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ガンちゃん印の元気になれるゴアムービー『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党集結』

 SNSが手放せなくなった現代、過去の発言によって信用や職を失うケースを見かけることも多いが、かのジェームズ・ガン監督をディズニーが一度は解雇したその時、ワーナーやDCには千載一遇のチャンスに思えたはずだ。陽の当たる道を歩けない社会のはみ出し者たちがチームを組み、やがてヒーローになる物語。まさしく、『スーサイド・スクワッド』を任せるにはうってつけの人材が、宙に浮いたのだから。

 2016年のデヴィッド・エアー版も大好きだよ、という前置きをしておきながら、『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党集結』、めっちゃくちゃ面白かったし、劇場で何度も声を出して笑ってしまった。DCEUでも一番のお気に入りだし、何なら2010年代以降のヒーロー映画と並べて最も好きな作品かもしれない。それだけのパワーが、本作にはあったと思う。

 冒頭、ジェームズ・ガン作品ではおなじみマイケル・ルーカー演じるサバントがその類まれなる能力を披露した後、アマンダ・ウォラーによって半強制的にチームに召喚、息つく暇もなくイカれたメンバーと合流させられ、決死のミッションに放り込まれる。ここまではデヴィッド・エアー版でもおなじみの流れだが、ミッションが始まってからはもうスゴイ。人間離れした(文字通り人間じゃないのもいる)能力を持った奴らが、ものの数分で無残な肉塊に変わる様を、延々見せられるのである。

 ヴィランが主役と言えどヒーロー映画、愛すべきヒーローたちはこれからも続くユニバースのために延命され、ファミリーで気兼ねなく楽しめる娯楽作として作られるのが当たり前だ。しかし、『デッドプール』の大ヒットと、ジェームズ・ガンの趣味嗜好が、それを上書きしてしまったのである。ヒーローたちは切り刻まれ、炎に焼かれ、顔面を吹っ飛ばされる。もしかしたらガン氏、ディズニー主導のMCUでは、かなり鬱憤が溜まっていたのかもしれない。夢の王国に中指を立てるが如く、DCヴィラン/ヒーローが呆気なく殺され、そしてそれを「ユーモア」として消化していく本作の手触りは、不謹慎な物言いだが無類に面白い。そんなシークエンスを経て、最高のタイミングとフォントでタイトル『The Suicide Squad』が出てしまい、映画は冒頭だけですでに100点満点を叩きだしている。

 と、まさかの部隊全滅から始まった謎のミッションだが、その裏では別の部隊が目的地への侵入を開始していた。なんと、冒頭で死んだ彼らは囮、捨て駒だったのだ。……極悪!!というわけで、その邦題に違わず現場も指揮官も超が付くほどの極悪人だらけで、アマンダ女史もエアー版より確実にワルくなっている。お行儀のよいヒーロー映画のお約束は最早通用しない。これから始まるのは倫理観の一切ない、血みどろ殺戮ショーだ。

 そんな新生・スーサイドスクワッドの狂人どもは、最早誰にも手が付けらない連中だ。ジョーカーから解き放たれ自由に生きるクレイジーガールのハーレイ・クイン、重火器のエキスパートにしてハチャメチャにイカす合体銃の使い手ブラッドスポート、「正義とは何か」ばかり考えて映画をダークにしがちな奴らは全員コイツを見習え!なピースメイカー、悲惨な過去を持つ苦労人にしてサイケデリック・ゲロマンことポルカドットマン、悲惨な過去を持つ苦労人その2のネズミ使いラットキャッチャー2(初代は死亡)と……シルベスター・スタローンの声で喋るデカいサメ。前作から続投のフラッグ大佐も、前作の方がイージーだったと思ったに違いない。

 こいつらが通れば道は死体の山で埋まり、家々は破壊される。しかも、どっちがより派手に面白く殺せるか競いながら殺っているのだから、始末がつけられない。露悪的であることを一切隠さず、むしろ堂々とやってのける様は、流石のジェームズ・ガン印。クライマックスには『宇宙人東京に現わる』の“アレ”が襲い掛かる一大スペクタクルが押し寄せ、その生態や結末はトロマ映画のエッセンスが存分に含まれている。ワーナー出資のビッグバジェット・ヒーロー映画で、トロマ映画をやってしまった。これが許されるジェームズ・ガン、とんでもないヒットメーカーである。

 そうした悪趣味で下品な側面が問答無用に楽しい一方で、もう一つのガン氏の作風もしっかりと刻印されている。常人の理解の外にいるような彼らとて、中身は(キングシャークを除けば)同じ人間である。ポルカドットマンやラットキャッチャー2は他人の狂気や貧困の犠牲者だし、ブラッドスポートは父親としての信用を失いかけている。ジェームズ・ガン監督作は彼らのようなマトモに生きられなかった人たちへの優しい目線が配されており、本作でも不可能に思える試練を与えつつ、彼らの自己実現や誇りを取り戻すためのドラマをしっかり描き出す。彼らを奇人変人の見世物にせず、その心に寄り添えるような物語があればこそ、観客はあのろくでなし達のことが愛おしくてたまらなくなってしまう。

 そういった意味で、やはり本作も間違いなくヒーロー映画なのだ。ヒーローとはカッコイイ名前やコスチューム、人知を超えた特殊能力があればいいってもんじゃない。ヒーローをヒーローたらしめるのは「行動」であると、本作は訴えている。今頃宇宙を旅しているガーディアンズも、そうだそうだと頷いているところだろう。

 ジェームズ・ガン監督、鮮烈なDC映画デビューを本作で果たし、次回作は全世界待望の『Guardians of the Galaxy Vol.3』と、とてつもない信頼と期待を背負った今一番ノリに乗っている映画監督になった。これほどの暴力と返り血に塗れながら、サイコーにユニークで笑える作品を作った奇才を、DCユニバースの製作陣は手放さないようにしていただきたい。ガーディアンズにまた会いたいのと同様に、スーサイド・スクワッドの連中ともしばらくはお別れしたくなくなってしまったのだから。

 姐さん、そない寂しいこと言わんといてくださいよ……。

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