アンヌ

自分では気がつかないうちに頚椎と脳に腫瘍ができて大きくなっていました。 幸い摘出手術は…

アンヌ

自分では気がつかないうちに頚椎と脳に腫瘍ができて大きくなっていました。 幸い摘出手術は成功しましたが、また別の腫瘍が次々に見つかり、それぞれ対処したり経過観察しています。 そんなことも含めて、これまでに出会った人たちや、心に残る出来事を綴っていきたいと思います。

最近の記事

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目次(入院以前のこと〜自宅待機)

腱鞘炎(入院以前のこと 1) 足のしびれ(入院以前のこと 2) 中井先生(入院以前のこと 3) 入院初日(頚椎腫瘍 1) 先生を脅した茅ヶ崎夫人(頚椎腫瘍 2) 脊髄造影(頚椎腫瘍 3) 脳腫瘍(頚椎腫瘍 4) 造影剤の副作用?(頚椎腫瘍 5) 手術(頚椎腫瘍 6) 回復室にて(頚椎腫瘍 7) 多発性神経線維腫(頚椎腫瘍 8) 仰向けに寝たまま食べるには(頚椎腫瘍 9) 元の病室へ(頚椎腫瘍 10) 首には傷が2つある?(頚椎腫瘍 11) フィラデルフィアカラー(頚椎腫瘍

    • 3点固定(脳腫瘍 18)

       リハビリが始まった日は手術から1週間目に当たり、抜糸することになっていた。  午後になってもなかなか先生が来ないので、今日は抜糸がないのかと思っていたら、夕方、ラジオでFMを聴いているところへY先生が現れた。 「今日はもうないのかと思ってました」  そう言うと、先生はぼそぼそと何か言ったが、私はよく聞こえなかった。  抜糸は麻酔薬を塗ったらしく手術の傷口は痛くなかったが、糸を抜いたところから血が垂れてきた。  自分では見えないが、タラ〜ッと血が流れ落ちる感触があった。

      • リハビリ(脳腫瘍 17)

         3月14日(月)、リハビリ開始。  頭に巻いていたタオルは取れたが、まだシャンプーできないので、髪の毛がくしゃくしゃになったまま固まっている。  みっともないので、入院前に買った帽子をかぶって地下のリハビリ室へ行った。  私は花粉症なので、病棟の外に行くときは必ずマスクをつける。  私の花粉症は重症で、鼻水だけでなく、鼻の奥から喉、口の中にかけて炎症が起きてしまう。  抗アレルギー剤を飲んでいても、舌が火傷したように真っ白になる。薬がなくては痛くてものを飲み込むこともでき

        • 幸せな朝(脳腫瘍 16)

           3月12日(土)、朝6時半に起きて顔を洗いに行き、ベッドに座って8階の自販機で買ってきた小岩井コーヒーを飲む。  ベッドの柵にふとんを掛けて背もたれにし、足を投げ出して目の前に広がる朝の風景を眺める。  眺めていても何の変化もないビル群。空の色だけが毎日わずかに変化する。  左手の造幣局のガラス屋根からは蒸気が上がっている。  一見温室のようなガラスの屋根は、一部が開いていて四六時中白い蒸気が出ている。  昼も夜も出続けている蒸気が何なのか、だれにもわからない。  のん

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        目次(入院以前のこと〜自宅待機)

          同室のメンバー(脳腫瘍 15)

           整形外科病棟だった前回の入院とは異なり、今回は脳外科病棟で、同室のメンバーは深刻な病気を抱えている人たちだった。  KさんとFさんは、ガン病棟が満員なので脳外科病棟に回されたようだった。  Kさんはいつも頭にバンダナをかぶっていたが、私は鈍感なので、Kさんの好みのファッションなのだろうぐらいに思っていた。  薬の副作用で髪の毛が抜けてしまったのだと分かったのは、別の病棟から入院友達が来て、かつらのことをいろいろ質問しているのを耳にしたときだった。 「ああ、そうだったのか」

          同室のメンバー(脳腫瘍 15)

          首が回らない(脳腫瘍 14)

           手術の翌々日には点滴もドレインもはずれたが、歩行器がなくては歩けなくなっていた。  手術前には明け方トイレに行くときは歩行器を使い、昼間は使ったり使わなかったりだった。  歩行器があると楽だが、なくても歩けたし階段も上がり下りできた。  それが、ほんの2、3日歩かなかっただけで弱い右足がまた動かなくなってしまい、地下の売店へ新聞を買いに行ったら足が崩れそうに疲れてしまった。  歩行器を使うと楽だが、階段を使えないので面倒なときもある。  8階の自販機へジュースを買いに行く

          首が回らない(脳腫瘍 14)

          お粥には梅干し(脳腫瘍 13)

           九段坂病院の食事は野菜中心で、肉より魚が多く、油物は滅多に出なかったが、虎の門病院では日に1度は肉料理が出たし、フライや天ぷらもよく出た。  私は肉料理はあまり好きではないのだが、太りたい一心で、ポークの脂身とチキンの皮以外は残さず食べていた。  味付けも上手でおいしいが、唯一お粥はまずかった。  九段坂病院のお粥はおいしかったが、ここのお粥は糊みたいで、もともとお粥の苦手な私は食べられなかった。  術後は3食全粥だと言われたが、1日で懲りて、普通のご飯に戻してくれるよ

          お粥には梅干し(脳腫瘍 13)

          耳のふた(脳腫瘍 12)

           3月10日(木)、眼科の診察の後、耳鼻科の外来にも行って診てもらった。  耳鼻科は若い女の先生で、中耳までは異常ないが、鼓膜の色が変わっていると言われた。  耳の奥に溜っている髄液については、 「そのうち抜けると思うけど」  とのこと。 「抜けなかったらどうするんですか?」 「鼓膜を切って膿を出します」  鼓膜の色が変わっているから、先生は化膿していると思ったのかもしれない。(言われたときには思い付かなかったが、消毒のイソジンが耳の中に垂れていたせいで、鼓膜が染まってし

          耳のふた(脳腫瘍 12)

          どうして眼科に?(脳腫瘍 11)

           3月6日(水)、視力検査、視野検査。  相変わらず右耳にはイソジンが入っているらしく、耳にふたをされているような感じだった。プールで泳いで耳に水が入ってしまったのと同じ不快感。  臼井先生によれば、髄液が漏れて耳の奥に流れ込んでいるせいで、何日かすれば水が少なくなるので治るとのことだった。  朝食後、看護師さんが眼科外来に行くからと車椅子で迎えに来た。 「どうして眼科なの? それより耳鼻科に行って耳の中を診てもらいたいんだけど」  わけがわからなないまま、車椅子で眼科の

          どうして眼科に?(脳腫瘍 11)

          頭痛が消えた!(脳腫瘍 10)

           手術の後、回復室に運ばれて目が覚めてから、ずっとお腹が空いていた。朝も昼も食べていないのだから、お腹が空くのは当然だ。  看護師さんに聞いたら、「食事は明日まで出ない」と言われた。  全身麻酔の後なので胃が動かないからということだったが、自分ではお腹が鳴っている音が聞こえた(ような気がした)。  しばらくして、水なら飲んでもいいというので水をもらって飲んだ。  何も口に入れないよりマシだったが、水は胃で吸収されないから、胃で吸収されるものを飲みたかった。  夜になって、

          頭痛が消えた!(脳腫瘍 10)

          うるさい夜(脳腫瘍 9)

           回復室はナースステーションの前にあり、手術を終えた患者はまずここに運び込まれる。  私の他にも数人患者がいて、カーテンで仕切られているので見えないが、隣のベッドの患者のところに見舞客が来て話しているのが聞こえた。  挨拶している口振りから察すると、家族以外の人も来ているようだった。  私は手術が済んだばかりで眠いのに、話し声が邪魔になって眠れない。  それでも、手術の間心配していた家族がやっと患者と面会できたのだからと我慢していた。  聞くともなく聞いていると、家族と見

          うるさい夜(脳腫瘍 9)

          耳の中で水がピチャピチャ(脳腫瘍 8)

           ストレッチャーで回復室に運ばれ、ベッドに寝かされたのをぼんやり覚えている。それから少し眠ったらしい。  看護師さんが血圧を計りに来たので目が覚めた。  腕にはまだ自動血圧計が巻かれていたが、それとは別に、看護師さんが手動式の血圧計で1時間おきぐらいに血圧を計りに来た。  この病院では看護師さんが聴診器をはめて耳で音を聞き、細長いスケールの目盛りを読み取る旧式な血圧計を使っている。デジタル式の血圧計より正確なのだそうだ。  看護師さんが血圧と同時に体温を計り、ペンライトで

          耳の中で水がピチャピチャ(脳腫瘍 8)

          開頭手術(脳腫瘍 7)

           3月7日(月)、朝7時15分起床。顔を洗って術衣に着替えて待っていると、看護師のEさんが迎えに来た。  九段坂病院では部屋ごとに当番の看護師さんがいたが、ここでは看護師さんは患者ごとに付いていて、Eさんは私に付いている看護師さんだった。  最初は勝手が違うので、Eさんをつかまえては、 「Eさんはこの部屋に付いているの? それとも私に付いているの?」  と聞いていた。  何度も同じことを聞くボケ老人みたいだが、Eさんはいやな顔もしないで、 「アンヌさんに付いています」  と

          開頭手術(脳腫瘍 7)

          差し歯を折ったら弁償よ(脳腫瘍 6)

           金曜日の夜だったと思うが、横になってラジオを聞いていると、白衣を着た男の人が来て何やら自己紹介をした。名前が聞き取れなかったので、ラジオのイヤホーンをはずして聞き返すと、 「K……です」  と名乗った。 「K……さん?」 「はい」  実は麻酔科の先生だったのだが、そうとは認識しなかった。  そのK……さんが手術時の麻酔について説明を始めてから、ようやく先生だとわかった。  例によって、薬のアレルギーについて聞かれ、全身麻酔の危険性について説明され、よく読んでサインするよう

          差し歯を折ったら弁償よ(脳腫瘍 6)

          粉をパラパラ(脳腫瘍 5)

           九段坂病院で首を手術して以来、痛み止めのロキソニンを飲み続けていたが、頭痛は常にしていたので、薬はたいして効かないのだと思っていた。  金曜日の朝ロキソニンが切れてしまったが、手術まであと何日もないし、どうせ気安めに飲んでいるのだから、飲まなくても構わないと思って追加を頼まなかった。  ところが、金曜日の夜中に頭痛がして目が覚めたら、ズキズキと頭が動くような痛さで眠れなくなった。  やっぱりロキソニンは効いていたのだ。  それがわかったので、朝になって看護師さんに注文し

          粉をパラパラ(脳腫瘍 5)

          宣告(脳腫瘍 4)

           3月4日(金)夕方、臼井先生のお話があるからとナースステーションに呼ばれた。  どこの病院でも、手術前に主治医が手術について説明し、手術に伴う危険性を告げて患者の同意を得ることになっている。  事前に家族を呼んで一緒に聞くように言われるが、私は一緒に聞いてくれる家族がいないので(父はほとんど寝たきり、弟は難病で歩行が困難)、いつも1人で聞いている。  病院側はそれでは困るのかもしれないが仕方ない。  ナースステーションの中の小部屋に入ると、臼井先生とY先生が待っていて、

          宣告(脳腫瘍 4)