大島薫初の小説『不道徳』 #22/32

 会員制の文字が書かれた、ガラス扉の取っ手を握る。いつかミズノが話した「ゲイ専門」を意味する言葉だ。拓海は一つ深呼吸をして、ハッテン場に潜入する決意を固めた。もし拓海に酒が入ってなければ、恐らくこの扉を潜る勇気は出なかっただろう。
 音もなく開いた扉の先、まず飛び込んできた一階の光景の印象は、サウナやスーパー銭湯のフロントのようだということ。入って左手に受付、右手には大量のロッカーがある。どうすればいいか考えあぐねている拓海の様子に、フロントにいた気の良さそうな熟年男性が気づいて声をかける。
「いらっしゃいませ。まずは靴をそちらにお預けください」
 声はにこやかだ。拓海はてっきりそういう場所だから、店員もアンモラルな雰囲気なのかと思ったが、これでは本当にサウナの受付のようだ。
 拓海はいわれた通り、入り口横すぐにある鍵付きの靴箱の空いているところに靴を預けた。
「そちらの券売機で利用方法をお選びください。いまの時間は宿泊のみになりますね」
 拓海がロッカーすぐ横の券売機を見る。財布から札を取り出して、挿入口に入れると複数のボタンが光った。いくつか選ぶメニューがある。「宿泊」二千五百円(十二時間滞在)・「休憩」二千円(六時間滞在)・「個室Aタイプ(宿泊費込み)」三千円――。拓海は通常の宿泊ボタンを押した。
「そのままキーと、利用券をこちらに持ってきていただけますか?」
 拓海が受付に向かい、男にそれらを渡した。
「では、こちらと同じ番号の別のキーをお渡ししますので、それを使って奥のロッカーでお着替えください。タオルとガウンはこちらです。追加でご購入される際は券売機でお願いいたします」
 拓海が頷く。
「それと、こちら、なくなったら受付に来ていただければ、またサービスで追加お出ししますので」
 そういって、受付の男性がビニールに入れられたプラスチック製のボトルと、コンドーム二つを手渡した。おそらくボトルの中身はローションだろう。受付の男のあまりにも普通の対応に、一瞬ハッテン場にいることを忘れそうになっていた拓海だったが、その『サービス』が一気に自分の心を現実へと引き戻した。
拓海が鍵と同じ番号のロッカーに向かい、服を脱ぐ。指定されたガウンを羽織り、そのままツカサを探すべく、上の階へと続く階段へ向かう。スキンとローションは使うつもりがないので置いてきた。
「すみません」
 階段を上る途中で、帰るつもりだったのだろうか、男性客とすれ違った。
瞬間、拓海は不穏な気配を察する。あの目線だ。思わず振り返ると、少し下りた先の階段で、男は歩くのをやめこちらを見つめていた。ねっとりと自分を舐め回すかのような、口元の弛んだ陶酔したような目。拓海はその視線を振り払うかのように、無視をして二階へと上がっていった。

 二階はいわゆる休憩スペースのようなものだった。大浴場、喫煙所、ゲイ雑誌を陳列した読書スペース、日焼けマシーンが置いてあるサンタンルーム――そのどこにもツカサはいなかった。
 それにしてもどこもかしこも古めかしく、若干薄暗い。バブル期からあるホテルをほとんど改装もしないまま放置したら、こんな風体になるかもしれない。
「誰か探してるの?」
 ハッテン場らしからぬ慌てた拓海の様子に、喫煙所にいる中年の男が声をかける。
「あ、いえ……」
 拓海はなんといえばいいのかわからず、歯切れ悪く返した。
「一緒に探そうか?」
 中年男が喫煙所のソファーから立ち上がった。安っぽい合皮でできた革張りのソファーの背もたれは、端が破れて中のスポンジが見えている。親切に微笑みかける中年男は、そのまま拓海の尻をポンッと軽く叩いた。
「ひっ……! 大丈夫です!」
 拓海の身体が無意識に強張る。そういって取り乱しながらも断ると、急いで喫煙所を後にした。
 三階に到着する。三階は二階の造りと大きく変わっていた。フロアの端まで続く廊下の左サイドには個室の扉が並んでおり、反対側には大部屋が二つあるようだった。そこで拓海は、はたと気づく。もしツカサが個室をとっていたら、探しようがないということだ。
ここの大部屋にいることを願うしかない。そう割り切り、拓海は右の大部屋に入っていった。
「なんだここ……」
 小さな声だったが、拓海は自然とそう口にしていた。
 薄暗い廊下から室内に入ると、もはやそこは電気すら点いていなかった。その暗闇の中で廊下の光を受けて、かすかに見える隣のパーテーションのようなものを拓海が片手で触る。どうやらこのパーテーションをランダムに並べて、迷路のようにしているらしい。拓海は変に冷静な頭で「高校の文化祭でやったお化け屋敷作りみたいだな」と思った。
ここから先は部屋の中央に向かって、どんどん暗くなっていくだろう。パーテーションの壁から手を離さないように、慎重に拓海は足を前に進めた。最初の道を左へ、すこし先に行って右、次にまた左……そうしているうちに、向かい側から若い男が歩いて来た。すぐ真横をすれ違う。また尻でも触られるんじゃないかと拓海は警戒したが、特にそういったことはされなかった。
キョロキョロと辺りを見回す。どうやら迷路の行き止まりに当たるところに布団が敷かれ、そこで行為ができるようだ。何度目かの行き止まりに、うつ伏せで寝ている男を見かけた。肉体的には二十代に思えるが、暗すぎてツカサかどうかわからない。拓海は、顔を横に向けて寝るその青年を覗き込もうと、四つん這いになって近づいていく。
間近まで迫った瞬間、寝ていると思った青年がクルンと顔をこちらに向けて、いきなり拓海にキスをした。口に舌がねじ込まれて、タバコの味が拓海の口内に広がる。
「なっ……!」
 驚いて顔を離す拓海の首に腕を絡ませて、青年が誘惑するような目で見ている。整った顔立ちだが、ツカサではなかった。
「僕とヤりたいの? お兄さんタイプだからいいよ」
 そういって、再び口を近づけようとする美青年の身体を、拓海が腕で押さえつけて引きはがず。
「あ、ご、ごめん、違った……」
 拓海の言葉に、美青年はムッとした表情を見せた。
「なにー? タイプじゃないってこと?」
 拓海が狼狽しつつ、立ち上がる。
「いや、そういうんじゃないんだけど――」
 言い訳の弁を述べかけたとき、拓海の後ろを男が数人ドタドタと早足で通り過ぎた。
「掲示板の奴来たんだって!」
「マジ? 種壺志願?」
「四階の個室らしいぞ。どうせクスリでパキッたイカレ野郎だろ」
「変態拝みに行くだけ行こうぜ」
 そんな言葉が飛び交う。男たちの顔はまるで見世物でも見るかのような、これから他人を見下しに行こうとする人間のそれだった。
「違うよな……」
 拓海は男たちのほうを振り向いて、独りごつ。男たちの不穏な言葉の数々を理解できたわけではないが、なにか良くないことのような気がする。ツカサのこととは限らないが、万が一にも可能性があるのではないかと思った。
「ねえ、やるの? やらないの?」
 布団に座ったまま、下から美青年がつまらなそうに催促をする。
「ごめん、俺行かなきゃ」
 そう一言だけ告げて、拓海は男たちの後を追った。取り残された青年は、呆れたようにポカンと口を開けた。

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