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連載小説『不道徳』

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大島薫の初の小説『不道徳』の連載マガジンとなります。
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記事一覧

大島薫初の小説『不道徳』 #32/32

 抜けるように青く晴れた空に、入道雲が浮いている。あれからまた、数ヵ月のときが経った。
「え! じゃあ、あんときの舞ちゃんの相手って、陸だったの?」
 待機室のベランダの欄干に背中をもたれかからせ、携帯に向かって拓海が素っ頓狂な声を上げる。
「うん、私は陸くんが男性が好きなの、本人から教えられてたんだ……だから、あのとき拓海さんに事情はいえなくて……」
「で、あいつ、本当に会社にも来てないの?」

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大島薫初の小説『不道徳』 #31/32

 元々が出向だったため、当初は次の出向先が見つかるまでは自宅待機という話だった。
 ほとんど毎日、人事部から新しい出向先の提案がくるが、その数日後毎回「向こうの担当者から、今回は見送るという返事がきました」と告げられる。
 ある日、人事部の担当がとうとうこんなことをいった。
「このまま自宅待機というわけにもいかないので、その……最悪、解雇という形になってしまいます。本社としてもそうはしたくなくて、

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大島薫初の小説『不道徳』 #30/32

 その日、オフィスに出社した拓海は、明らかに違う社内の空気を敏感に察知した。
「おはようございます」
 拓海が全体に向かってそう声をかけるのだが、誰一人としてすぐに挨拶を返してこない。
「おはよう……ございます」
 近場の年配の社員の一人に直接そう声をかけてみた。
「あ、ああ……おはよう」
 年配の社員はぎこちなくそうこたえる。
 なにかがおかしい。拓海は一体なんなのかと辺りを見回した。
 社内の

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大島薫初の小説『不道徳』 #29/32

 新宿二丁目。明るい観光バーが立ち並ぶ大通りから、すこし外れた雑居ビルの中にも、ゲイバーというのは大量に入っている。その内の一つ、とあるゲイバーの扉には「会員制」の札がかかっていた。ゲイ専用だということを示す隠語だ。
 その店内で、ツカサは酒を飲んでいた。フレッシュゴーゴーを追い出されて数ヵ月、なんとかいままで生きてくることができた。家はない。その日、その日、ゲイ用出会い系サイトを使って知り合った

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大島薫初の小説『不道徳』 #28/32

 日々の業務に追われる中、拓海に思ってもみない人物から久しぶりに連絡がくる。元恋人の美香だ。「会いたい」という美香の言葉に、拓海はどうするか迷ったものの、結局再び会うことにした。
 洒落た北欧風のインテリアで統一された喫茶店の店内で、女性客やカップルが笑い合う。
「久しぶり」
 そう声をかけてきた美香は、すこし痩せたように思えた。春の陽気に多少露出した服装から伸びる手足は、ずいぶんと細くなった印象

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大島薫初の小説『不道徳』 #27/32

大島薫初の小説『不道徳』 #27/32

 映像に満足したのか、男はノボルを連れて平井大橋から戻り、土手近辺にある大きな公園に移動した。夜中の公園はほとんど人通りがない。男は軽く辺りを見回し、やがてある建物を見つけると、そこにノボルを連れて向かう。公衆トイレだ。
「ねぇ、早くぅ」
 全裸のノボルが、歩く男に絡みついて離れない。
「わかった、わかった。そこのトイレでたっぷり可愛がってやるから。歩きにくいよ」
 男はそういってノボルをなだめな

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大島薫初の小説『不道徳』 #26/32

大島薫初の小説『不道徳』 #26/32

 葛飾区新小岩の一丁目から二丁目付近にかけて、ラブホテルがいくつか点在しているエリアがある。夜二一時ごろ、その中のとあるラブホテルの一室に、元男子学院のボーイ、ノボルの姿があった。
「好き……好き……」
 呆けた顔でノボルは、愛の言葉を呟きながらフードの男のモノを舐め上げている。つい先ほど、男からの連絡で慌てて駆け付けたノボルは、まず始めにこの奉仕を命じられた。
「ねぇ……効きが足りないの……もっ

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大島薫初の小説『不道徳』 #25/32

 まただ。takeこと、三好武人は自分のベッドの上で思う。電気を消した自室で、寝ている自分の上に人の形をした黒い影がモゾモゾと動きまわる。その人影はやがて自分の身体を弄り、舐め回し、肛門になにかを出し入れし始める。
 人肌の温度が伝わる不快感、這いまわる舌とともに吐き出される吐き気のするような口臭。そんな嫌悪感を味わいながらも、武人は身体が動かせない。あり得ない、ここは自分の部屋だ。あいつはもうい

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大島薫初の小説『不道徳』 #24/32

 ハッテン場の大部屋、暗がりの中、掛布団をフードのようにしてツカサは体育座りでうつむいていた。最近背中を中心にダニに噛まれた跡が悪化しているため、こうしてできるだけ肌を隠しているのだ。ここに来てから、そんな怪しげな格好で自分を抱いてくれる人間をずっと待っている。何人か顔を覗き込んでくる者もいたが、一様にジロジロ品定めするだけで去っていった。そんなとき相手が見せる顔は、いつも同じだ。嘲り。
 もう何

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大島薫初の小説『不道徳』 #23/32

 四階の廊下も三階と同じ造りだった。左にズラリと並んだ個室の扉、右に大部屋二つ。違うことといえば、左の中央付近の扉だけ開け放たれていて、そこに人だかりができていたということだ。
「あああああああ! あああああああ!」
 四階に到着した瞬間、拓海の耳にそんな絶叫が聞こえてきた。どう考えてもその声の発生源は、男たちが見ている個室の中だろう。声色はツカサが叫んだらこう聞こえるのかもと思えるが、違う男が叫

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大島薫初の小説『不道徳』 #22/32

 会員制の文字が書かれた、ガラス扉の取っ手を握る。いつかミズノが話した「ゲイ専門」を意味する言葉だ。拓海は一つ深呼吸をして、ハッテン場に潜入する決意を固めた。もし拓海に酒が入ってなければ、恐らくこの扉を潜る勇気は出なかっただろう。
 音もなく開いた扉の先、まず飛び込んできた一階の光景の印象は、サウナやスーパー銭湯のフロントのようだということ。入って左手に受付、右手には大量のロッカーがある。どうすれ

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大島薫初の小説『不道徳』 #21/32

「マジで俺らのこと、人間として見てない客いますよ!」
 Vogueのカウンターで、ドンッとコップを置いて拓海がぼやく。イシイの一件から、一ヵ月ほどが経過していた。
「荒れてるねー。いま他にお客さんいないからいいけど」
 拓海の愚痴を聞きながら、ヒナタはいつものように片腕を肘置きにして、細長いタバコを燻らせている。
「てか、平日の夕方にこんな酔っぱらって大丈夫なの? 昼間の仕事クビにでもなった?」

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大島薫初の小説『不道徳』 #20/32

 渋谷区円山町のラブホテル街で、ニット帽をかぶった一人の青年がSNSアプリを開きながら、辺りをキョロキョロと見回している。ピコンと音が鳴り、ニット帽の青年は景色から再びアプリへと視線を戻した。そこにはこう書いてある。

【takeちゃんごめーん! ちょっと遅れるから。先にセフレと待ってて。ココってホテルの503号室だって】

 送り主の欄には少々化粧は濃いが、かわいらしい女性の画像が表示されていた

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大島薫初の小説『不道徳』 #19/32

「え、えー? そうなんですかー?」
 拓海は笑みを浮かべてこたえるが、声が震えてしまうのを自分で感じた。
「うん、最近イイのが出回ってて、よくやるんだあー」
 そういって、イシイはニッコリと笑った。
 イシイの笑顔を見ながら、拓海はいまから自分がどうするべきかを考えていた。拓海は薬物をやっている最中の人間を初めて見た。いますぐ断って部屋を出るべきだろうか。しかし、薬物で我を忘れて激昂されたりしない

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