったのは「女性として生きているだけで常に暴力に晒されている」ということを、自分が分かった気になっていた、ということに気づかされたからだ。と同時に、これらの作品を鑑賞し男性であることの加害者性を意識する、という行為を経ることで「禊」を終えた気になっていたという自分自身の弱さを浮き彫りにされてしまったことも、忘れられない。

 『プロミシング~』では卑劣な性暴力によって親友を失った女性の復讐が題材となっているのだが、復讐というものは良くも悪くも「スカッとするエンタメ」として受け取ってしまう。愚かな男性性に中指を立てるキャリー・マリガンの演技は素晴らしいものだが、それに爽快感を感じ劇場を出るだけでは、何も変わらない。無残に奪われた命や尊厳、人生の重みに向き合って初めて、この映画を観ることの意味が生まれる。初鑑賞時、「面白かった」の言葉で片付けようとした私は、真の問題と向き合う覚悟が出来ていなかった。反省を促す意味でも、忘れがたい一作だ。

 続く『SNS』は、インターネットを通じて誰とでも繋がれる現代の当たり前に警鐘を鳴らすものであり、今なお世界のそこら中で起きている搾取と暴力の実態を眼前に突き付けるもので、逃げ場のない劇場での鑑賞にこそ意義があった。未成年の少女を狙うのは決して小児性愛者ではなく、「自分より弱き者を支配したい」欲求の持ち主である、というおぞましさ。そんな”狼”どもが職を持ち、家庭を築いているという事実を知って、一体何を信じたら良いのだろうか。

 決して万人に薦められる作品ではないし、鑑賞中ずっと胃の痛みに襲われ、再鑑賞にはそれなりの覚悟を要するはずだ。それでも、この現実を知らずして生きるのはあまりに無知で、世間知らずだった。痛みを伴うからこそ、強烈に印象づけられた二作を挙げておきたい。

7位 サイダーのように言葉が湧き上がる

 当時、なんだかよくわからない記事でお茶を濁してしまったけれど、今年最も「愛おしい」作品を挙げるのなら、サイダーになる。

 自分の「スキ」を肯定されることの喜びと、文字数が制約される中で情緒や情景を表現する「俳句」という文化の奥深さに見惚れ、少年少女の心の揺らぎと触れ合いのときめきは真夏の青空によく映える。そうして高まったエモーションが夜空に“爆発”する瞬間の感動たるや、凄まじいものがあった。とても優しくて爽やかで、本作独特の色調で描きこまれた「イオン付近」の風景に少し、ノスタルジーを掻き立てられて涙してしまう。

6位 孤狼の血 LEVEL2

 最狂。今年この言葉が最も似合う男は、やはり上林成浩だ。回避不可能の天災のように暴力を撒き散らし、観る者を震え上がらせる。そのギラついた目つきは誰よりも荒々しく、奴の前では寺島進も宇梶剛士も赤子のよう。最推し俳優の一人・鈴木亮平が全力で演じ切ったこの上林という男が怖すぎるあまり、「早く死んでくれ」と物騒極まりない言葉をずっと祈りながら、座席に縛り付けられる羽目になった。

 そんな鈴木亮平と松坂桃李のメンチ切ったバトルは、さながらもう一つの『ゴジラVSコング』のようで、ソーシャルディスタンスを一切遵守せず顔を近づけ激しく殴り合い、広島はもう滅茶苦茶だ。すでに三作目の製作がアナウンスされているが、鈴木亮平のいない続編が本作を超えられるのか、心配になるくらいには上林を恐れている。

5位 ゴジラVSコング

 これはいわゆる”塩梅”ですが、私にとって「存在そのものがありがたい映画」という評価基準があって、その際映画の質だとか正しさは一切考慮されない。人間ドラマに深みがあるとか、政治的にフェアだとか、そういったものだけが優れた映画じゃないはずだ。

 スクリーンに釘付けになりながら、心を満たしていたのは「感謝」ただ一つだった。よもや自分が生きているうちにゴジラとコングが闘う映画が製作され、それをこの肉眼で目撃しているという事実の、なんと有難いことよ。『パシフィック・リム』を皮切りに様々なオタクの夢を現実にしてきたレジェンダリー社がオレたち怪獣マニアに捧げる、最高のプレゼント。モンスター映画の祖VS怪獣王の命を削り合うガチバトル。巨神は争う理由は「王を決めるため」でしかなく、人間描写は最低限用意されたストーリーを進行させるための機能でしかない。余計なものを削いで、作り手が見せたかったものは、もう二度と実現はしないだろう映画史上最大のドリームマッチ。

 かつて本作のメガホンを託すことに不安を抱いたアダム・ウィンガード監督に全力で謝罪しながら、ハリウッドからのファンサービスを全身で浴び、身体は歓喜で震え涙が止まらなかった。ありがとうモンスターバース。ゴジラとコングが互いを称え合う結末で、最高の夢は一区切りを迎えた。

4位 ベイビーわるきゅーれ

 見たこともないアクションのつるべ打ちと、女子高生×殺し屋という座組の妙、何より主演二人の空気感がたまらなくて、この二人が暮らす部屋の壁になっていつまでも見守りたくなってしまう。人が大勢死んでいるのに、終始ハッピーで軽率で、何より楽しい。

 彼女らにとっては、税金を支払ったりバイト先で良好な人間関係を築くことは、人を殺すよりも難しい。裏を返せば、「真っ当に生きる」というのは途方もなく大変で、教科書は何の助けにもならない。だからこそ、互いを補い合い、肩を寄せ合って生きる二人はこの二人だからしぶとく、自分らしくいられる。たとえその手が血で汚れていたとしても、この関係性は美しくて、憧れてしまうものだ。

3位 ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党集結

 ワーナーは偉い。かのD社がジェームズ・ガンを放逐した際、彼を即座にフックアップして「ウチのヒーローを好きにしていいよ!!!!」と言ってのけたその度量と器の大きさに、もはや感服するしかない。

 そんな重役たちの期待に応えるかの如く、今回のガンちゃんには遠慮がない。全年齢対象映画の枠に収める必要すらないのだから、今のガンは無敵だ。下品・俗悪・露悪的・ゴア表現……。すなわち傑作映画の条件を全て満たした上で『ガーディアンズ~』同様にならず者たちへの優しい目線を配し、犯罪者だったはずの彼らが誰かにとってのヒーローになる瞬間に最大限のカタルシスが待っていた。私にとっては、2010年代以降のヒーロー映画の中で最もパワフルで、不謹慎で、サイコーの映画だった。ガンちゃん、D社で鬱憤が溜まったら、たまにDCでガス抜きして映画撮ってくれないかな。

2位 シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

 14歳でエヴァと出会い、ヱヴァをリアルタイムで追い続け、そして終わる。本作に関しては最早「映画鑑賞」などという枠に収まらず、人生の半分を捧げたコンテンツに別れを告げるという一大イベントと化していて、結果として卒業に失敗して今もネオンジェネシスに到達できずにいる。

 確かに、「コミュニティで任された役割を果たす」ことを「大人になる」こととして描いたことに、多少の寂しさがあった。それは今や株式会社の社長であり、家族や従業員を食べさせていく立場になった庵野総監督の今の立ち位置ゆえに見えた景色であり、そもそも作り手のフィルモグラフィーのみならず「庵野秀明」という映像作家のこれまでの軌跡を知らずして語ることが許されないという大変特殊な一作で、金曜ロードショーで過去作が放映されるまで一般化したシリーズの完結編としては、あまりに尖りすぎている。

 しかしそれでも、碇ゲンドウが幼い息子シンジを抱きしめるシーンを観て、私は「この瞬間のためにエヴァを見続けてきたんだ」という確信を得た。誰よりも他人を避け、誰よりも弱く繊細だった男が、「子どもが泣いてたら安心させてあげる」ことが出来た時、初めて”そこにいた”ユイを感じられる。この答えに気づくまで、実に25年もの間、碇ゲンドウは孤独で、脆弱な一人の人間であり続けた。そして、この男の救済無くして『エヴァンゲリオン』は終われなかった。碇ゲンドウがA.T.フィールドを、心の壁をこじ開けた時、世界は新生され少年は大人への階段を登ったのである。

ユイから貰った安らぎを、自分と誰かに与えられるように。1995年から続くエヴァンゲリオンシリーズが落とし前をつけるには、この男が世界を愛せるようになる必要があったのだ。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』が描いた、『エヴァ』と『ヱヴァ』がやり残したこと。

 その一方で、エヴァの新作がないこの世界は、どこか物寂しい。インターネットの考察を読みふけったり、予告編を何度も再生して想像を膨らませたりといった、あの日々はもう過去のものになってしまった。その代わり、『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』という新しい夢を創造し続ける庵野監督に足を向けて寝られない日々が続くことは、シンジくんの成長と決心を想えば少し後ろめたくも、この世界でこれからも生きて行こうと思える、充分な理由になるのだった。

1位 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト

 実のところ、前述の『シン・エヴァ』とは近しいものを本作には感じている。碇シンジがエヴァンゲリオンのパイロットとして使徒と闘うことを科せられた「キャラクター」から脱して宇部新川駅に辿り着いたように、愛城華恋もまた神楽ひかりとの運命から解き放たれ、一人の舞台少女・愛城華恋として新生する姿を描く。その時、「レヴュースタァライト」は演じ切られ、少女たちは次の舞台を目指し走り出す。借り物の靴を脱ぎ棄て、自分のための未来に向けて、貪欲に、しかし華麗に美しく。

 本作のあらすじは一言で「進路相談」であり、もっと乱暴に要約すれば「自分の進路をテメェで決める」話なのだけれど、そのためにはまず自分の殻を脱ぎ捨てなければならない。言い訳も建前も、執着も依存も全部脱ぎ捨てて、剥きだしになった自分をさらけ出して、本音をぶつけ合って、分かり合うための野生の舞台=ワイルドスクリーンバロック。それは観客である我々が望んだ舞台であり、スタァライトを演じ切った舞台少女たちが一度死んで、先に進むための過激なイニシエーション。

 その圧倒的な音楽と台詞と映像の濁流にのみ込まれ、感情のぶつかり合いに涙し、スクリーンを固唾を飲んで見守る我々でさえも、この映画は「舞台装置」として取り込んでしまう。この時観客は、彼女たちが舞台を演じるための「燃料」でしかない。本作は、少女たちの新生の喜びを表現するために、観客ですら燃やし尽くしてしまう。我々は火にくべられた薪であり、少女たちの血肉となるトマトそのものだ。

 炎に焼かれ、砂漠に独り堕ちていくキリン。その姿にさえ、私は憧れを覚える。一度死んだ演目に、萎え切った舞台少女の心に再び火を灯す役目を与えられたら、どんなに幸福だろうか。その先にある「再生産のレビュー」は、今年観たどの映画よりも美しくて感動的で、目が離せなかった。そんな舞台の燃料になりたくて、twitterのアカウント名から🍅の絵文字は外せないでいる。ポジション・ゼロは、未だ心に打ちつけられたままだ。

 それほどまでに魅了され、心奪われた『レヴュースタァライト』は、確かに終わってしまった。が、それは彼女たちの旅立ちのための序曲だ。聖翔音楽学園99期生たち最後の煌めき、別れの切なさと未来への希望を見据えた輝きに【劇場で】立ち会えたことは、この作品に出会えた全てに感謝してもお釣りが出るほどの巨大な感動であった。

私たちはもう、舞台の上

『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』

未来へ

 一年が終わる。忙しくてあっという間だったし、私生活にも大きな変化があって、映画を観る機会も減ったし、配信コンテンツがどんどん魅力的になっていっても観る時間は捻出できず、MCUを制覇することも容易ではなくなった。それでも、大スクリーンと大きな音響でなければ、満足できない身体にもう仕上がっているのだ。だからこそ、これからも劇場通いは止められない。

 それに、来年は来年でエヴァに匹敵するもう一つの「正典」に新たなページが加えられてしまうので、何としてもそれまで健康に健やかに、生きていかねばならない。その先にあるのか希望か絶望か、まだわからないけれども―。



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