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今後コミュニティが「宗教型」に変わっていく理由。

はじめまして。「ヒルマ」と申します。趣味がアプリ開発のスタートアップ経営者です。最近あったことは怪しいカウンセリングを受けて、深夜4時寝が朝4時起きに変わったことです(笑)。

初投稿ということで自分が今もっとも興味を持ってるコミュニティについて話していこうと思います。

コミュニティとは何か?

これは「コミュニティを維持するメリットは何か?」という問いに言い換えることができます。そしてそのメリットは以下のように4つあります。

1)数の力
単純に大人数が集まっているので、人力が確保しやすい。

2)役割分担
さまざまな人間が集まっているので、得意なことや状況に応じて役割分担して対応することができる。

3)共通認識
お互いに共通の認識 (価値観やコミュニティの現状、メンバーの近況の、その共同体でしか通用しない概念や共通言語など)を持っているのでコミュニケーションがスムーズになる

4)共同体意識
お互いがお互いを仲間だと思っているので、必要な時には無条件で助け合うことができる。また、共同体内部の人間は無条件に信頼され、逆に外敵を発見しやすい

注目していただきたいのはこの4つ目の「共同体意識」という概念です。
SNSが発達した今、ほとんどのコミュニティはオンライン上に移りました。
LINE、Facebook、Instagram、Twitterなどもはやオフラインでの交流はオンラインコミュニティの一機能とも考えられるでしょう。それくらいオンライン上のコミュニティ機能は発展してきました。

しかし、オンラインのコミュニティがオフライン(=リアル)と比べて明らかに足りない要素があります。それが「共同体意識」なのです。

「共同体意識」はアドラー心理学で言うところの「共同体感覚」という重要な感覚を引き起こしてくれます。

共同体感覚とは?

われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成することはできない。もしも一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。自分自身の生を続けることもできないし、人類の生も続けることはできないだろう。そこで、人は、弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは共同体感覚である。(第一章 人生の意味「人生の三つの課題」)

他者やコミュニティとの結びついている感覚、自分がコミュニティに所属している感覚が「共同体感覚」と言えます。この「共同体感覚」は人の幸福度に直結していると言っても過言ではありません。

2年目と若輩ながらスタートアップの経営者をしているおかげで私の周りには多くの「成功者」がいます。お金を持て余し、豪邸に住み、飲み会はいつも高級料理店。さぞかし幸せなのだろうと話しを聞いてみるが毎回返ってくる答えは同じです。

「お金じゃ幸せにはなれない。」

お金は人生の「不便」を解消してくれるが幸せは運んでくれない。これが答えでした。じゃあ「幸福度」は何によってもたらされるのか?
その答えのうち最も大きなウェイトを占めるのが「共同体感覚」なのです。

幸せの価値観はひとそれぞれという時代ですが、それでも人が社会的な動物である以上「共同体」への所属欲求というのは遺伝子レベルで刻み込まれているのです。共同体は友達であったり、家族であったり、恋人であったり、会社の同期であったりと様々です。

以下の3つが「共同体感覚」のために必要な要素です。

・自己受容
自分自身をありのまま受け入れて、良い所も悪いと感じるところもそのまま受け入れる事です。

・他者貢献
他者に貢献することで自分自身の幸せ感を得ることができます。また、人が自由を選ぼうとしたら色々な迷いが生まれますが、それを他者に貢献しているのだという思いを持ち続けることで、道を見失わずに進むことができます。

・他者信頼
他者に貢献するには、他者を信頼して仲間だと思う意識がとても大切です。何かをしてくれるから信頼するではなく、他者信頼は無条件で信頼することです。

上記を見てわかるように「共同体感覚」のためにはコミュニティ全体がアダム・グラントのいうところのGiverの精神を持ってる必要があります。しかし、オープンでダイバーシティを標榜とするオンラインコミュニティではTaker気質の人が入りやすく、Takerが天敵であるGiverは維持できないのです。クローズドでユニバーシティ(一様性)な村社会的である方が「共同体感覚」は得られやすいのです。

一方で、自己受容・他者貢献・他者信頼の3つの条件の維持に努め、「共同体感覚」を提供する最たるコミュニティが「宗教団体」なのです。
どの教義でもGiverであることを推奨・強制するのは「共同体感覚」を維持するためだと私は考えています。

「共同体感覚」と「宗教」

大学に居た頃、よく宗教勧誘を受けました。がんじがらめの高校生活から解放された大学生活では自分の所属場所を新しく探す必要に駆られます。それが世に言われる「自分探し」であり、その元をたどると「共同体感覚」の欠如を埋めようとする行為なのです。

「共同体感覚」が欠乏している大学生と「共同体感覚」を提供する宗教団体。このマッチングが成立するのは火を見るより明らかです。大学生の頃に宗教に足を踏み入れる人が多いのはそれが理由なのです。コミュニティが閉ざされがちな専業主婦もまたは同じ理由で宗教に入ります。

宗教"的"コミュニティ

私は宗教を否定しているわけではありません。むしろ宗教団体こそ究極のコミュニティだとさえ考えています。それこそ宗教を冠する必要はなく、「共同体感覚」を提供できる宗教的コミュニティであれば良いのです。

現在、若者のオンラインコミュニティ(=SNSなど)で過ごす時間は平均週10時間。LINE、Facebook、Instagram、Twitterなど様々です。しかし、「共同体感覚」はなかなかオンラインでは得られませんので、自ずと欠如していきます。そして、その穴を埋めようとオンラインコミュニティが徐々に形を変えてきているのです。

例えば、「オンラインサロン」「共感マーケティング」「信用経済」など。
どれもクローズドなコミュニティを目指し、オンライン上の赤の他人への信頼をテーマにしています。自分のプロフィールを公開し、信頼を獲得し、コミュニティメンバーを信用し、クローズドにクローズドに運営していく、次第にコミュニティ内でのルールや役割も明確になり、共通認識が増えていく。コミュニティの目的も定まってくるので、次第に連帯感や結束力も強くなる。ある意味排他的だが、中のメンバーが感じる所属感は強い。

そして、この変化の先にあるのが「共同体感覚」を提供する「宗教的コミュニティ」だと私は考えています。「宗教的コミュニティ」は、旧世代のムラ社会とも言えるが一番大きな違いは、ムラ社会のように「共同体感覚」を得られながら、場所に囚われないので、合わなければ抜けることができる点で次世代のコミュニティなのです。

「共感」から「共同体感覚」へ

「共感」は「共同体感覚」の入り口に過ぎません。ほとんどのオンラインコミュニティは「共感」から「共同体感覚」へ深化させるのに、オフライン=オフ会やリアルイベントを挟む以外の方法を持ち合わせていません。

私自身ホリエモンの運営しているHIUというオンラインサロンや他にもエンジニアのサロンなどに入っていますが、リアルイベントを通してしか、所属している感覚は得られません。結局現状オンラインはオフラインへ繋げるゲートでしかないのです。そこで私が自分に課した問いが次です。

「オンライン上で「共同体感覚」を得られる「宗教的コミュニティ」を作れないか?」

人の幸福度に直結する「共同体感覚」をオンラインだけでつくれないか。これは今まで誰も実現できていないテーゼであり、今後のオンラインコミュニティのあり方に一石を投じることができる社会実験でもあります。

ムラ社会3.0

コミュニティ議論で、よく出てくる「ムラ社会2.0」という言葉があります。これは共感からオンラインで繋がり、オフラインで集まることで「共同体感覚」をつくるというO2Oのハイブリッドなコミュニティです。

一方で、私がやりたいのはオンライン上で繋がり、オンライン上で「共同体感覚」を得られる究極のコミュニティ。これは「ムラ社会3.0」です。

つまり、「宗教的コミュニティ」こそ次の時代を形づくるコミュニティなのです。

宗教版SNSアプリ『オーマイ!』をつくるまで

さて、ここまでそこそこ大きな風呂敷を広げましたが、私がどうやって回収しようとしているかのお話をさせていただきます。

オンラインだけで「共同体感覚」を得られるコミュニティをつくれるか、という命題に対し、まず参考にしたのが既存の宗教団体です。

彼らはお布施を信者から集め、友人知人を勧誘させ、それが他者と教団さらには自身のためになると説きます。人は貢献されるより貢献した方が相手に依存してしまうというバグみたいな性質があるので、そこを上手く利用するのです。自己犠牲的に貢献することで、自分はこの教団から必要とされていると感じ、「共同体感覚」を得ていくのです。実際に教団内での地位も貢献度に伴って上がっていくので、貢献度にさらに拍車をかけます。このようにして、宗教団体では信者が貢献すればするほど「共同体感覚」が得られるという魔法のような仕組みを生み出しているのです。

情けは人の為ならず

貢献すればするほど「共同体感覚」を得られるような仕組みは名前がないので仮に「情けは人の為ならずシステム」と呼びます。このシステムはなにも宗教団体だけのものではありません。会社でも学校でも、あらゆるクローズドなコミュニティで成り立つのです。

ただし、金銭や依存、場所や精神的な拘束が絡むとコミュニティがTaker気質で悪化するので、本来オフラインのコミュニティでは非常に扱いにくい仕組みだと思います。一歩間違えれば搾取に繋がるので逃げにくいオフラインには向いていません。

しかし、オンラインであれば、拘束はなくなるので「情けは人の為ならずシステム」の良い面を教授できるのです。

そして、この「情けは人の為ならずシステム」を組み込んだのが、宗教版SNSアプリ『オーマイ!』なのです。(iOSのみ)

オーマイ!の特徴

オーマイ!の大きな特徴は3つです。

1)誰でも宗教の教団を立ち上げることができる。
教団を立ち上げるというほとんどの人にとって初めての体験を提供できます。

2)入信審査や教典の改訂は投票制
新規入信希望者や教典の変更時は全て信者による投票が必要になります。51%以上の賛成票を獲得することで入信したり、変更が反映されるのです。
この仕組みは自分がコミュニティに参加しているという感覚を想起させることができます。

3)貢献度に応じて教団内のランクが変わる。
投稿したり、いいねしたり、されたり、投票したりすると貢献度が上がっていきます。上位50%以上はランク2、上位1%以上はランク5というように貢献すればするほどランクが上がる仕組みになっています。またランクが上がると投票時の票数が2票や10票というように増えていくのでより教団内での意思決定に関わっていけます。「情けは人の為ならずシステム」にも繋がってきます。

どれもSNSでは初めても試みです。貢献度や投票制が「共同体感覚」を得るのに影響するか、まだまだわからないですが少なくとも従来のコミュニティよりは「共同体感覚」を得やすい仕組みになっています。

新しいアイデアがあればどんどん実装していくのでぜひ使ってみてフィードバックをいただけると幸いです。一緒に新しいコミュニティの形を模索していきましょう。

最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。


(ちなみに制作期間は4日です。会社の事業とは関係ないです。)

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