ふる@目標500文字

何者でもないただのおっさんです。あんまり欲がないわりにそこそこ器用なのでお金がなくても…

ふる@目標500文字

何者でもないただのおっさんです。あんまり欲がないわりにそこそこ器用なのでお金がなくても結構幸せに生きてます。500字くらいがちょうどいい。2024年3月で51歳に。

マガジン

  • それでも共存するために

    争いのない世界について不定期に妄想します。

  • 好きな言葉

    胸に刺さるとか、語呂がいいとか、僕が気に入った言葉をまとめます。

  • 欺き欺かれて

    嘘に関する記事を不定期に追加していきます。嘘を善悪で語るのはナンセンスだと思うの。

  • 社会には自分と他人しかいない

    人間関係の記事をピックアップしていきます。不定期。

  • 金銭感覚

    お金は上手につかいたい。不定期更新。

最近の記事

  • 固定された記事

対象読者

筆者が自分に向けて書いています。メッセージ性とかはなく、ほぼ全部の記事が自問自答の記録なので、筆者と同じ関心を持っているか、筆者自身に興味のある人でなければ楽しくないと思います。 ITエンジニア崩れの冴えないおっさんに特段の興味を持つ人などいないでしょうが、簡単に自己紹介をしておきます。たぶん、まあまあの変わり者です。 高卒で学がない上に読書も嫌い。もっとも影響を受けた著作物はテレビで観たドラえもん。「三月の雪」の回は筆者の誕生月なのもあって強く印象に残っています。知識よ

    • 多様性を受け入れる

      ↑前回のつづき 多様性という言葉は単に状態を表しているだけなのでケチのつけようもないが、大きいほうが偉いという暗黙の了解があるせいで傲慢さが見え隠れしてしまう。 少数派を受け入れてあげよう。 と、多数派はナチュラルに上から目線になる。悪気がないのはわかっているし、僕が偏屈であることも認めるが、何かがズレていると感じる。 多様性を受け入れることと少数派を受け入れることは違う。自分たちのいる世界に異端を迎え入れよう、居場所を用意しようという発想は間違っていると思う。性質の

      • 大きな世界と小さな世界

        ↑前回のつづき 一時期、Twitterが勝手におすすめツイートをタイムラインに流すようになって反発を受けていた。ユーザー自身がフォローによって構築した閉鎖空間に頼まれてもいないメッセージを放り込めばそりゃ怒られるに決まっている。 いろいろなSNSがある中、拡散力でTwitterを超えるものはまだないと思う。これはツイッタラーが部屋に閉じこもりつつも外の様子を気にしていることの現れだ。Twitter社にしてみれば求められているものを与えたつもりだったのだろう。 インターネ

        • 隔離スレッド

          ↑前回の続き A/Bテストのような本人にも気づかれない分割はだいぶ特殊だが、明示的な世界の分割は昔から行われている。 匿名掲示板ではスレッドごとのルールに従えない人は隔離スレッドに誘導される。オンラインゲームの個人を特定する書き込みなどは荒れやすいため、専用の場所でやれと言われる。大抵は悪口なので見たくない人は見に行かなければ良い。 SNSも最初のコンセプトは世界を分割することにあったはずだ。「人とつながる」ということは「それ以外の人とはつながらない」ということである。

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        • それでも共存するために
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        記事

          分割される世界 − A/Bテスト

          ↑前回のつづき たとえば自社の通販サイトの購入ボタンは何色が押されやすいか。 これを確かめるには実際に色を変えてみればいい。ウェブ上の画面なら即座に反映される。1週間ごとに入れ替わりで試してみてクリック率を集計すればどの期間で多く押されたかがわかる。 この方法の問題はボタンの色だけが影響しているとは限らないことだ。赤いボタンのときに多く押されたのはたまたまSNSでバズった時期と重なっていたからかもしれない。 A/Bテストと呼ばれる手法はこれを期間ではなく無作為に振り分

          分割される世界 − A/Bテスト

          それでも共存するために

          ↑前回のつづき 地道に働いて快適に冬を越すアリ、無計画に生きて後悔するキリギリス、それを自業自得と突き放すアリ、誰も取り残さないSDGs、産休クッキーを配る人、それを不快に思う人、中国産アニメが嫌いなABEMA民。 いろいろな価値観がある。それによって衝突や不協和音、全体の不利益が生じる。いくら価値観が多様といっても自分から競合状態を望む人はいない。世界に混沌を求めるのは物語に登場する悪役たちくらいのものだ。 だから競合を解決するために様々な手段で価値観の統一が図られる

          それでも共存するために

          アリとキリギリス

          ↑前回のつづき イソップ童話『アリとキリギリス』は夏の間ずっと楽器を弾くなどして遊び呆けていたキリギリスが冬になってアリに食べ物を分けてくれと頼むも断られて死んでしまう話だったと記憶している。 可哀想だという声がある。アリはキリギリスの演奏を楽しんだのだから助けるべきという理不尽な意見もあった。 実際、改変されてアリがキリギリスを助ける結末もあるようだ。まあ、そういう優しいアリがいてもいい。キリギリスが反省しているなら物語の教訓も失われないだろう。 僕の好みで改変して

          アリとキリギリス

          宇宙船地球号の嫌なところ

          ↑前回のつづき 文脈によって解釈は多少変わるようだが、要は「同じ船に乗っている者同士で仲良くやりましょう」ということらしい。理屈としては何も間違っていない。 ただ、素直に「うん、そうだね!」という気持ちになれないのは正論の圧を感じるからだ。どんなに正しくても強要されるなら抵抗したい。しかし、逃げ場はない。 「嫌なら降りろ」と言われているように感じる。このセリフの後には「出来るもんならな」が続く。ニヤニヤとゲスな笑みを浮かべてそう(妄想)。 SDGsにも同じような嫌悪感

          宇宙船地球号の嫌なところ

          最大公約数は元の数を超えられない

          ↑前回のつづき 純粋で均一なものを扱う前提ならシステムは大幅に簡略化できる。一部の例外に対応しようとするからコストが嵩む。人類全員が右利きなら色々なことが円滑に効率よく運ぶだろう。 自分で書きながら危なっかしい内容にヒヤヒヤしている。優生思想を礼賛する意図はない。穏便な例として左利きをテーマに選んだのに「ぎっちょ」が地域によっては差別用語にあたると知って暗い気持ちになった。 ググっても詳しい経緯はわからなかったが、やはり少数の例外が忌み嫌われたのだと思われる。みんなと違

          最大公約数は元の数を超えられない

          左利きの視点から

          ↑前回の続き もともと左利きだったが鉛筆は右で持つようにと親に躾けられた。両利きではない。箸は左手、ボールは右投げ、包丁は左なのにナイフは右という自分でもよくわからないことになっている。 基本的に世の中は右利き用に設計されている。人類の9割は右利きらしいので社会全体の利益を考えれば当然だ。バリアフリーが理想だが、どちらかに寄せねばならないとしたら右利きに合わせるのが理にかなっている。 そのほうが多くの人が幸せになれる。 狭い場所に並んで食事をする際、右利きの人の右隣に

          左利きの視点から

          数の論理

          ↑前回の続き ネット社会のおかげで個人が自由に発信できる。これは自分以外の誰もが発信できるということでもある。発信しないのも自由なので100人いても全員が声を上げるとは限らないが、最大で99人の意見を受信する可能性がある。 つまり自分が発信する以上の情報量にさらされることになる。 この影響は大きい。言うまでもなくテレビ等マスメディアの影響だって決して小さくはない。が、あくまで「多くの人が受信するであろう情報」である。「実際に多くの人が発信した情報」とは根本的に性質が違う

          偏向と均衡

          ↑前回のつづき 誰も悪くない。人はただ自由に生きているだけだ。結果としてそれが世界に流れを作り出し、空気を醸成して、たまに火柱が上がったりする。 その中で流されず、空気を読まず、炎上も無視できる人はそう多くないと思われる。和を重んじる国民性が影響しているのだろう。多くの日本人は自分より世界を優先することがままある(ように見える)。 それもまた自由な選択ではあるが、本当にやりたかったことは胸の内に隠されたまま、世界は正しかったという既成事実だけが積み上がる。結果として世界

          優しくなければ生きている資格がない

          ↑前回の続き 人がそれぞれのやりたいようにできる世界が望ましいと思っている。完全な自由はそれこそ混沌の世界になるので節度は必要だが、制約はなるべく少ないほうがいい。 甘やかし甘やかされるだけのモラトリアムに浸りたいのも自由だし、他人に優しくしないのも自由。親切を押し売りしたい人はすれば良いし、相手にも当然それを拒否する自由がある。 が、実際には一部の自由が阻害されている。 前回まで弱くて優しい世界をやや否定的に書いてきたが、それ自体が問題なのではない。その世界が人々の

          優しくなければ生きている資格がない

          優しさハラスメント

          ↑前回の続き 甘やかしたい人と甘やかされたい人の間に共依存が生まれる。本人同士が望むことなら周りがとやかく口出しするものでない。せめて他人には迷惑をかけてくれるなと願うだけだ。 このように優しさの需要と供給がマッチするケースがある一方で当然マッチしないケースもあり得る。上に挙げた需要と供給にはそれぞれ逆のパターンが考えられる。 まずは供給側。 むやみに他人を甘やかさない人がいる。獅子の子落としはまさに甘やかしの対極にあるし、そこまで行かなくても過保護の手前でブレーキを

          優しさハラスメント

          水は高きより低きに流るる

          ↑前回の続き 脆くて傷つきやすい存在が自力で立ち上がろうとしている。 それをただ見守るだけの簡単なお仕事が実際には難しいのは、その人が確実に立てる保証がないからだ。不安を前にして何もしないでいられるように人間は出来ていない。 自力で立てるのか。そのまま潰れてしまうのか。自分のことならまだしも他人のことなら尚更わかるはずもない。どうでもいい相手だったら悩まない。大切だからこそ乗り越えてほしいし、潰れてほしくないのである。 そこへさらに罪悪感が加わる。助け舟を出して成長の

          水は高きより低きに流るる

          情けは人の為ならず

          ↑前回までの続き 間違えやすいことわざなのは知っているが、じゃあ結局どういう意味なんだっけと問われたら自信を持って答えにくい。 「情けは自分のためでもある」が正しいらしい。そうそう、そっちだったね。 一方、「情けは本人のためにならない」という誤用も定着しつつあるようだ。文法上、打ち消しがかかる範囲に解釈の余地がある。どちらがより解釈しやすいということもない。 要は作者の思ったほうが正しいわけだが、今どきの現実には誤用のほうが即しているのだろう。優しいばかりではダメだと

          情けは人の為ならず