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鬼邪高の女、『ベイビーわるきゅーれ』に一目惚れするの巻。

 俳優・山田裕貴氏が『テン・ゴーカイジャー』にて久しぶりにジョー・ギブケン / ゴーカイブルーを演じてくれる。氏の俳優デビュー作にして、私が彼のファンになったきっかけの作品。今や引っ張りだこの人気俳優が、多忙なスケジュールの合間を縫ってこうして古巣に帰ってきてくれるのは、一人の特撮ファンとして無上の喜びである。

 さて、山田裕貴といえばHiGH&LOW、HiGH&LOWといえば鬼邪高であるわけだが、鬼邪高の女にとっては見逃せない作品がミニシアターを中心にひっそりと公開されていた。『ベイビーわるきゅーれ』である。

女子高生殺し屋2人組のちさととまひろは、高校卒業を前に途方に暮れていた・・・。
明日から“オモテの顔”としての“社会人”をしなければならない。組織に委託された人殺し以外、何もしてこなかった彼女たち。
突然社会に適合しなければならなくなり、公共料金の支払い、年金、税金、バイトなど社会の公的業務や人間関係や理不尽に日々を揉まれていく。
さらに2人は組織からルームシェアを命じられ、コミュ障のまひろは、バイトもそつなくこなすちさとに嫉妬し、2人の仲も徐々に険悪に。
そんな中でも殺し屋の仕事は忙しく、さらにはヤクザから恨みを買って面倒なことに巻き込まれちゃってさあ大変。
そんな日々を送る2人が、「ああ大人になるって、こういうことなのかなあ」とか思ったり、思わなかったりする、成長したり、成長しなかったりする物語である。

 女子高生モノの映画になぜ鬼邪高の女が反応したのか?それは、本作のアクション監督を園村健介氏が務めているからだ。彼の代表作と言えばジョン・ウー監督の『マンハント』や自身でメガホンを取った『HYDRA』が挙げられるだろうが、その才能が発揮されたベストバウトと言えば『HIGH&LOW』シーズン2における村山VS轟。互いの身体が触れ合うか触れ合わないかの距離を保っての超近接格闘、マーシャルアーツや組手を駆使して体位を入れ替えながらの激しい戦闘は、多数対多数の乱闘戦が印象に残りがちな『HIGH&LOW』シリーズにおいて「タイマンでもヤベェのやってるぞ」とこちらの意識を大きく変革させるに至った。LDH出身ではない山田裕貴と前田公輝が、その美しい顔に傷がつくことをいとわないかの如く荒々しいバトルを披露したこの回は、公式傑作選こと『HiGH&LOW THE BEST BOUT』にも選出された程の一戦でもあった。それをコーディネートしたのが、園村健介氏である。

 そんな氏が携わった新作にて、アクションスターを担うのが伊澤彩織とくれば、もう「勝ち確」でしかない。『るろうに剣心 最終章』や『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』などでスタントダブルを務める、普段は裏方に徹するような方なのだが、今回は俳優としての御出演。twitter等でご本人がアップされているアクションリールをご覧いただきたいのだけれど、「目にも止まらぬ」としか言いようのないアクションの素早さ、キュートさと肝の据わった表情を兼ね備えたギャップが素敵な俳優さんで、本作は観る前から最高の品質保証が約束されているのである。

 主演はもうお一方、髙石あかりさん。不勉強ながら本作を観るまで存じ上げなかったのだけれど、彼女も素晴らしかった。2002年生まれの18歳というご本人の若さがそのまま表れたような女子高生を喜々と演じつつ、いざアクションになればこれまたドスの効いた表情で敵を圧倒。簡単に要約するとナメてたJKがジョン・ウィックだったというわけで、腰を落とした射撃の型が異様にカッコカワイイ女優さんだった。ほんとすき。この人に殺されたい。

 こうした布陣で繰り出される本作のアクションは、どこを抜き出しても「スゲェ」の言葉しか出力できなかった。例えば冒頭のコンビニ戦、伊澤彩織演じるまひろが複数の男から抱え上げられナイフを向けられるという危機一髪の状況をどう切り抜けるかにおいて、ある驚きのワンアクションで敵の拘束を抜け反撃に移るシーンだけでも、殺陣で観客の度肝を抜いてやろうという意欲がビンビンに伝わってきた。圧倒的な体格差をものともしない伊澤彩織の身のこなしが、こちらの理解が及ぶ一歩先を常に行くハイスピードで展開され、興奮がエスカレートしていく感覚。または、髙石あかり演じるちさとがJKから殺し屋へシームレスにスイッチする瞬間に、笑いと驚きが交互に去来する楽しさ。

 本作のアクションを適格にお伝えできる語彙を持たないことをとても悔しく思う次第なのだけれど、本作は凄まじさ・格好よさ・テクニカルさにおいてどれもが高水準で、ハッキリいって世界クラスだとも思う。それこそ『ジョ・ウィック』の偉大な発明たるガン・フーも引用しつつ、敵の攻撃を受け流し高速の反撃に移る園村健介氏お得意の超近接/超高速バトルの迫力は、海外メジャーのアクションタイトルと同等のアドレナリンが得られたし、何よりそれらが女子高生がバイトの愚痴を言いながら生活する日常と交互に描かれることによって生じるおかしみ相まって、本作にしかない独特の味わいを醸し出していた。マスクの下で思わず声が出るようなアクションの坩堝に、ただただ圧倒されるだけの95分間。幸せであった。

 アクションを語ろうとして語り切れず、もうこのnoteに意味はないのだけれど、もう少しお付き合いいただけるのなら「本作は最高のシスターフッドだった」という話もしたいと思う。

 "「明るい殺し屋映画」があってもいいじゃないか!”というコンセプトの通り、本作は殺し屋映画から連想される血生臭さ、過剰な暴力を可能な限りオミットし、それらが自立を促される若い女性二人の日常と並行して描かれる点が、何よりも楽しい。殺し屋としての腕はピカイチ、でも生活力は悲惨。おまけにまひろは他人とのコミュニケーションに難があり、自ら認める通り社会不適合者である。そんな二人がバイトのシフトを交代するような気軽さで殺しの任務に赴いたり、イヤ~な客や先輩を殺す妄想しながら毎日のツラい出来事をやり過ごし、お互いが自分らしくいられる家に帰ってくる。その空間で繰り広げられる二人のやり取りの間、絶妙なテンポの会話一つ一つを楽しむことも本作の醍醐味である。

 まずもって日本とかいう国、税金や光熱費の支払いだとか、住民票の手続きとか、「普通に」生きることにおいてハードルが異常に高く、ンなモン学校で教わってねぇよ!!!!と言いたくなる経験が誰しもあったと思う。にもかかわらず、「普通に」生きられる人たちからは値踏みされ、マンガやアニメから借りてきた言葉で自分の至らなさを指摘される。なんというか、息苦しい国、ニッポン。

 殺し屋の人生に共感するのに、人を殺す必要はない。殺し屋も極道も、裏を返せば表社会では真っ当に生きられない人たちなので、大なり小なり彼女たちの不出来な部分は私たちも内包しているものである。だからこそ、ちさととまひろが社会性を纏うことなく、ありのままでいられる「ふたり」を何よりも守り通そうとする姿勢だったり、困った時は素直に相手を頼ることの出来る関係が尊いものであると観客は納得できるし、社会が望む「大人」になることを絶対の正義にしなかった本作の描き方に、優しさを感じてしまうのだ。ジェームズ・ガンの映画にも通じるならず者たちへの愛に満ち満ちた本作は、その優しさゆえに自分も救われた気持ちになってしまうのかもしれない。頑張った後のご褒美にショートケーキを頬張る日常が、どうしようもなく愛おしい。

 アクションも凄い、キャラクターの関係性が尊い。そんなモン約束された傑作なワケで、もし未見の方がいたら今すぐ観に行った方がいい。公開劇場も少なければ期間も短い。地方ならなおさら、チャンスは限られる。この手のジャンルはソフトが必ず発売されるとも限らないのだから、行ける内に行く、それがお約束だ。絶対に損はさせないし、必ずもう一度観たくなる一本。パンフを買うのも忘れるな、ドラマCDが付いてくる。Fateかよ。

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